金曜日, 12月 30, 2005

SONYの失敗

 どんなに世の動きに疎いヤツでも薄々感づいているSONYの失敗。どれくらい失敗しているかを冷静に判断すると冷静ではいられなくなってしまう今日この頃である。

携帯ミュージックプレイヤー
1999年:メモリースティックウォークマン
2000年:ネットワークウォークマン(Eシリーズ、メモリースティック使ったMDプレイヤー)
2002年:DVDウォークマン(SONYでは作っていなかったことになっている)
2004年:VAIO pocket(SONYでは無かったことになっている)
2004年:HDDウォークマン(HDシリーズ)
2005年:Aシリーズ(最後のウォークマン?)

ゲーム機
1994年:プレイステーション(もとは任天堂のゲーム機)大成功
2000年:プレステ2(安価なDVDプレイヤー戦略で大爆発)
2000年:PSone(まだあるが既に無いに等しい)
2004年:PSX(DVD録画出来るプレステ2。本当に無かったことになっている)
2005年:PSP(実は売れていない。もうすぐなかったことになる)
2006年:PS3(Xbox360に二の舞いになるか)

DVDレコーダー
2004年:PSX(もうデータベースにも情報はない?)
2004年:スゴ録(こちらは生き残ったが、儲かっていない)

ブランド
2003年:QUALIA(もう無かったことにしたい)

結論:要はプレステ2以降全部ダメじゃん。

職業に貴賎はある

 どうも差別の嫌いなはずの大マスコミは差別が大好きなようである。何故ならば、そう理解しないといけないような書き方が随所に見られるからだ。例えば、みずほ証券のミスで27億円を稼ぎ出したデイトレーダーは、無職だというのだ。確かにデイトレーダーはどこかの組織に参加して利益を上げた訳ではないので雇用と言う図式は成り立たないが、そうなればフリーランスで働いている人間は全て無職になってしまう。要するに法人格の組織を持たない人間は全て無職としたいのだろう。だとすれば、アルバイトであれどこかの組織に加わっているフリーターは無職ではなくなる(立派な企業戦士だ)。つまり彼らはフリーランスで特ダネを取るようなジャーナリストは無職であり、捏造記事を組織のために平気で書くような人こそ定職に就いている立派な人と考えているのだろう。私は親のコネで、大銀行(一度潰れたけど)に勤め、新聞を見る以外に仕事のない(日本興業銀行の取締役の子供)は立派(大好きなアニメのセリフを全て暗記すると言う立派な特技は持っていた)な社会人の話を知っている。あれが普通の家庭の子であったならば、恐らくどこかの施設に引き取ってもらっていたことだろう。

 他にも色々とある。大抵右翼はまるで暴力団の様に書かれる(そういう連中が多いのも確かだが)が、バリバリの左翼は市民(仕事もしないで差別てっぱいなどの活動だけをやっている人が本当に市民なのだろうか)などと呼ばれるが、あれはただの活動家である。中には似非同和のように活動そのものは総会屋以上にタチの悪い連中さえ、左翼と呼べそうな圧力を掛けることを市民運動などと宣ってしまうのだ(きっと怖くて悪く言えないのだろう)。

 さて、それでは職業の貴賎を分類してみたい。

賎しい職業:聞屋(大新聞を始めとするマスコミ)、株屋(野村を始めとする証券会社)、金貸し(みずほを始めとする銀行)、口利き(今はコンサルタントなどと言う)、女衒(人材派遣業などと言われている)、河原乞食(今はタレントと言われる)、チラシ屋(電通を始めとする広告代理店)など世の中のおこぼれで糊口をしのいでいる。
貴い職業:印刷屋(新聞をする印刷機、株をする印刷機、お札をする印刷機、チラシをする印刷機を持っている)、大工(新聞社、証券会社、銀行の社屋を建てた)、接客業(手練手管を駆使してマスコミ、金融、コンサルタント、エンターテイメント、代理店などの交渉の仲立ちを行っている)など、道具を駆使して世の中を支えている。

