これが出来ないから間も無く滅亡する訳だが、新聞が経営として成り立たなくなった最大の理由は広告に頼った営業政策にある。そもそも現在の新聞は購読料では発行出来ないし、購読料は定期購読の勧誘費と販売店の維持費に消えてしまっている。そもそもこんなことになった原因は広告宣伝費と言う本来ジャーナリズムとは無関係な資金に経営の基盤を置くシステムにある。
そしてより多くの広告料を吹っかけるために発行部数と言う虚数をスポンサーに提示する必要に駆られ(これは、テレビや雑誌も全く同じ構図)、”押し紙”などという読まれる事のない新聞(読むほどの内容など端からないのだが)を刷っては販売店に押し付け、新聞を必要としない家庭に購読を了解させるために(実は、定期購読料で景品を買っているだけ)景品の競争に走る。これで経営が成り立つ筈はないのだ。言いっ放しでは仕方がないので、処方せんを出しておこう。
処方せん1:民放と同じで無料にする。但し、それでは宅配など出来なくなるので販売店制度はきっぱりとやめる。資源の無駄遣いをしないためにも電子化してWebで公開するか、R25などのようなフリーペーパーにしてキオスクなどで配布する。これしか、全国紙の生き残る道はない。
処方せん2:広告を一切やめ、スポンサーではなく読者が必要としている調査報道中心の紙面作りをし、購読料だけで新聞を発行する。この方法だと全国紙など不可能。赤旗や聖教新聞のように読者を限定する専門紙や地方紙としては生き残れるかも知れない。
処方せん3:記者クラブ制度を廃止。公正取引委員会から見れば記者クラブも再販制度も明らかに独禁法違反。役人のご託宣を横並びで書くだけだから新聞に魅力がないのだ。週刊誌じゃないがそれぞれの新聞で得意分野が違えば、複数購読だってあり得るのだ。例えば経済なら朝日、国際ならば日経、社会ならば毎日、文化ならば読売という具合だ。
結論:どうでも良い記事を読むほど私は物好きではないのである。
月曜日, 1月 07, 2008
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