木曜日, 2月 24, 2005

フジテレビはやっぱり馬鹿

 ニッポン放送を子会社化するための株数に届きそうもない(TOBは失敗)となると、現在の発行株数の1.4倍もの新株発行をフジテレビに対して行うという既存株主を完全に無視した戦法を使ってきた。ライブドアにきちんとした戦略があるかと言えば、色んなことに手を出すだけで十分に計画を練っていなかった過去を振り返れば怪しいものであることは間違いないが、それでも今回の対抗策はあまりといえばあまりである。乗っ取られたら困るような企業を上場させてほったらかしていたことがそもそもの問題であって、本来ならばコクドのように非上場企業にフジの親会社でいてもらわなければいけなかったのだ。それを、棚に上げて大騒ぎして揚げ句の果てには時間外取引よりも掟破り(悪質)な対抗策を使おうと言うのであるから、もうお話にならない。

結論:馬鹿はいつまでたっても馬鹿だ。公共放送(本当かい)だからライブドアとは提携出来ないと言うが、今回のような原因をほったらかしておくような企業に公共放送を任せておいたことが問題のような気がする。さっさと放送権を返しなさい。

水曜日, 2月 23, 2005

輿論と世論

 戦後民主主義は世論(せろん)に支えられて地の底まで落ちようとしている。マスメデイアは、戦後の漢字制限を利用して世論を”よろん”と意図的に読み替えているが、”せろん”と”よろん”では言葉の持っている重さに大きな差があることがなおざりにされてきた。自分なりの確たる基準を元に意見を述べる訳ではなくただムードで考え流されている限り輿論とは到底呼ぶことが出来ない。戦前もやはり世論(せろん)を元に戦線の拡大へと雪崩をうって行ったが、輿論を形成していた人々は戦争の問題点をはっきりと指摘していた。伝統に根差すことなく、その場のムードで改憲を口にしたり、皇室典範の改定を口にしたりするのは愚の骨頂である。

 そもそも、現在抱えている問題は以前から考えておかなければいけなかったものばかりである。皇室の問題(女帝)、自衛隊の問題(改憲)、ニッポン放送の問題(買占め)などは、付け焼き刃で解決してはいけないものばかりなのに、それですまそうとしている。人権がないはずの皇室が、一般家庭のように妻の人権問題を発言することがおかしいと何故言うことが出来ないのか、皇室に許されている公務とは公務員(一般人)のそれとは違う。そのことが判らなくなっているというのは皇室さえ民主主義の範囲に入ると誤解させてきた社会に問題があるのだ。それをさらに進めて行こうと言うのが世論ならばいっそのこと天皇が象徴であることを辞め、ヨーロッパ型の王室に変更するように憲法を改正してしまえばいいだろう。

結論:問題が明らかになるまでほったらかしにしていた問題は、慌てふためくのではなくじっくりと本当の輿論をまとめる形で時間を掛けて解決しなければいけない。今迄ほったらかしていたのだから重要じゃなかったのでしょ。まあ、危機管理意識がなかっただけだと思うけどね。

月曜日, 2月 21, 2005

ヒューマニズムは素晴らしい

ヒューマニズムを持ってすれば虐めがなくなり良い世の中になります。そうかも知れないがそんなことを言う奴らは同時に人権やら平等やら平和やらと関係ないものまで持ち出して(本当は関係あるのだがそんなことを言い出す奴が使う使い方は根本的に間違っている)ヒューマニズムが大切ですと言う。揚げ句の果てに犯罪を犯す青少年が悪いのではなくそんな青少年を作り出した社会が悪いと言う。物事は簡単だ。どうにも更生しそうもない子供と親を火炙りにすればいいのである。人格もないものにヒューマニズムを拡大するから世の中が悪くなるのである。こんな奴らには人権も平等もないし自由もいらない。