結論:デイトレードが仕事にならないのならば、世の中に無職の人は多くなる。給与を得られることと働いていることは別問題なのだ。差し詰め下請けに番組制作を依託して上前をはねるだけのテレビ局や代理店、記者クラブで得た情報だけを垂れ流す大新聞社などは最低の商売なのではないだろうか。

お客様は正直である

 任天堂のDSは売れている。恐らく今の戦略を続けられるならば次に出るRevolutionも売れるに違いない。その第一の理由は、ゲームマニア(だけ)を相手にしないその戦略にある。ミリオンヒットになったゲームは、”どうぶつの森”以外は全てDSで初めて誕生した新しいジャンル(といえる)モノばかりである。今迄にないインターラクションを取り入れることに成功し、単純にゲームの楽しさを味わえるものが多くラインナップされている。これはPSPと対照的な部分であり、持ち運べるGamecube(それほど売れていないからか?)になっていないことが良かったのである。

 その内容を見てみるとDSで取り入れられている通信機能は一言で言えばコミュニケーションである。通信で対戦をするゲームはアングロサクソンには通用するが、日本人の感性には適合しない(征服と服従の血の違いか?)。”どうぶつの森”は子供たちに一番受けているゲーム(Nintendo 64時代からある)だが、DS版が誕生したことによって同じ村でコミュニケーションを取れるようになった。今迄はソフトのアルゴリズムによって村の住人が引っ越したりというイベントが発生したがこれからは、DS同士の通信でそれを意図的に発生させることが出来るようになってきた。こうなると一家に一台で良かったDSが一人に一台となる可能性が高くなってくる訳である。それ以外では、大人の知育(子供でもプレイ出来る)といえるジャンルが定着したことである。それと、”萌え系”(エロ)とは明らかに違う”癒し系”のゲームが、ゲームをしそうにない人達(負け組と言ったら言い過ぎか?)に浸透したことだ。これで”たまごっち”と同じ層をDSに取り込むことに成功した。

結論:現在の任天堂の凄い所は、ゲームとは純粋に楽しむものであると考えていることだ。これは、おためごかしや製作者のマスターベーションに過ぎない数多のゲームとは一線を画している。そして、大事なことはゲームメーカーが資金力でなく、アイデアで再び勝負出来る市場を作ったことである。これは、DS以前のゲームボーイで作り上げられた環境であったが、そこからグラフィックの派手さに行かなかったことが最大のポイントなのである。どう考えても、”やわらか頭塾”は”FinalFantasy”よりも開発費はかかっていないように思える(かかっていたらどうしよう)。というわけで任天堂は過去に色々とあったが、やっぱりゲームを一番解っているメーカーだということが2005年に再び明らかになったのだ。つまらないゲームはいくら開発費をかけてもつまらない。普通のお客さんはそんなものには財布のヒモを解いたりしないのである。

金曜日, 12月 23, 2005

働けど働けど我が暮らし楽にならず

 世界的な大企業であり小売業のトップに君臨するウォルマート(今迄に好意的に書いたことは一度もない)のことを、今回だけは好意的に書いてみたい(そんなわけはないか)。何とウォルマートは生活保護を受けている人を大量に雇ってくれているらしい。何故なら全社員の1割が生活保護を受けているからだ。そして2割近くの人達は社会保障の対象者である(ミールクーポンを手に入れる権利を与えられている)。つまり職のない人達に週37時間労働をウォルマートは提供している訳である。売っているものは世界で一番安く販売出来るモノばかりなのでアメリカ国内では製造出来ない品々が殆どである。そうやって、中国などの国民にも雇用のチャンスを与えてくれる。食品で言えばカロリーが高いので食った気にはなるが栄養価の低いジャンクフード(アメリカの国民食を心無い人はこう呼ぶ)などが、主力商品である。口の悪い人なら餌と呼ぶようなものだろうが、とにかく飢え死にすることは無くなる(長いスパンで見て寿命を縮めることはここでは問わないことにしよう)。まさに、立派な大企業である。そのために全米で一番多くの裁判を抱えることになってしまった。

