水曜日, 5月 06, 2015

強いよりも強か

西洋人の筋肉バカはともかくとして明治以降日本人までどうも強くなければいけないと言う間違った考えから脱却出来ていない気がする。明治維新で官軍に負けた形になっているためどうも幕府は頑迷だった遅れた連中との認識がまかり通っているが幕府の役人が長い間に身に付けてきた強かさがあったからこそ欧米諸国に仕掛けられた内戦を回避して植民地とならずにすんだと考えるのは間違いだろうか。

幕府側が官軍と同様に田舎侍の集まりであったら英仏の代理として国を二分して争い疲弊し切ったところで植民地が関の山であったが、一部の小競り合いがあったにせよ国民を巻き込む形で争いとならなかったのは幕僚たちが十分な情報を掴んだ上で英仏の口車に乗らずに大政奉還、江戸城の無血開城でケリをつけたことは強かさの成せる技であった。

江戸の無血開城も迫り来る官軍(実は東海道を東に向かう途中で全滅の恐れさえあった)に対し、そのまま江戸に上ってくれば江戸を火の海して全官軍を焼き殺すとの脅しがあった上での交渉。江戸を開場する側が切り札を持った上での交渉だった。だからこそ歴史に残る西郷隆盛と勝海舟の接見の図では勝海舟の傍らに刀が…

江戸に火を放つ準備がされていることはイギリス公使パークスも承知していた。何故なら幕府側に付いていたフランス公使ロッシュを通じもしも江戸を武力で攻めた場合は江戸全てを焼き払う準備を終えていると知らされていたからと言われる。

結論:江戸時代の人間は今よりもずっと強かだったのだ。

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