悪いこともしていないのに強制収容所に送られるのはヒューマニズムに反するが、極悪人を隔離するのは人の道に外れたことだろうか。私には到底そうは思えない。今の日本では生活に困って犯罪を犯すような人間は多くないが、遊ぶ金が欲しかったので殺したという奴ならゴロゴロいそうである。それと単なる人格破たん者達。

結論:人の道を踏み外した奴はお天道さまを拝めないようにするべきである。それが、正しい人の道である。似非ヒューマニズムよりも横丁の頑固親父の方がよっぽど素晴らしい

バカの壁の壁

大分昔の話になってしまうが、養老孟司氏の『バカの壁』という新書がベストセラーになった。養老孟司氏は嫌いではないがついに『バカの壁』を読むことはなかった。そもそもあの本を読んだ人達と言うのはどんな人だったんだろう。恐らく、自分はバカの中には入らないよなと確認するために買ったのではないだろうか。それとも、ベストセラーだから買わない訳にはいかないと言う強迫神経症気味(付和雷同すると安心すると言う特徴がある)の人だったのだろう。どちらにしても、大バカじゃないがプチバカの傾向のある人には違いない。

日ごろから、バカばかり見てきている私などはそんなものを見る以前にバカの生態は良く判っているので、今更壁などと言われてもというのが正直な印象だった。よって買うどころか立ち読みさえしなかった。尊敬出来る学者でも禄でもないものを出すことはある。それを、感じ取るだけの知性を持っていればバカは怖くないのである。

結論:こんなふうに権威でも自分よりも下に見る私は本当のバカだ。

民主主義は素晴らしい

今に始まったことではないが、アメリカは民主主義(多数決絶対主義)を世界中に広めようとしている。ご多分に漏れず日本も戦後アメリカ型の民主主義に染まってしまい、その上で自由主義(自分勝手とも言う)にまでなってしまったために今の日本は、ニッポンに成り下がってしまった。

民主主義を素晴らしいと言う人は戦前を引き合いに出して、民主主義が如何に優れているかを説くことが多いが、これは完全な欺瞞だ。戦前・戦中を通して日本は民主的な国家であった。軍に主導権を与えたのも民主的な世論であったし政治家(クーデターを恐れた)であった。天皇が苦慮した点も国民主権を守ろうとしたために戦争になってしまったことが一番大きかっただろう。天皇は終戦に当たって初めて統帥権を逸脱し戦争をやめることの出来ない国民の変わりに戦争を終了させた。つまり民主主義を停止した時に初めて戦争から解放されたのである。行き過ぎた民主主義は全体主義であり共産主義なのだ。

結論:少数意見を入れられなくなった民主主義は独裁政治よりもタチが悪い(誰も責任をとらなくて良くなる)。全員一致の意見は否決されるユダヤの知恵を日本にも取り入れなければいけない(全体主義の怖さを知っていたのだ)。今世界は悪い民主主義(強い奴は何をしても良いという考え方)に満ちあふれている。

金曜日, 2月 18, 2005

金にものを言わせるのが資本主義ではないのか

 限りなくグレーに近い時間外取引で、ライブドアがニッポン放送株を買い占めたことに対して政財界の批判が相次いでいる。同時期にTOBが掛かっている時の取引だけに褒められたことではないかも知れないが、何ら法令に違反していない行為を批判するのはどうであろう。揚げ句の果てに、公共機関(民間企業だろうが)である放送局を金に飽かせて乗っ取ると言うのはおかしいと言うおかしな理屈まで持ち出している。今回の騒動の原因はそもそも、フジテレビスタート時の資本関係を長年放置していたフジサンケイグループに問題があるのじゃないだろうか。買い占めがけしからんと言うのならば、上場などしなければ良かったのだ。金が欲しいから株式公開していたくせに金にものを言わせるのは如何なものかと言われたって、そんなこというなら上場するのは如何なものかと言われても仕方がないだろう。

 どんな企業でも、上場していれば乗っ取られる危険は付きまとう。これは資本主義の鉄則である。それをダメだと言うのならば放送局は全て非上場にするべきである。ニッポン放送とフジテレビの株の構成のおかしさはコクドと西武の関係に似ています。いっそのことコクドと同じようにニッポン放送が非上場企業であったならば今回のような時間外取引は成り立たなかったことを考えるべきです。但し、本当に非上場であったら鹿内さんちの株がいつの間にか名義変更されていて乗っ取られていたかもしれませんね。

 結論:ホリエモンは嫌いだが、買った方ばかり叩かないで売った方も批判するべきじゃないか。売る奴がいなければ買うことは出来ないぞ。株券を勝手に刷ったならば別だけど...

