火曜日, 8月 29, 2006

テロに左右の別なく

 朝日新聞は右翼のテロ(加藤邸の放火は右翼と言うよりもヤクザの仕事なのだが)については書き立てるが左翼のテロには頬被りをする。つまり左翼は弱者の味方と決めつけ、右翼は強者の味方という考えに基づいて事の善し悪しを決めているのだ。だから似非同和やプロ市民を、ただの市民(市民活動家と言う事もある)として取り上げ、何でもない人達が声を上げて反対しているような報道の仕方をするのである。これは全くおかしな話だ。被差別部落があることや差別主義の人間を認める必要などはないが、だからといって被差別部落の人間が全て正しいと言う前提で話を作るのもやめてもらいたい。どこにも同じくらいの悪人と善人はいる。  良い宗教もあれば悪い宗教があるのと同じように、一つの宗教や社会集団の中にも良い奴もいればとんでもない奴もいる。それなのにイスラエルは常に悪く(私も良いとは言わないが)パレスチナは良くって、ヒズボラに同情的なのはどうなのだろう。それってやっぱりユダヤに対する差別じゃないのだろうか。この前も書いたようにキリスト教徒は一番に善人みたいに思っているがキリスト教をピンからキリまである。安倍晋三で有名な統一教会だってキリスト教の一種だ。  もともと一番寛容でない宗教がキリスト教だったはずなのに、いつの間にやら愛に溢れている宗教みたいに洗脳されたのはチョコレートやチューインガムが美味しかったのが一因かもしれないが、日本人が歴史を研究しないのが根本の原因だろう。 結論:朝日新聞が代表例になるような自分の考えと食い違う問題は無かった事にして良い部分だけを見る癖が付いているから、いつまでたっても本質を知る事なく小ずるい奴らにメディアは利用され続けるのだ。どうせ直らないのだからバカは死んだ(会社は潰した)方が良いのだ。

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