火曜日, 7月 05, 2005

何故太平洋戦争で日本が負けたのか

 一言で言えば戦術だけで戦略が皆無だったことに尽きるが、それをいってしまうとそれまでなのでもう少し細かく見てみたい。

中国戦線:満州と中国を区別して考えることが出来なかったことがそもそもの間違いであった。陸続きに国境を持たない日本は国境を挟んだ他国との紛争に対する対処法を知らなかった。満州を中国から切り離すことに成功した段階で中国との和解を行うべきだったのに関東軍の暴走を止められず結果的に米国の介入を許してしまった。中国との開戦に反対であった石原莞爾などの意見が通らなかったことで全てが終わってしまった。石原莞爾の満州事変がやった者勝ちの機運を生んでしまったのがそもそもの間違いだったのだろう。

南方戦線:米英軍から大量の捕虜がでることを考慮せずに占領を行ってしまった。そのため自軍の兵站さえ確保できない状況となり多くの餓死者と病人を作り出すことになってしまった。結果的にこれが南方におけるその後の敗北の一番の原因になってしまった。米英軍との捕虜交換の交渉を早い時期に行わなかったことが、その後の敗退の原因になってしまった。

太平洋戦線:3年ならば暴れて見せると言う海軍の言葉のままに米軍との開戦に踏み切ってしまった。ハワイを完全に叩き日本軍の前線基地に出来なかった段階で戦略的に失敗していた。当時の日本にはアメリカを上回る工業力がなかったのであるから、どの条件で停戦するかを考えずに開戦してしまったことは大きな間違いであった。少なくともミッドウェイで破れた段階で条件闘争に入らなければ行けなかった。山本五十六はフリーメーソンだったというまことしやかな噂が出てくるのも仕方ない程に余りにも稚拙な戦略だったのである。輸送船を護送する余裕もなかったためせっかくの補給物資が手に入らず多くの餓死者(戦死扱いだが)を出してしまったのに、裸で独鈷くを為ざる負えなくなるまで大和を温存した海軍の真意がどこにあったかは理解し難い。

ちっとも細かく見ていないと言われてしまう内容であるが、何にも増して軍備が先細りしてしまうことが明らかなのに戦域をむやみに広げた日本軍には勝つ見込みはなかったのだ。負けを認められないならば、戦争を行ってはいけないのである。

 一番大きな理由は物量の差だったのだ(木炭でバス走らせる状態の国が勝てる訳はない)。

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