木曜日, 2月 17, 2005

暗い唄が聞こえる 〜第4章〜

暗い唄が聴きたくなったあなたにぴったりな歌手をお教えいたします。

NSP:夕暮れどきはさみしそうを代表曲にする彼らはまだ性懲りもなく活動しているらしい。正式名称はニューサディスティックピンク。Led Zeppelinの”天国への階段”のイントロをパクりそこなったようなメロディーが物悲しかった。どうやら、版権が切れているらしくてダイソーで100円でCDが買えるらしい。まだ、聞いたことがない人達はたった100円で暗い気持ちになれるのである。良い世の中になったものである(だから、包丁で先生を刺すような馬鹿が出てきてしまうのだ)。
注意点
 *結構シュールなので心に傷を持つ人には危険です。
 *知っていても自慢してはいけません
 *聴いても、決して心は晴れません

かぐや姫:確信犯的4畳半フォークの殿堂。中学生が二昔前の少女漫画に出てきそうなストーリーの歌詞で泣かそうと言う魂胆が見え見えであった。男の子にちやほやされることのない女の子にはちやほやされていた。どっちかといえば、フォーリーブスのファンとかぶる田舎臭い子に受けていたと思う。仲間には、イルカや風(かぐや姫解散後に伊勢正三が結成)などがあった。デビュー当時は”酔いどれかぐや姫”と言う色物フォークを歌っていたのは忘れることが出来ない。豊島園で、吉田拓郎のパロディを謳いながら生活していたことを私は知っている。
注意点
 *メジャーなので聴いていると馬鹿にされる
 *若い子には受けない
 *あの程度ならば自分でも出来るとつい考えてしまう

火曜日, 2月 15, 2005

日経新聞は信頼出来るか?

 日本には経済専門の大新聞は日経しかない。昨今、朝日やNHKの化けの皮がはがれたにも関わらず、日経の記事をうのみにする輩が多すぎる。実は経済に関しては、日経新聞は相当いい加減な記事を書いている。良く言ってフライング、悪く言えば提灯、もっとうがって見ればねつ造と言えるようなとんでもない記事を書きなぐってきた。日本のバブルを煽った張本人は、日経と野村証券だと言っても過言でないだろう。本来、日本の経済のことを考えたらばバブル期に日経がしなければいけなかったことはバブルにならないように市場の熱を冷ますような記事を書くことであった。現に、あの当時"コモンセンス"や"DAYS JAPAN"ではアメリカの80年代初めと全く同じ動きをしているから不動産や株には手を出してはいけない、日経平均は1万7千円が適切だと89年に書いていた。当時株価は4万に届こうかとしていたが良識のあるメディアは、きちんと本当のことを書いていたのだ。翻って日経新聞は何をやっていたのか、多くを語る必要はないだろう。日経に出てくる経済は、財界が望む姿であって実態ではないと言うことである。

 というわけで日経の正しい読みかたは、月曜の一面に出ている記事は疑って掛かる。100ある記事のうち75位は観測記事であり、残りの24は提灯記事である。国際や政治面は信じても問題ないと言うことである。

