木曜日, 9月 08, 2005

物は言い様

 先日、叔父と話をしていて非常に為になったことが有る。食べ物の話(道端に有ったドングリの仲間の木の実が美味いという話)をしていて、トマトとかピーマンが嫌いな子供が多いと言う話になった。そこで叔父が一言「トマトの青臭さが無くなるというプロの料理人がいるには呆れる」と言ったのである。トマトは青臭いのではなくトマト独特の香りがするだけだと言うのだ。確かに母親が青臭いと言えば、子供はトマトのその臭いを嫌いになるに決まっている。ドリアンが食えないのもあの臭いをウンコの臭いだと言ってしまうからなのだ。別にドリアンの中にウンコが入っている訳ではない。一番近い臭いはウンコかも知れないが、熟したドリアン独特の臭いと言えば角が立たない(でもウンコの臭いだとは思う)。

 これは一見、人権派の馬鹿が宣う言葉の言い換えに似ているようだが大きく違う視点にたっている。彼らは自分たちに都合の悪い言葉は抹殺し、都合よく言い換えてしまうが、叔父の主張はそのままの状態を伝えることが大事でことさら悪い印象を与えるように言う必要は無いと言っているのだ。子供の好き嫌いを決めているのはこれは親や周りの大人達なのである。子供がドリアンを初めて口にする時に、ウンコみたいな臭いだなと感じている時に、良き大人が”独特の臭いがあるけれどとても美味しいんだよ”と言えば恐らく食べるのではないだろうか。その時に”ウンコ臭いけど以外にイケルよ”などと言ってしまえば、ドリアンと聞いただけでウンコが浮かんでしまい、食べようなどとは決して思わないはずである(それでも喰う奴はスカトロ野郎である)。

結論:子供に対して言葉を使う時には自分の印象を交えずに出来るだけ子供自身で判断出来る力を付けるようしなければいけない。そうでなければ私のように変な奴ばかりになってしまうのである。

月曜日, 9月 05, 2005

DSにあって,PSPに欠けているもの

 DSとPSPをハードウェアとして比較した場合、PSPに軍配が上がると言って文句を言う人は少ないだろう。画面の大きさや綺麗さは確かにPSPの方が数段上だろう。しかしPSPには残念ながらキラーアプリと呼べるようなゲームが存在しない。どう考えてもPS2用のゲームのディフュージョン版と呼べるもの以外にこれといった物が見当たらない(そうではないという意見もあるかも知れないが)。

 PSPを購入した人と言うのは明らかにPS2を持っている人達である。それと比較してDSには初めてポータブルゲーム機を購入したユーザが多く存在する。つまり新しい市場が誕生したと言うことだ。ゲームに縁遠かったOL(子供ではない女性)が”ニンテンドックス”の登場によって携帯ゲーム機を手にしたのである。これは”たまごっち”と同じ現象である。極論してしまえばPSPは世界を自分の思うように支配したい欲求を持っている人に受け入れられたが、DSは世の中から自分を必要と思われたいと言う人に受け入れられたのである。今の世の中は適度(中途半端とも言う)に自由(自分勝手)で平等(その他大勢と一緒)である。そんな中でペットを飼える人達は犬猫で満ち足りない気持ちを満足させることが出来るが、そう出来ない人達にはそれを実現する手段が今迄無かったのである(たまごっちはあった)。ニンテンドッグスは愛らしい(シーマンはちょっとシュール過ぎた)ことが、一番の魅力である。愛らしさを作り出すためにAI(人工知能)を利用したのである。これは、現代のElizaだ。

結論:ゲーム機としての魅力をゲームで作り出せないPSPはゲーム機であることをあきらめ、DSは今までのゲームとは違うゲームでゲームとしての新しい魅力を作り出すことに成功したのである。これでRevolutionとPS3のどちらに軍配が上がるかは察しがつくと言うものである。

水曜日, 8月 31, 2005

馬鹿でも解る

 良く解らない理由で衆議院が解散し、いよいよ公示も済み選挙戦も最終段階に入った。個人的には郵政の民営化は悪くは無いとは思うが、だからといって民営化しなければいけないようなものでもないと思う。現在は、周辺国を見回してもそれどころではない問題がいくらでもあるのに、10年やそこいら遅れたとしても生活に与える影響があるとも思えない問題を選挙の最重要課題にしてしまう小泉純一郎には頭の下がるばかりである。

 彼の非常に優れている点は、馬鹿をその気になさせると言うところであり、あのポプピュリスト振りは、戦前のマスコミ張り(朝日を筆頭とする大新聞)である。分かりやすい言葉(馬鹿でも知っている言葉)だけで政策を語る(要は内容を何も言っていない訳である)というスタイルは並みの人間には真似出来ないだろう(小泉は人並みではないと言うことである)。彼がやっていることは論理を展開するもではなく感情を揺さぶると言う(演劇型か?)方法論だけで突き進んできた。ちゃんと考えればやろうとしていることは支離滅裂(アメリカのご意向には従っている)なのに何となくムードだけで改革(本当は改悪でも現状否定ではあることは間違いない)だと思わせてしまう技量は大したものである。

 一頃程の人気(80%近くの支持率)は無くなったが、まだまだ支持されている危険性に気付いている(物を考えることが出来る)人にとっては不倶戴天の敵なのである。ああいう人物が人気をとると言うことは民度が低くなっている現れなのである。彼には、橋本派を解体する以外に何もさせてはいけなかったのに、世論(せろん)のバックアップで何でも出来る状態にしてしまったのだから、馬鹿が政治に参加してはいけないと言う定理は間違いなかったのである。

結論:小泉純一郎の役目は首相になったことで終了していたのだから、もうこれ以上何かをさせてはいけないのである。もしまた70%を越える支持を集めるようなことがあったならば、東京湾(横須賀辺りか)にでも沈めて欲しいと思う。