火曜日, 1月 31, 2006

ライブドア問題の本質

 前回の続きと行きたい所だが、長生きしたいので今回は別な切り口で今回の事件を取り上げてみたい。

 ライブドア問題で、再び規制を厳しくするなどと言う話になってきているようだが、根本の問題に手を入れずに新たな規制を作ろうとはバカも休み休み言ってもらいたいものである。

 今回のような事件が起きる原因は規制緩和(やった者勝ちとも言う)に尽きる。アメリカでも失敗したことを、日本で行えばこうなる事は始めから明らかだったのだ。そもそも、金を持たない企業が時価総額(どこにも金額の根拠などないのに、まわりがその気になれば良いと言う非常に有り難い企業価値)を基準にして株の等価交換による企業買収を可能にし、さらに野放図に株式分割を許してきた事が悪いのだ。もちろん、ライブドアのやって来た事はエンロンと同じ粉飾決済など、挙げればきりのない悪行の限りであるが、それを可能にしてしまう商法の改正が無ければ不可能な事ばかりだったのである。

 現在の証券業界は言ってみれば究極の信用取引市場(ここで信用と言う言葉が使われるのは皮肉な話ではある)になっている。いかさま師に信用を供与した上、マスコミは面白がってそれを取り上げ、ヒーローのように扱って市場の倫理の破壊に手を貸しながら、問題が起こってもマスコミはその責任をとる必要がないばかりでなく、新たなネタとしてはしゃぎ廻れる。本当に羨ましい世の中になったものである。ヒューザーやライブドアなど、その陰に黒い組織の名前が上がってくるのは、むべなるかなだ。

 要するに商法や建築基準法を改悪(悪さがしやすくなっただけ)しただけの、規制緩和(規制が少ない事と違法行為が可能な事は全く別物なのに)を推進してきた政府に全責任があると言いたい。小泉の時に始まったわけではないかもしれないが、これはきっちりと決着をつけなければいけないだろう。
 
結論:政府(財務省などの官僚)が、考える規制緩和とは市場を解放したのではなく市場ルールを市場任せにしただけである。市場を解放する時には、同時にSEC(初代長官は、金融で数々の悪らつな取引を行ってきたケネディだった。彼がお目付け役だったら誤魔化す事など不可能だったからだ)のようなものを設け監視を強化するのが本来のあり方なのである。ここで間違ってはいけないのは規制を強化すると言うさらに馬鹿な改悪をしない事である。

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