 結論:日経は経済新聞として読んではいけない。

土曜日, 2月 12, 2005

大人げない大人たち

 昨日に引き続きホリエモン話を。フジテレビによるニッポン放送のTOBの目標を引き下げ、ニッポン放送の上場廃止を目標にする路線をとることにするらしい。ニッポン放送の株を持っている一般投資家のことを全く無視した大人げない仕打ちである。ここは、ホリエモンに味方して、フジテレビの株を時間外取引で大量に売る人が出てくることを望んだ方が良いかもしれない(鹿内一族協力してね)。個人的に堀江社長をそんなに好きではない(ソフトバンクのように胡散臭い気がする)が、フジテレビはそれ以下だ。フジテレビのTOB同様に、株の時間外取引は純粋な経済活動であってなんら問題の無い行為である。それにも関わらず、フジテレビは同じグループであることが錦の御旗のように勘違いをしているのだ。グループ内で内紛が続き一枚岩でないのだからよそ者が入ってきても仕方がなかったのだ。売る人がいなければ株を買うことは出来ない。負けを認め、もうこれ以上グループ内の亀裂が大きくならない方法を早くとることである。それが、ライブドアに対抗することではないことだけは間違いない。

金曜日, 2月 11, 2005

やっぱりお前はフジサンケイグループ

 朝日ネタ(ねつ造)ばかりじゃなと考えていた矢先。やってくれましたフジテレビとニッポン放送のTOB騒ぎ。前回でこれだけは、やっちゃダメよの王道をひた走ろうとしているようだ。それだけではなく、ホリエモンに「ちなみに、日曜日の私がレギュラー出演している、平成教育2005予備校は中止にされてしまったようだ。うーん、凄いことやるなあ。そんなのってあり?ありえねーとか思ってしまった」と言われるような無茶苦茶な抵抗をしてしまったのである。朝日のように自分たちが正義ですとは言ってはいないが、それにしても今時自社に関わる報道をしないと言うのはどういうつもりなのだろう。平成教育委員会は、担当ディレクターの飛び降り自殺がきっかけで番組が終了したと言ういわく付きの番組なのだ。それが、せっかく復活したと思ったら今回の措置。担当ディレクターは、政治介入があったと日テレで涙の会見をした方が良いだろう。

 産経新聞をはじめとするフジサンケイグループだからこその顛末である。今回の事件で朝日と同様に偏っている(右と左の違いはあるが)だけでなく、金が絡んでくると(朝日の場合は思想が絡んでくると)露骨に態度を豹変させる会社であることを公にしてしまったようだ(気付かない人は少なかったと思うけど、以外に多かったのかな)。

 結論:日本のマスメディアを公明正大と考えてはいけない。何も書かないと言うのは事実の歪曲なのである。自分達の悪い点を言わないのは決して朝日だけではない(ただ、朝日の責任転嫁は、かなり質が悪いのも事実である)。

水曜日, 2月 09, 2005

ホリエモン再び

 顔を見ただけでは、ボーッとしていて眠そうなアンちゃんにしか見えない堀江社長はそれなりにやり手のようである。今回のニッポン放送の株取得劇も普通に考えれば無理だと思って鼻から考えない手段だっただろう。ところが、突然筆頭株主に名乗りを上げることになってしまったのだから、フジテレビにとってはまさに青天の霹靂としか言い様のない状況に追い込まれてしまった訳である。

 村上ファンドによるニッポン放送の株の買い占めによってある日突然ニッポン放送を乗っ取られるという危機に初めて気付いたというのも相当に間抜けである。通常ならばグループ同士なので簡単に問題が解決すると考えたが、鹿内家との確執問題などがあり内部は一枚岩ではなかった。今のフジテレビの体制を善かれと思わない株主が多かったために突然ホリエモンが登場出来たのだ。ライブドアは村上ファンドからは株を買っていないと言う。現在の持ち株比率は35%、もしフジテレビがライブドアとの提携を拒否した場合村上ファンドの株式は全てライブドアの手に移ることになる(55%の株式保有)。そうすれば、ニッポン放送はライブドアの物になってしまい、フジテレビの実質支配が可能になる。新株発行などで対抗しようとするかもしれないが、それは無駄なあがきになってしまうだろう。

