水曜日, 10月 19, 2005

少々心外だが

 ”少々心外だが”と言う言葉を経営者の口から聞くことが出来た。どういうことかと言えば、安値にある自社の株を平気でほったらかしているほど経営陣がアホウであることを世間に示されてしまったからである。資本主義の世の中にあって、安い株を買い、高く売って利益を得ることは何も問題になることではない(私は嫌いだが)。自社株を購入するなりして株価を安定させることはいくらでもやれたのに、それをしなかったと言うことは株を買い占めてくれと言っているのと同様なのだ。恐らく天下のTBSはニッポン放送とは違うと高を括っていたのだろう。

 大マスコミで良く吐かれる言葉に公共のと言う言い草がある。公共と言うならば経営形態として営利を目的とする民間企業であってはおかしいと考える私はおかしいのだろうか。アヤツラの考え方は典型的な三段論法だ。
第一段階:電波は公共の財産である。これは正しい。
第二段階:放送事業は免許制である。これも正しい。
第三段階:公共の電波が割り当てられる放送は公共の事業である。これは成り立たない。

 それなのに、ニッポン放送の時もそうだったが、公共の電波=公共の事業(この式が成り立たないのは前述)を錦の御旗にして偉そうなことを言う。上場している限りはこんな馬鹿なことを言ってはいけないのである。公共の福祉に貢献するためにやっていると言うなら、今のような下らない番組を垂れ流すのは明らかにおかしい。公共と言いたいのならばさっさと上場は取りやめ、寄付で成り立たせる経営形態にしてしまえ。

 まあ、社会の木鐸などと言って捏造記事や裏のとれていない記事(ヤラセやでっち上げという的確な言葉がある)を平気で誌面に載せて、謝罪さえしないのに自らをクォリティペーパーだと思っている大新聞社があったりする国では世界の常識は成り立たないのかも知れない。

結論:大株主がいないマスコミは、いつ株式を買い占められるかを念頭に経営を行わなければいけない。それもしないで心外だなんて、それこそ心外だ。

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