 さてここで、まとめてみると世界的な大企業に勤めといるのに生活保護が必要な賃金(実はアメリカの最低賃金よりも低い)しかもらえない。それ以上の賃金を貰っている人達でもミールクーポンが貰えるくらいに賃金が低い(普通の大企業なら恥ずかしくて出来ないことだ)。それだけではなく健康保険にも入れない状態なので、ウォルマートと関係の深かったクリントンのおかげで出来上がった社会保険制度を利用して最低限の医療を受けているのである。恐らくこれはウォルマートだけではなく、McDonaldのような会社も同様だろう。アメリカでこの範疇に入らないのは、SouthWest航空などの一部の企業だけだろう(アメリアで今すぐ潰れる恐れのない唯一の航空会社)。

結論:ウォルマートの利益は給与を払わないことでたたき出されている。そんな企業を素晴らしいと言った奴らは全て守銭奴である。恥を知っているならば死んでしまえ。

水曜日, 12月 21, 2005

ネットが世の中を変える

 掲示板が便所の落書き(筑紫哲也いわく)と言われていたのは少し前のような気がする(筑紫哲也はマウスを逆に持つくらい時代遅れのジャーナリスト)。ところが気付かない人は全然気付かないうちに世の中は大きく変ってしまった。構造計算で大騒ぎになっている問題も、世が世ならば握りつぶすことも可能だったのに、ネット上(2chやblog)で余りにも派手に情報が飛び交ったために流石の大マスコミも書かざる終えなくなったというのが本当の所だろう。検察もネット上の情報を元に動いていたことは明らかで、業界内では当たり前になっている構造計算の改ざんが白日の下にさらされた恰好になってしまった。

 同様な流れは新製品の売上にも影響を多いに与えている。例えばSONYのWalkmanやMicrosoftのXbox360がその代表である。過去の実績がものを言う世の中ならば両者とももっと売れていたバズだが、今はそんなに甘い世の中ではなくなってしまった。いくらテレビでコマーシャルを打っても、あのジャンルを買う人間はCMなどは気にしていない。それよりはネット上での評判と買ってしまった人の意見がモノをいうジャンルの商品なのだ。どちらも、大マスコミ以外では好意的な意見は見られなかった。曰くConnect Playerはクズ(そこまで言っていないかもしれないが大意はそういうこと)だとか、Xbox360は相変わらず出来損ないだ。揚げ句の果てにリアリティを追求したグラフィックは、結局より作り物感が増して不気味になってしまったなどとケチョンケチョンの言われようである。

結論:大マスコミを手なずけることにはほとんど意味がない世の中になってしまった。まさに人の口には戸が立てられない状態がネットなのである。ネットの情報の早さを防ぐ手だてはないのである。大企業だからネットをどうにかしようと考えると火傷を負ってしまうだろう。SONYやMicrosoftはネットワーク時代を生き残れる企業ではないと言うことなのだ。

火曜日, 12月 20, 2005

さすがはSoftbank

 楽天にがっかり(薄々ダメなのは解っていたが)していたが、USENに続きSoftbankも無料でのビデオストリーミングを始めた。やはり、ヤクザな会社は目のつけ所が良い。放送局を独占することの無意味さはテレビ朝日の買収の時に身をもって知っていることが大きいのかもしれない。これで、放送とネットの統合へ向けての第一歩は踏み出された(ちと大げさだが)。後は、放送局がコンテンツを売るiTMSにどう歩み寄るかにかかっている。

 ネットで番組を見る(P2Pで音楽データのダウンロードと同じ)経験を積んだユーザーは、テレビを見る(CDを借りる)ことから、コンテンツのダウンロード購入(音楽ダウンロード)へと進んでいく。つまり、垂れ流しから選択へと進んでゆくのである。テレビの視聴と言うのは実は暇人の時間潰しの要素が強い。時間があるからテレビの時間に合わせてテレビを見られる訳だ。そして時間がない時には、ビデオ録画していたわけである。アーカイブされたコンテンツを自分の都合に合わせて見ることが出来ることがこれから重要になってくる。そのきっかけを、USENやSoftbankが作り出すだろう。コンテンツ自体は今の所、金が取れないようなものが多い(ここが重要)が、いずれは金の取れる旬なコンテンツをiTMSなどの有料ダウンロードサイトに提供するようになるだろう。

