水曜日, 11月 02, 2005

SONYとトヨタ

 SONYとトヨタともに日本を代表する大企業であるが、そのあり方は全く正反対である。SONYの良さは自社独自の技術にこだわり他にはない商品を開発しようと言う新奇の発露であり、トヨタのそれは他社の商品に学び、それを自己のものとすることによって他社を越える商品を作り出すと言う物作りに対するこだわりである。バブルの時代にはSONYのようなあり方(見た目が派手)が良かったが現在は傲慢さが商品開発に如実に現われてしまい結果的に顧客の指示を失ってしまった。他社の良い点を全く学ばないと言うのは最近の商品を見れば明らかであろう。対するトヨタは他社の新車を購入してネジの一本に至るまで研究するためにそれを分解してしまうという徹底した愚直なまでの分析(松下も同様だろう)に全てが現われている。つまり、他社がやっていることを全て吸収した上でトヨタは何をすれば良いかが大事だと考えることなのである。改善のためにはどんなことでもするというそのどん欲さがSONYには掛けている。

 iPodの何年も前からネットワークWalkmanを手掛けていながら成功の果実をAppleに持っていかれたのはハードとソフトとサービスが一体でなければネットワーク時代に通用しないと言うビジネスモデルを真似するだけの謙虚さが無かったばかりに気がつけばAppleの後塵を拝する自体に陥ってしまったのである。Panasonicのデジタルプレイヤーが決して成功しているとは言えないが、Appleにリベンジという取り上げられ方をするSONYは、名前が表に出てくるだけに余計に負け戦であることを世の中に広めてしまっている。

結論:SONYは織田信長になろうとしているが、トヨタは徳川家康である。現在の織田信長はAppleであることは間違いない。SONYが勝ち組になろうとするならばせめて豊臣秀吉にならなければいけないだろう。

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