朝鮮や中国のように(欧米諸国もそうだが)人を疑うことから始る国にとって、日本のように取りあえず物事を受け入れてしまうというのは信じられないのだ。親兄弟で全く別の宗教を信じても殺し合うこともなく普通に生活できるなど、他の国ではあり得ない。
それだけではなく、長い武士の時代にあっては経済力が権力ではなかったという世界でも珍しい価値観が日本を支配していた。どんなに貧しくとも武士は尊敬され地位は平民の上にあった。これは鎌倉武士からの伝統であった。それが崩れたのは江戸末期だが、韓国の両班のように野放図にはなく能力のある人間を武士に取り立てただけなのである。そして農民であろうが最低限の知識(読み書き算盤)を共有することにより日本と言う国は成り立っていたのである。
ガチガチの封建社会であった朝鮮などから見れば日本はまさしく天国。何の努力も為しにその国の国民としての地位が手に入るのだから、朝鮮で食いつぶしていた人達が海を渡った(今では強制で連れて来られたと主張しているが)のは当然だったのである。日本は長い間、国を完全に閉ざし島国根性丸出しでよそ者に対して差別をしていたと言うのは、もしかしたら都市伝説かも知れない。勝手に差別されていると考えること(本心では自分たちの方が劣っていると考えている)が、日本を嫌いだと言わなければいけない理由のひとつなのである。
結論:役に立てば神であろうが仏であろうが、鬼であろうが怨霊であろうが受け入れてしまい、役に立たなければすぐに忘れ去ってしまうという教条的な社会では考えられない融通無碍が当たり前に存在する日本。教条で生きている国にとってこれほど恐ろしい存在は無い筈だ。朝鮮や中国が日本を叩く本当の理由はきっとその恐ろしさなのだろう。反日を煽らないと皆が親日(もしくは日本人)になってしまうのが怖いのである。
日曜日, 5月 06, 2007
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