結論:ネットコンテンツは、音楽同様大量にストックすることに意味がある。一社に目がくらむようではコンテンツビジネスとは言えないのである。少なくともどこかの放送局を買収して自社向けのコンテンツを作らせるような悠長なことをやっている時間は無いのだ。

月曜日, 12月 19, 2005

天皇家と皇室問題を混同するな

 バカばかりの皇室問題の諮問機関が、女帝容認と言う馬鹿な結論を出した。あいつらは自分たちの考え方が如何に間違っているかをこれっぽっちも気付いていない。つまり皇位継承権を天皇一家の問題と勘違いしている。そもそも皇位継承権は今生天皇の一家に天皇を続けてもらうために出来上がったシステムではない。普通の家庭であれば一家が絶えないように婿を貰おうがどうしようが構わないが、皇室でこれをやってしまうといずれはどこの誰の流れを汲むかを問うても仕方がないものになってしまう。それを防ぐために宮家を造って血の流れを絶やさないようにしたのが日本の伝統だったのである。つまり天皇の父が天皇の血筋(例え妾腹であっても)でなければいけないと言うのが最低のルールだったのだ。

 もちろん、これは建前かもしれない(絶対そうだとは言えないようなことが過去に何度か見られる)が、しかし今回の試案ではその建前を捨ててしまっている。過去に権勢を誇った、蘇我氏や藤原氏などの豪族は天皇の外祖父にしか成れなかったため、権力の座を結局降りる(つまり新たな外祖父が誕生することによって権力は交代した)システムが機能していたが、今回の女帝容認論はその根本原理を崩してしまっている。要するに天皇家と言う希少種のDNAが続けばいいと言う考え方だ。それは理系の人間が考えそうな浅い考え方であろう。

 皇室のシステムは、御三家と言う形で徳川でも使われた。だからこそ徳川は265年も続くことが出来たのである。そのシステムとは、創始者の男系の血を絶やさない為には予備の家系を残す必要があると言うことだ。つまりいくら妾腹を置いても家督相続者が全く跡継ぎがいない場合(常陸宮や高松宮家は跡継ぎが全くいないのでもう宮家の意味を失ってしまった)もあるから、別な系流を必ず残すようにして父方の血を絶やさないという方式をとってきたのだ。それがあったからこそ天皇家は絶えることなく連綿と続いてきたのであり、単なる縁戚関係だけで残ってきた訳ではない(くどいようだが本当の所はかなり怪しい)。そのためには戦後皇籍離脱された(血が繋がっていないのでなく米軍の恣意的な理由で廃止)宮家を復活させることによって、建前を守るべきではないだろうか。

結論:戦前の宮家まで拡大すれば、男子がいない訳ではない。日本の伝統からすればその宮家から新たに天皇が誕生するのが本来の姿である。そうしたとしても妾腹を許さない現在のシステムでは焼け石に水かもしれないが...女帝を認めると言うことは新潟のトキと同じになってしまうと考えるのは私だけだろうか。

木曜日, 12月 15, 2005

姉歯のヅラは伊達じゃない

 わたしゃ忙しかった(勤務時間中)ので中継を見ることが出来なかったのだが、相変わらずの茶番が行われていたようである。今回の事件に加担している(他にも沢山いるんだけど)連中はどれもこれも怪し過ぎる(それぞれにバレバレということ)。姉歯のヅラは間違いなくヅラだし。後は禿げを隠していない以外は隠し事ばかり。どいつもこいつも裏では創価学会人脈ばかりだしといのがまず最初の印象である。

 さて今回の本題は、誰が今回の事件を本当の意味で利用しているのかである。鈍い人には解らないかもしれないが、今回の最大の目的は小泉の失脚なのである。実は創価学会ぐるみといったが、自民党のなかでは取り分け関係の深い派閥が森派なのだ。証人喚問の前に偽装離婚して財産を隠してしまった内河以上に、事件の成り行きにびくついているのは小泉その人かもしれない。ヤクザ系の話ならば裏で片をつけられる彼でもこればかりはどうにもならないかもしれない。国土交通省官僚を敵に廻している小泉を倒すために、一肌でも二肌でも脱いでくれる官僚はいくらでもいるだろう。

結論:今回の事件で小泉まで行くかどうかは今の所不明であるが、その気になってマスコミが掘りまくれば埃どころかとんでもない黄金のウンコさえ出来そうなネタなのである。まさにここ掘れワンワンだ。

みずほ証券にも三分の理

 バカな注文を掛けたと言うことで責任を問われている、みずほ証券(バカなのは間違いない)だが、実は今回のご発注で白日の下にある事実が浮かび上がってきた。それは東証のシステムには相変わらず設計ミスがあると言う形で発表されたキャンセルが出来ないのことではない。キャンセルが出来なかったのはバグなのであるが、株式総数よりも多くの売り出しを掛けられた部分は意図的に組み込まれていた仕様だったと言うことだ。

 それはどういうことなのだろう。空売りを効果的に掛けるためには大量の売り注文を出さなければいけないが、総数を超える数を売ることが出来なければ思うような効果を上げることが出来ない。そのため実は証券会社だけは総数を越えたありえない数量を売れるようにシステムが組み込まれていたわけだ。今回のようなご発注が発生したために、それが明らかになってしまったが今迄は、そういったことが行われていることが表に出てこないように出来ていた訳である。

結論:前から株屋なんて堅気のやる商売じゃないと思ってきたが、まさにその通りだったのである。株を売る奴なんてやっぱりロクなもんじゃないのである。それを明らかにしてくれたことに対してみずほを評価したい。

水曜日, 12月 14, 2005

良い子のお薬講座 ~第1章~

 市販薬に関しては色々と詳しい情報をメーカーから手に入れることが出来るが、メーカーのサポートを期待出来ない薬に関しての情報が不足していることは否めない。そこで、基本的な薬に関する情報を少しだけお教えしたい。

アッパー系
メタンフェタミン:エフェドリンから合成された日本オリジナルの覚せい剤。商品名は「ヒロポン」(疲労がポンと消えることから命名)昭和26年に覚せい剤取締法が出来てしまったため現在はメーカーのサポートを受けることが難しくなってしまった。個人業者(893)の取り扱う商品は”スピード”、”アイス”、”シャブ”、”S”などと言われて販売されている。副作用として、強い禁断症状、幻覚、人格崩壊、精神障害など軽微な問題が発生するが、ユーザはあまり気にせずにはまっているようである。新聞などで意味の解らないことをいっていると言う殺人犯は大抵ヒロポンをやっている。風邪薬から作ることも出来るようなのでホームメードで楽しんでもらいたい。

アンメタンフェタミン:今は北朝鮮から高品質のメタンフェタミンが大量に入るようになったので本物の”メタンフェタミン”が増えてきたが、最近まで”シャブ”と呼ばれていた覚せい剤はヒロポンの半分くらいしか効果のないアンフェタミンに混ぜ物をして効果を強くした粗悪品であった。だから私などはシャブと言えば”アンフェタミン”、ヒロポンこそが”メタンフェタミン”だと未だに思っている。

クラック:コカインに重曹(炭酸水素ナトリウム)と少量の水を混ぜて作った貧乏人用のコカイン。重曹との相性が思いの外良かったらしくたった一回でも中毒になると言われるほど依存性の高い薬である。

コカイン:もともとはコカの葉から抽出され、麻酔薬とて利用されていたが今では完全に化学合成で作ることが出来る。アンフェタミン系の薬物のように殺人を犯すようなことは滅多にないが非常にハイテンションになってしまうため、おかしいことはすぐに解ってしまう。元はコカ・コーラ(コカはコカインのコカである)にも入っていたが、現在は含まれていない。残念なことだ。

