火曜日, 12月 14, 2010

日本の国立銀行

 現在は銀行券の発券銀行は中央銀行である日銀であるが、かつてはアメリカと同様にナショナルバンク方式を取っていた。明治政府では結局流れてしまった第三国立銀行以外の四行がナショナルバンクとして紙幣を発行していた。同時にセントラルバンク構想もあったが三井を中心とし、その後ろ盾になっているロスチャイルドに日本の金融を委ねる事に躊躇したのかもしれない。

第一国立銀行:(第一勧銀>みずほ銀行)
三井組と小野組を中核として設立された光五百の銀行の後身。初代頭取は渋沢栄一。三井銀行と合併して帝国銀行(帝銀事件で有名)となるが戦後(48年)喧嘩別れして三井銀行と第一銀行となる。
第二国立銀行:(横浜銀行と合併)
明治期に横浜で設立された横浜為替会社を母体とする銀行。原善三郎や茂木惣兵衛などの横浜の豪商が中心となって設立された。昭和3年に横浜興信銀行(現在の横浜銀行)に営業譲渡。
第三国立銀行:開業出来ず
大阪にも国立銀行を設立しようと徳島県人が中心となり鴻池善右衛門らの豪商を勧誘して政府認可を受けるが発起人の意見対立で頓挫。第三銀行はその後、経営危機に陥った帝国商業銀行に安田銀行が支援したものがあるが普通銀行である。
第四国立銀行:(現在の第四銀行)
越後の市島徳次郎(全国一位の地主で高額納税者)が中心となり設立された第四国立銀行。新潟県下の銀行を合併し現在の第四銀行の前進となる。何で新潟と思われるかも知れないが明治19年までは日本一の人口を誇っていたのが新潟県。当時のベストテンにはその後裏日本と呼ばれるようになる新潟、秋田、富山、山形が入っていた。
第五国立銀行:(浪速銀行と合併>帝国銀行>三井銀行>三井住友)
どこで誰が始めたのかさえ不明(そんなバカな?)。

 中央集権化が進んだ(地方の持ち丸長者の衰退)明治の後半と違い、維新直後には後の大財閥に対抗出来る大地主や豪商が日本中にあったことがわかる。中央集権は地方の力をとことん失わせる政策だったのだ。

結論:結局は日本の中央銀行はロスチャイルド方式(セントラルバンク)に代わったのだが、理由は戦費調達(西南戦争)が原因となる政府紙幣の乱発による恐慌だったようだが、ナショナルバンクである国立第一銀行や第五銀行、セントラルバンクの日本銀行のどちらも三井=ロスチャイルドが絡んでいたのでどう転んでも良かったのだろう。

0 件のコメント: