教えられたことを馬鹿正直にやってくれる人を養成するのが目的だったのだろうが、日本の教育は覚えることを競う能力の良し悪しを判定するのが主たる目的だった。本来考えるはずの理系も公式の丸暗記と言う形(実際にはそうではないのだろうが、数学嫌いから見ればそうとしか見えない)で進められている。
覚えることが絶対的に悪いわけではないが(基礎知識がなければ応用は出来ない)、往々にして覚えることが得意な人は覚えたことを鵜呑みにし、それ以外に答えがないと思い込む性質を持っている。当たり前の話だが教えられたことを疑うようなら正しい形で記憶されないのだから記憶力を試されるテストで良い成績になる筈はないのである。
それでは考えると言う行為には記憶は関係ないのだろうか。勿論そんなことはない。考える(思考)と言うのは単純化すれば記憶のネットワーク力の事。記憶力しかなければ、それは単なるアーカイブに過ぎずそのままでは何も生み出さない。思い出すことは考えたことではないのである。
考えると言うのは関係のない(関係があっても良いのだが)知識同士を結びつけ、そこに新たなアルゴリズムを作り出す作業である。アルゴリズム(リレーションとも言える)によって新しい答えを導き出す作業が考えると言う行為なのである。そう言うことに長けていると当然記憶の変質が起こるので記憶力の評価は低くなってしまうのである。
今回の話は、記憶力と思考力のどちらが優れているかと言う話ではない。人にはそれぞれ能力の違いがあり記憶力が優れている人間の弱点は思考力にあり、思考力の優れた人間は記憶力が弱点だと言いたいわけである。
PCで記憶を司るのはハードウェアでありプログラムを受け持つのはソフトウェア。面白いことに覚えるのが得意な人の方が頭が堅くて、考えるのが得意な人の方が押し並べて頭が柔らかいように思えるのは私の人間観察の歪みのせいだろうか?
結論:物事を鵜呑みにする(教科書を丸暗記できるような)人間には創造的な仕事は向かず、前例など気にもかけないような(ある意味創造的な)人間には公務員のような仕事は無理だと言う話である。誰かがやっていることしか思い付かないような人間に未来の創造など出来ないのだ。
金曜日, 3月 26, 2010
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2 件のコメント:
未来を創造(デザイン)する人・・・特定の人を思い浮かべてしまいました。。。
自分にあてはめると記憶力が低下しているので後者かなぁと。思考力も記憶力も低かったりして。。。
コメントを頂きありがとうございます。
覚える人なのか考える人なのかは知恵の輪をやらせればすぐに分かります。知恵の輪は引っ張って外すのではなく捻って外すということに気がつけばどんなに難しく見えるものでも外せますが、答えもなしにそれに気づくのは覚えるタイプの人ではなく考えるタイプの人だと言うことです。
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