ダウナー系
メタドン:もとはヘロインなどの麻薬中毒患者の治療用に開発された合成麻薬であった(今でも一部では使われている)が、ヘロイン以上に依存性が高いことが解ったため現在は中国などの一部の国以外では使われなくなっている。

ヘロイン:アヘンを精製して抽出されたモルヒネ(麻酔薬)をより強力にしようとして作り出された薬であるが、麻酔薬をしては失敗であった。そのかわり非常に深い幸福感に浸れるという副作用が有りこれの虜になってしまうことが明らかになったため、その筋で愛用されるようになったのである。その中毒性と禁断症状の強さはヒロポンと双璧をなし、薬をやめるか人間を止めるかの二者択一になってしまう。大抵は廃人の方を選ばれる方が多いように思えるが、日本ではあまり普及していないようである。

LSD:元はカビの生えた麦を食べると幻覚が見えることから抽出された幻覚剤であり、幻覚の内容が精神病患者のそれに酷似しているため精神病の研究のために利用されていたが、いつのまにか研究を離れて独り歩きをしてしまった薬である。運動能力が格段に落ちてしまうことと精神に与える影響が強いため精神病のキャリアは完全に狂ってしまうと言う問題を起こしてしまう。気が大きくなる(空を飛べる)から気が小さくなる(怖くなって死にたくなる)まで幅広い症状を起こすといわれている。

結論:世の中には色々な薬があるが、中には用法を間違わなくても(用いること事態が間違い)体に良くない薬がある。大抵そのような薬は法律で規制されているが、どういう訳か現在は入手が非常に簡単になっているようである。やりたい奴は勝手にやればいいと言いたい所だが、間違いなく他人に迷惑をかけるので販売をやめて欲しいものである。

Xbox360はやっぱりXboxだった

 どういう意味かとお悩みの諸兄は次のページをご参照下さい。Microsoftの仕込みと病人(ゲームで頭がいかれている)を動員して渋谷(大体ゲームオタクと渋谷は水と油である)で盛り上げたつもりだったのに、お客様は正直なもので前評判の悪さからバカ以外買わなかったようである。売れていないと言う評判は各新聞で小さく扱われているが、ネット上では周知の事実として広まってしまっているのでもうアウトであろう。そもそも、ああいったゲーム機を買う人はマニアであるからネットを見ることは当たり前。Walkmanを買う連中がネット上の情報に疎いのと違って悪い評判はあっという間に広がってしまうのだ。きっと手に入れた連中も自作のパソコンの方がゲーム機として買っているなどという自己満足に浸るために購入したに違いない(ここまで来るとXboxを買った人に対する名誉棄損になるかもしれない)。

 というわけで(今回は文章的に成り立っていそうだ)日本ではXbox360は既になかったことになってしまい、後はSONYと任天堂のゲーム機の戦いに興味は移ってしまったようである。PS3を買うのはどんなマニアか知らないが(恐らくCGマニアだろう)、臨場感がゲテモノと紙一重だと言うことを解っていないゲームクリエーターによるちっとも面白くないゲームが沢山出てくるだろう。PS3はCG製作用のレンダリングマシーンとした方がよっぽど儲かる(筐体を換えて2桁高くしても売れると思う)のにと思うのは私だけだろうか。

 ここでXbox360を売るための起死改正案をご教示しよう。どうせ糞ゲーしか出来ないのなら、本当に糞にまみれるその筋のゲームに特化したらどうだろう。スカトロ、陵辱、ゲテモノならXbox360じゃないと出来ないというコアな世界に入っていければ成功(性交の間違いか?)したも同然の快楽を得られるだろう。

結論:これでMicrosoftの日本法人のトップはまた交代が決まった。もしかすると日本法人は解散かもしれない。それくらいにダメな結果である。ただ本当の問題は、日本人のように目の肥えた人々に納得してもらえるような商品を作れないMicrosoftなんだけどね。

