日曜日, 2月 23, 2014

テレビは、最早ファースト・ディスプレイではない

これからも未来永劫テレビがファースト・ディスプレイの位置に留まると考えている人も世の中にはまだいるようだが(だから、テレビをどうにかしようと余計なことをし続けている)、テレビがファースト・ディスプレイの位置を保っている地域はドンドン少なくなり始めている(少なくとも先進諸国はそのはずだ)。我が家が普通だなどとは言わないがテレビが点けっぱなしの状態なのにそれぞれ、iPhoneやiPad、Macを同時に使っていて別なコンテンツにアクセスする時間の方が多くなっている。リビングで一番大きなディスプレイは相変わらずテレビなのは間違いないのだが、そこに流れているのは共通に視聴する垂れ流しの情報であって個々人は別なデバイスでその時に必要な情報にアクセスしている。

そんな状態ならテレビなど点けないでおけば良いと言われそうだが(確かにそうだ)、同じリビングにいる者同士の共通情報の提供の媒体でもある。それが面白ければ皆が見るであろうし、つまらないと思う者は自分のデバイスでネットサーフィンをしたりYouTubeを見たりゲームをしたりする訳だ。テレビがなければ家庭内に情報を得る手段もエンターテイメントもなかった時代はテレビは間違いなくファースト・ディスプレイだったが、家庭用ゲーム機が登場した辺りからテレビ自体のコンテンツとして魅力は薄れたのだ(要はロクな番組がなくなった)。

数年前に猫も杓子もスマートテレビと名売ったネットワーク接続型の訳の分からないものを出して失敗したが、それは個人が必要とするネット上の情報をテレビで検索するはずがないと言う当たり前のことを知らなかったからである。恥ずかしくて人に見られたら困るようなアドレスさえ履歴されてしまうようなら…誰でも分かりそうなものだ。

ネットアクセスとは非常に属人的なもので皆で共有するようものではない。そんなものがテレビで共有されるなどあり得ないのである。そこまで分かればどのような形であるべきかは自ずと明らかになるのだが、家電メーカーにはそれが分からないらしい。だからインターネットテレビをスマートテレビだと…

結論:今や家庭内のテレビは床屋のラジオや純喫茶の有線放送のようにそれ自体が目的となるエンターテイメントデバイスではなくなった。その役目は街頭テレビのように共有する情報の提示手段でしかない。テレビ単独で提供出来る情報は今までのテレビで十分で足りない部分は他のデバイスから提供してもらえば良い。Apple TVのAir Playがヒントなのだ。

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