月曜日, 9月 30, 2013

Androidは、無法建築

もう随分前になるがAndroidは終わっていると書いたら、随分と多くの部外者からアクセスが殺到した。

最初に書いた時はGoogleの言う自由は無責任に過ぎず、ディズニーでジャングルクルーズをするのと本当のジャングルに置き去りにされるのとの違いだと。その後は、アップデートもままならずゆーざが置き去りにされるはずなので、いずれはユーザもAndroidの問題(分断化)に気付き嫌気がさすだろうと。

その頃は、ちょうど面白がってAndroidのバージョンアップが繰り返されていた頃だったが、国内メーカーもガラケーを捨ててスマホに移行しなければいけないと思い違いをしていた時期(なんでわざわざ窮地に飛び込んだんだ)だったので、Twittet上で随分を文句を書かれた(直接食ってかかってきた人は一人だけだったが)。

その後の、Android陣営の状況は表面的にはシェアも大きく伸びていてAppleに翳りと相変わらず書かれる始末だが、お前らに電話の何が分かるんだとほざいていた携帯の大メーカー(Nokia、モトローラ、BlackBerry)が、いずれも何処かに買い取られる意外に生き残る道が残されなかったことを考えれば、繁栄でではない事は間違いないのだ。プレイヤーが変わっただけだと反論もあろうが、最初にAndroidにいてを出したHTCも風前の灯。どう考えてもAndroidでは幸せにはなれないのである。

何で、こんな無様なことになったかを一言で言えば、Androidの根本的な考え方に間違いがあったで終わってしまうのだが、もう少し細かく見て行った方が理解しやすいだろう。

Androidの問題点
その1:建築基準がなかった
最初の段階でGoogleが提示したのは建築のラフスケッチに過ぎず、与えられたパーツは全体像を持たないものであった。Appleも、スタート時に将来どうなるかのビジョンまでは持っていなかった可能性があるが、少なくとも野放図にならない事を前提にしていたので、建築基準法は定めていた。同時に自社製しかないため部材そのものもコントロールされていたため違法建築が入り込む余地はなかった。Androidに関しては短期間にユーザ数を増やすために自由とオープンをお題目にしたtめに建築基準を出すわけにいかなかったのだ。
その2:施工業者を選別しなかった
Appleであれば施工業者(EMS)の選別、部材の提供という形でレギュレーションをコントロールしモデルごとの企画統一が可能だったが、組み立てに使う部材の手配から好きにさせたAndroidでは、与えられたOSでまともに動くかどうかも検証なしに出荷可能な状態を生み出してしまった。その上、傍観者として見ていたらどうしてそんなに好き放題にOSに手を入れるのだと思うほどにバージョンの改定の連続。国内メーカーのように出遅れ組にしたら、製品を出荷する前に次のバージョンがリリースされ、それをサポートすることさえ不可能な状態を作り出してしまった。それは、デフォルトとなる部材の基準がなかったからなのだ。
その3:差別化が分断化を加速
誰でも自由に手に入るOSを使っているのだから他者との差別化を図れば、自社独自のどうでも良い昨日を追加する必要があり、ソフトウェアでは実現不可能なハードをよりによって載せざるを得ない状況を自ら作り出してしまった。世界中で使えるはずのOSなのに結果的には国内メーカーは海外では通用しないドメスティックな端末開発に注力した。結果的にはガラケーと呼ばれた携帯と同じことを繰り返して自らの体力を消耗させただけなのだ。それだって、飛ぶように売れれば問題はなかったが、Appleの製品とは違い新製品を正価で買ってもらえなかったのだから目も当てられない状況に輪をかけただけだったのだ。
その4:キャリアの衰退
背に腹を変えられずiPhone販売に売って出たドコモを見ればわかるように、どのキャリアもメーカの面倒を見るほど余裕はない。キャリアから提示された仕様で端末開発を続けてきたメーカーにとってのお客様は客様だったので、キャリアが喜びそうな機能を載せることにばかり目を向けていたため、一派人ユーザのニーズに応える開発が疎かになってしまった。そんな頼みの綱のキャリアからいきなりハシゴを外されたのだからNECやPanasonicのようにコンシュマーむけを諦めるしか方法はないのである。

結論:甘言に踊らされた方が悪いのだ。

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