火曜日, 12月 31, 2013

豊臣秀吉って その1

前にも書いたかも知れないが、私は秀吉が足軽の倅と言う通説には全く与しない。本当に足軽の身分で草履を暖めたくらいで天下取りが出来るほど戦国時代だって甘くはなかったことは分かりそうなものだ。どんなに困窮していたとしても関白や太閤と言う称号を金を積めば出してくれるほど朝廷は甘くはない。歴史では近衛家の猶子となって藤原でも五摂家でもないのに関白をなれたと残されているが、それは事務的な手続きに過ぎず関白にしなければならない何かがあったと考えた方が理にかなっている。それを探るにはやはり出自を追わなければいけないのだが、関ヶ原で敗れてしまい滅びてしまった一族のため、書くと都合の悪いことは正史には残らない…

父親が足軽とされているが傀儡であったとも言われ、そうなってくると山の民に繋がる非人の可能性が高く士農工商の身分制度に縛られた人から見れば非人は下層民となってしまうのだが、彼らのルーツは秦氏や葛城氏をルーツに持つ技巧集団。南朝を支えたのが彼らであったことは間違いの無い事実で、なぜ朝廷も吉野や熊野に手を出せなかったかと言えば天皇と言う称号が出来る以前の大王の時代に日本を支配していた勢力であったからであろうと。

農耕民の頂点に立つ天皇と山の民の頂点に立つ…裏天皇。八咫烏と呼ばれるものは戸籍上は存在しない(租税を払う必要がない存在)。非人と重なるのです。非人とは朝廷の支配下に入らなくても良かった集団。商人や技術者や修験道(陰陽師に繋がる)、芸人(諜報)など技術と情報を駆使することで繋がっていたものが山の民であり、秀吉はその中で特別な存在だったのではないかと。

〜続く

1 件のコメント:

4 さんのコメント...

そろそろ続きをおねがいいたします(笑)