水曜日, 7月 12, 2017

歴史は誰のためにあるのか

古事記や日本書記は神話も含まれているので歴史を書き留めたものではなくおとぎ話にすぎないと左翼の人たちは言うだろうが、どんな歴史書も当事者でなく第三者として書いた部分以外は書いたものにとって都合の良い話になっているのは当然のこと。同様に日本国憲法ではないが文章になっているものは真実だけが書き込まれていると盲信するのもおめでたい話だ。歴史書に関しては誰の指示で編纂が開始されたのかが重要でその人にとってプラスとなるような筋立てになっているのはどこで、そうするために過去に書かれている歴史書と辻褄が合わなくなる部分をどのように辻褄合わせしているかを中心に見ることで本当の歴史があぶり出されるのではないだろうか。戦前の歴史が皇国史観で作られていたと戦後否定されたが全く同様に戦後の歴史教科書はリベラルな民主主義者(戦前の共産主義者)に都合の良い形になっていたのは紛れも無い事実。江戸時代が暗黒だったなんていうのは大正時代に作り出された幻想に過ぎなかったことがどんどん明らかになっている。

そもそも幕府(これも明治以降に悪意を持って使った言葉)を蒙昧な組織と陥れたいために開国を拒否したように教科書では印象操作されている。尊王攘夷で打ち払えと蒙昧なことを叫んでいたのは幕府ではなく新政府の母体となった側。黒船が来て慌てふためいて開国に動いたというのも嘘で江戸の町民が黒船来航をクィーンエリザベス号の入港のようにお祭り騒ぎで面白がっていたのは幕府も、これで国が滅んでしまうと上を下への大騒ぎになっていなかったからなのだ。その当時の国際情勢に関しては幕府の方が正しい情報を掴んでいたためロシアやアメリカとの国交は歓迎すべきレベルのものであった。開国を許さなかった最大の勢力は水戸藩だったが桜田門外ノ変を経て急速に力を失ったのち倒幕の思想的バックボーンとなったのが徳川にとって皮肉ではあった。

結論:歴史は統治者が変われば書き換えられるものなのである。

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