金曜日, 12月 29, 2006

Web2.0って

 世間の遅れている連中の間ではWeb2.0が旬らしいが、Webに関してよく理解していないからなんだろうなと...これを飯のタネに結び付けるために大切なのは口コミなのだ。SNSだmixiだと騒がれていても実際に情報を発信している人はごく一部。それをこまめにチェックして見ている人が誰かに話したくなるようなネタであった場合に商売に結びつく事が可能になる。要は仕組みではなくコンテンツを作る人の力量(まあプロですわ)にかかっている。

 mixiにしたって話題になったので会社はめでたく上場したが、だからといってこれからはテレビじゃなくてネットだと言うのとは全く意味が違うのである。仕組みとしてコンテンツの提供媒体が電波からネットに変わるのは間違いないが、それと商売が成り立つかは全く次元が違うのである。ISPが商売として美味しくなくなったのと同じように意味を分かっていない人がWeb2.0なんて言っているうちに世の中は変わってしまうのである。

結論:Webが3になろうが4になろうが、問題はシステムではなくてコンテンツである。テレビだってハイビジョン(ハードはそうだが)かどうかが重要なんじゃなくて番組が面白いかどうかの方でしょう。本当に馬鹿なんだから。

信長はいなかった

 私は比較的信長好きなのだが、最近ちょっと気になることがある。天下統一の道筋を最初につけたのが信長だと言われているが本当にそうなのだろうかという疑問だ。信長の配下には多くの優秀な武将がいたので天下統一まであと一歩のところまでいったわけだが、それは信長の戦略に部下が従ったからだというのが定説になっている。しかし、疑い深くなっている私にはちょっと引っかかるのだ。それは、もしかしたら信長は単なる神輿だったのじゃないかという疑問だ。

 話はもとへ戻るが、信長の躍進のキーとなるのが1550年代だ。この時信長が家督を継承したが、単なる清洲織田家を継いだだけのただの奇矯な男にすぎなかった。ところが50年代後半になると一気に尾張統一、桶狭間、美濃攻略と快進撃を始める。後に天下を統一する秀吉が織田に加わったのが1550年代の半ばだというのは...

 勿体ぶらずに書いてしまおう。この時に織田の家臣団に新たな勢力が加わったのだ。それは秀吉を頂点とする蜂須賀などの山の民が加わったということだ。彼らが加わった頃から織田の譜代の家臣の中で信長派であった人達が力を失い、彼らに取って代わっていったとみられるのだ。

 彼らのルーツは何故か自然に消えてしまった秦氏に連なるとも言われるたたら(製鉄)技術者になる。忍者と言われた集団も同じなのだが、彼らは基本的に律令外の存在。幕府など新しい政権が登場する時に、その姿を露にする。つまり現実主義者であった信長は彼らの持つ戦術を利用した訳であるが、彼らは信長というカリスマを使って自分たちの野望を実現させたのである。

 そしてそれが可能になった時、信長の役目は終わった訳である。

結論:信長がいなかったとは思わないが、信長の事績と言われるものの影に常に山の民の存在があった事は間違いない。何故なら彼らが加わる前の信長に何の実績もないからである。

北朝鮮外交の失敗

 6カ国会議が行なわれているが結果がどう転ぶかは定かではない。しかし、日本がプレイヤーの座から滑り落ちた事だけは確かだ。これはなるべくしてなったと、一言で言ってしまえばそれでお仕舞なのだが、拉致問題が一番大きな問題であるにも関わらず北朝鮮の外務省を相手に交渉をした事がいけなかったのだ。

 世界と外交関係を持たない北朝鮮において外務省は何の権限も持っていないという一番肝心な事を日本の外務省は全く考慮せずに、拉致問題を絡めた日朝交渉を行なってきたために結局平壌宣言は無実化されてしまったのである。何故ならば北朝鮮国内において拉致問題は人民保安省の管轄事項であり、上下関係で言えば人民保安省の方が当然上位。

 外務省の権限で解決できる事案ではなかったのに日本の外務省は、自分たちと同じ名前の外務省が話し合う相手だと単純に考えていたのだ。ミスターXなる人間を交渉に関わらせ、話し合いの場を設けるところまでは成功したが、彼が人民保安省の窓口として動いたわけではない事は明らかである。だから最後の詰めが全然なっていなかったのだ。

結論:北朝鮮の権力構造を全く分かっていないのに外交を行なおうとしたのがそもそもの失敗の原因だったのだ。