木曜日, 10月 13, 2005

イラクはドイツや日本ではない

 アメリカによるアラブの民主化計画は既に失敗に終わろうとしている。アラブの中でも比較的進歩的(独裁かどうかは別問題である)であったイラクでさえアメリカが望むような民主化が不可能であるとすれば、サウジやクェートが民主化することなど夢のまた夢なのである。

 何がいけなかったかと言えばイラクを戦前のドイツや日本と同様だと考えたことに尽きる(失敗することを承知で政府を動かした連中は始めから違うと解っていたはず)。戦前のドイツはナチスによる独裁政治であったが、これはイラクのそれとは全く違っていた(日本は独裁政治でさえなかった)。ナチスは民主化の行き着く先としてのファシズムであり、これは民主主義が立派にあったことの証なのである(国民がナチスを選んだのだから間違いない)。日本の場合は何かと言えば軍と言う官僚組織による統制政治であっただけで、独裁政治ではなかった。何故ならば民主主義者や自由主義者で死刑になった人間は一人もいなかった。拷問で死んだ連中は無政府主義者(テロリスト)だったのがいけなかったのである。

 天皇は専制君主ではなかった(誰よりも明治憲法を遵守する立憲君主であった)。以上のようにドイツや日本は、もともと民主的な国家であり国民の意思(馬鹿な国民だったかも知れないが)によって戦争へとなだれ込んでいったのである。その国で上手くいった方法を使ってアラブ諸国(アメリカはすぐにイスラムと言うが、イスラムが非民主的な訳ではない)を民主化しようと言う考えそのものが非論理的である。

結論:アメリカがいくらイラクを民主化しようと思っても、フセインに敵対していなかった多くの人々にとってフセイン時代の方が今よりは良かったと思える限り民主化は出来ないのである。人々は生活が安定していれば政治形態が民主的であるかどうかなんて全く関係ないのである。それが解らないのに他所の国に口出しするなど、ふざけるのもいい加減してもらいたいものだ。

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