月曜日, 7月 27, 2009

情緒もここ迄来ると

 教え子を殺された事がある教諭が八王子に予定されている「サバイバルゲーム場」計画に反対しているそうである。教え子を殺人事件でなくした気持ちは理解出来るが、サバイバルゲームを「殺人ゲーム」だから駄目だと捉えるのは余りにも情緒的過ぎるのではないだろうか。
 
 確かにサバイバルゲームは、人殺しのゲームだが人殺しではない。人殺しのゲームが好きだからと言って人殺しをすると考えるのはあまりにもナイーブ過ぎる。ゲームがもとで殺人鬼が増えるとでも考えているのならば、アグネスチャン並みの思考レベルだと言えるだろう。ポルノが原因で性犯罪が増えるという基地外発言と一緒でゲームが原因で人を殺したくなるような連中は黙っていたって何時かはやる人間なのである。
 
 教え子を殺した犯人がサバイバルゲームバカだったと言う訳でもないのに、不快に感じる事とやめさせる事の違いも分からないと言う事は非常に危険な事の様に思えるのだが...

結論:この先生が、こんな理不尽な発言をすると言う事は心の隅の何処かで自分自身がそう言う黒い願望を持っているのかも知れない。人をこういう行動に駆り立てる最大のリビドーは、自分自身の闇に対する恐怖だったりするのだ。

2 件のコメント:

ジャンパー さんのコメント...

先生は、教員になって一週間も「先生」「先生」と呼ばれ続けると本当に自分は先生なんだと勘違いすると、複数の友人の教員がいっていた。あいつら、昔は結構面白かったが、今では俺は教育公務員とか、聖職とか真顔でいっている。
先生は生徒より先にたって生徒が将来歩むであろう人生を生徒にいろいろ見せるのだから、間違いなく中には殺人を見せなければいけないのだ。
それを生徒に見せなければ先生ではないのだ。
今の時代の最も悪人は、山×組でも稲○組でもなく教職員とそのフロント企業の塾である。

G4 Cube Everlasting さんのコメント...

 コメントを頂きありがとうございます。私の友人も教師をやっておりますが、かなりまともな方なのでこんなバカな事は考えていませんが...彼の同僚にはこう言う輩が多いようです。

 殺人しろ、戦争にしろその悲惨さを教えるには隠し立てをしてはいけないということが、バカサヨクには理解出来ないのです。汚いものを見せない事が、そのものの発生源になると言う簡単な事が分からないのが自らを聖職者と宣う連中です。

 臭いものに蓋をしたって匂いそのものが無くなる訳ではありません。匂いを消す方法や出さなくさせる方法を教える事が教育なのです。