 ホリエモンの後ろに控えているのが誰なのか掴み切れないが、旧体制と組む楽天よりもライブドアはよっぽどどやり手だったのである。

金曜日, 2月 04, 2005

メディア規制 流れ反映か

 メディア規制 流れ反映かという東京新聞の記事をみて考えるところがある。「マスコミはやくざ者より始末におえない悪辣(あくらつ)な存在」という特捜部長の言い分は決して褒められたものではないが、行き着く先は「大本営発表」だと言う発言はもっと頂けない。実は東京新聞は新聞の中では一番偏向していない新聞である。読者数が限られるのにも関わらず真面目に報道を行っている。そこでさえ、こう言った反応をするのである。大本営の発表を必要以上にに脚色してとんでもない記事を平気で作っていた朝日新聞はまさに、やくざ者より始末におえない悪辣(あくらつ)な存在だったし、今もそうなのである。平和だ民主主義だ平等だと何かと言えば、口にして正義を語りたがるために疑うことを知らないお人好しは朝日などを正義のシンボルだと思っているが、あそこが褒めていた国はどこも独裁国家だった。

 なまじ影響力のあるマスコミが世論を作り出すことの害は、マスコミから語られることはない。それだけではなく今のマスコミの報道のやり方は、安っぽいサスペンス劇場のように品がない。事実を報道すればいいだけなのに、ニュースまでがワイドショーのように扇情的な取り上げ方をして大衆が偏った世論を持つようにムードを作り出している。こんなものには、百害しかないのだ。

 知っていても相手が強い時には耳をふさぎ、叩ける時には正義面をしてしゃしゃり出る。これも、マスコミに共通して見られる傾向である。こんなやつらを「やくざ者より始末におえない」と言ってどこに問題があるのか。問題のあるマスコミを規制しても問題ないはずだが、それが行き過ぎれば「大本営発表」になってしまう。なぜなら今の日本には輿論がなくなり(だからすぐにムードに流される)、良識のある大人がいなくなってしまったのだ。これも、普通選挙と言う間違った制度を取り入れてしまったからに違いない。

 結論:記者クラブに出入りしているような大マスコミは、やくざ者より始末におえない代物であり、今の世の中には世論(せろん)はあるが、輿論(よろん)は既に死んでしまったということである。

木曜日, 2月 03, 2005

ねつ造するは我にあり

 世の中には良くない冗談が多くある。私の冗談はかなりブラック(シュール)なので、人のことをあれこれ言うのは気が引けるのだが悪意のあるものは黙って見過ごす訳にはいかない。

 最近の例では、何回も書いているので耳にタコかも知れないが朝日新聞 VS NHKだ。NHKがしょうもない放送局であることは今に始まったことではないが、製作費の流用事件で印象の悪くなっている時を狙って政治介入があって放送の内容が変えられたという噂のある過去の事件を持ち出して、ついでに自民党を叩く材料にしようとしたのはたちの悪過ぎる冗談だった。

 そもそも、今回問題となった番組は公共放送がやるような内容ではなかった(事実かどうかも判らないものを、事実のように扱っていた)ものだったために、上層部の政治的介入(政治家の介入ではなく社内政治の介入)によって偏向した内容を変更された訳である。恐らく、その後も同じようなことを続けていたために今回のプロデューサは干されてしまい、あんな会見をしたのが事実だろう。

 それを、吹き込んだのが同じアカ仲間の朝日の本田記者である。朝日は名実ともに左に偏った新聞であるが、その中でもくだんの記者はバリバリの左寄りだったわけである。左を利することならば、虚実取り混ぜてねつ造を行うのに慣れ切ってしまったために、どういう結果になるかを判断出来なかったのだ。

 ではどんな結果になったのだろう。拉致問題以降、購読者の減少に歯止めがかからなくなっているのを防げたのだろうか?結果は前にもまして購読者が減ってしまった。返り血と思った血は、自分が流した血だったのである。

 結論:悪い冗談は自分にハネ返ってくるので、言わないのが身のためである。