月曜日, 11月 07, 2005

資本主義市場は魑魅魍魎

 昔は金貸し(銀行)や株屋(証券会社)は下賎な商売だった。それは人の褌で相撲を取ると言う業態そのものにあった。それが、いつの間にやら一流企業となってしまい一流大学を出た者以外に就職が出来ない(就職しても出世出来ない)場所になってしまった。日本の経済にとって銀行業の果たした役目は大きく、今日の繁栄もそのシステムに負うところが大きいだろう。それに引き換え直接金融市場(証券)は何度かのブームが明治以降あったが、80年代のバブル社会になるまで胡散臭い連中のはびこる世界として下に見られていたのは明らかである。

 そもそも日本の伝統には物を作り出すことに価値を見いだすものであった。それと対局にあるのが金貸しなどの虚業と呼ばれ、物作りは正業とされていた。そのため金貸しがいくら財力によって力を持っても、それを持て囃すようなことは決してなかった。それが戦後60年日本人の価値観は根底から変ってしまったようである。利ざやで収入を得ることは一般人でさえ当たり前になってしまった。

 では何故そんなことが平気で起こるようになってしまったのだろう。それは株式の取引手数料が自由化されたことにある。これはアメリカなどの欧米諸国で始まったことであるが、それまで決まった手数料が取引にかかっていた時代は、如何に多くの売り買いをさせるかが証券会社の仕事であった。投資家の上げた利益(利益が上がらなくても)を売買回数によって吸い上げるシステムが証券会社の収益源でだったのである。つまり株価がどうなろうが構わなかったのだ。それが自由化されてしまうと収益システムの作り直しが必要になる。それが投資銀行業務となったわけだ。こうなってくると自社で安く仕入れてある株を騙して高く売るか、手数料が入ってくる案件を推薦銘柄にするという方法でしか儲けることが出来なくなる。これがバブル経済の現況だったのである。銀行も不動産と不動産購入に対する融資で同じことを行った。どちらもマッチポンプであり、いつかは破綻する以外に止めることは出来ない。結局銀行の方が破綻が速く、利子で利益を出せない世の中になってしまったために、泡銭を求める連中が株式市場に登場した訳である。

結論:資本主義市場とは本当に資本を握っている人間以外が利益を得続けることが出来ない世界である。世界を動かすことが出来る資本を持った人間は日本には存在しない。つまり日本が主導して経済を動かすことは不可能なのである。だから目先の利益を追わず、国家百年の戦略を持った上で資本主義社会に対峙しなければいけないのである。折角の郵便貯金をこういうことに使う人間は出てこないのだろうか。

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