木曜日, 6月 30, 2005

戦後60年の総括

 先の大戦以来今年は60年と言う区切りを迎える。分割統治されていたベルリンは20世紀中に統一され、ドイツや日本が常任理事国入りを望むまでに世の中は変ってきた。この機会にそろそろ太平洋戦争のけじめをつけても良いのではないだろうか。台湾や朝鮮は太平洋戦争で日本に併合ざれた地域ではなかった(占領地ではないということだ)。それなのに日本の敗戦と同時に日本から分割されて(第三国化)戦争責任からは外された。日本が負けた相手はアメリカであって中華民国に負けた訳ではなかったのに、中華民国に事実上併合されてしまった(サンフランシスコ講和条約では日本の統治を離れることは明文化されているが中華民国に併合されるとは一言も書かれていない)。その後内戦に敗れた国民党は当然のように台湾へと逃れ、台湾の主権を侵害した。その後国民党が大陸は自分たちのものだと言い続けたためにその大陸を支配している共産党は逆説的に台湾は中華人民共和国の一部だと主張するに至った。台湾が支那の支配を一部であれ受けていたとしたも、それは下関条約と共に終わったはずである。

 それでは何故サンフランシスコ講和条約は台湾の帰属を明記しなかったのだろうか。それはいくら何でも中華民国が主権を持つと言う主張には無理があった。本来であれば台湾を独立させるべきであったが、そうしてしまえば短期間のうちに日本と統合してしまう恐れが高かった(当時台湾はそれ位親日だったのである)ために、台湾の存在をうやむやにせざるを得なかったのだ。これが現在まで続く問題(中台関係)の根本的な原因だったのだ。

 日本と台湾が一つになるには戦後の60年と言う年月は余りにも長過ぎた。しかし、台湾人の気持ちが大陸に向いていないことも間違いない。戦後60年のけじめとして台湾が独立しアジアの国々が連邦としてまとまることが、中国の覇権を食い止める唯一の方法の様に思えるのは私だけだろうか。

 正直にいえば中国ほど大きな国土を抱えた国家は覇権主義以外に一つにまとめる手段はない。しかしそれを許していては平和は永久に訪れないのである(これはアメリカやロシアにもいえることだ)。

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