金曜日, 6月 02, 2006

アメリカの論理

 アメリカと言う国は昔から正義と人権と民主主義と言うお題目を掲げている(掲げているだけで都合が悪い時にはだんまりを決め込む)。その正義と人権とやらのせいでやり玉に上がった国の中には、日本のようにその三つをキッチリ持っている国さえ含まれていた(戦前の事だよ)。

 これからやられるかもしれないイランは外すにしても、確かにアフガンやイラクには足りない部分もあったかもしれないが、攻撃した理由でない事も明らかだ。因みにアフガンに足りなかったのは、人権(イスラムとしての人権はあったように思える)と民主主義(確かにアメリカ型ではないがアメリカ型がベストだろうか)だろうが、攻撃した理由はビン・ラディンを匿っている(アフガンにラディンを送り込んだのはアメリカなのは無視)からと言う事だった。

 イラクになるともっと酷い扱いだ。クェートを攻めるまでは確かに軍事国家だったかもしれないがイラクはそんなに人権を蹂躙(他にもっと酷い国がいくらでもある)していなかったし、民主主義だってまがりなりにもアラブ諸国では一番発達していた。ようするに顔が嫌いとか、親父の恨みとか、足が臭いとかそんな理由で攻めただけなのである。イラクになると攻撃の根拠となった大量破壊兵器の存在(今は大量に破壊された兵器があっただろうと開き直っている)だったが、これなどヤクザの言いがかり並みの出来である。

 さてアメリカにとっての悪とは反米の独裁者のことであり、善とは親米の独裁者のことだ。もし北朝鮮が親米にでもなったりしたら日本にテポドンを撃込んで良いよなどと耳打ちしかねない国がアメリカなのである。

結論:ようするにアメリカが信奉しているのはお題目に掲げているものではなく、ただの御都合主義(オポチュニズム)なのである。だから過信してはいけないよ。

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