月曜日, 12月 12, 2005

芸能界裏事情〜第4章〜

 芸能界を色々なジャンルに分ける方法があるが今回は、趣味思考の観点からダウナー系とアッパー系とで色分けを試みた。

アッパー系:小学校、中学校と被差別対象(人種や学力、身分などで言われ無き差別を受けてきた)にされたことから、最下層の人間達(不良やチンピラ、ヤクザ)との交友から、ボンド、シンナーなどの有機溶剤からスタートしシャブなどの覚せい剤に走ってしまうコンプレックスの塊の人達。アッパー系の問題点は捕まっても絶対に止められないところである。見分け方はVシネマにはまる顔である(そう見えるけど朝鮮系だと言っている訳じゃない)。破滅型とも言う。キーワードは貧乏。
田代まさし(在):覚せい剤と覗きで逮捕と言う代表選手。人間は疾うの昔にやめている
清水健太郎(在):大麻から覚せい剤へと寝返った鬼畜である(裏切り者め)
岩城滉一(在):族系歌手としては大物である
江夏豊(在):若い頃からやっていたことは間違いない(それで心臓を壊した?)
大木ひかり:上方漫才大賞の授賞式の日にそこで逮捕されると言う凄い過去を持つ
岡村靖幸:何度も捕まるなんて覚せい剤なら仕方がないか
尾崎豊:覚せい剤が原因のショックで死んでしまったためアッパレと言われている
克美茂(在):殺人と覚せい剤で2度逮捕の典型的な破滅型
翔(在):やってない方がおかしいに決まっている
室田日出男:本職がかう製剤の売人だったのではないかと思えるくらいその筋の顔である

ダウナー系:被差別対象がどうかは別にして、若い頃から金に困らない生活(リッチ)だった連中に多い。いいとこのボンボンや親が芸能人などが多く、マリファナからコカインに進むのが正しい道のりである。たまにヘロインに進む場合があるがこれは極く一部に過ぎない。またアッパーとダウナー両方で捕まるような奴は”見境がない”と言われ芸能界でも相手にされなくなってしまう(どちらかだけならば良いのかと疑問を持つ方もいるだろうが大体芸能界に復帰出来ているところをみると良いと言うことなのである)。神懸かりな人(幻覚を現実と勘違い)がこちらには多い。キーワードは大金持ち。
いしだ壱成:見るからにダウナー系、お母さんがそっちの世界では有名だったので仕方がない
井上陽水:実家は医者
吉田拓郎:陽水から奨められたのだろうか?
上田正樹:実家は医者
内田裕也:見た目はアッパー系だが良いトコのボン(金持ちの不良ということ)なのである
勝新太郎:悲壮感がないところは典型的なお坊ちゃま系(バイセクシャルでもある)
角川春樹:彼は結局神になってしまったらしい(イっちゃたと言うこと)
カルーセル麻紀:オカマから女(いきなりばあさん)になったゲイ能人代表
カルメンマキ:珍しくヘロインにも手を出していた
桑名正博:典型的な大金持ちのバカ息子
ジョー山中:ハーフだったので手に入れやすかったのだろう
ディブ平尾、アイ高野、ミッキー吉野、柳ジョージ:同好会メンバー(一斉検挙)
にしきのあきら(帰化):アッパー系でも不思議ではないが実家は
ないとうやすこ(在):この人も出来ればアッパー系の方が似合うと思う
長渕剛:アッパー系のように見えるが以外に軟弱である(覚せい剤で死んでみろ)
萩原健一:マリファナで壊れてしまった珍しいタイプ(ハッパ吸い吸いお遍路か)
槇原敬之:ゲイだけではなかった
美川憲一:覚せい剤もやっていたと言うが、学会の力で干させることはない

結論:貧乏で虐められると覚せい剤にはまり、金持ちだったりハーフだったりするとマリファナを吸ったりする。アッパーに在日が多いのは負けてはいけないと言う強迫観念とヤクザの組織が結びついた結果だろうし、金持ち系にダウナーが多いのはいい加減な生き方が可能だから(金に困ることがない)だろう。両者をまたにかける人が少ないことから部族が違うとさえ考えられる。またアッパー系はいく所までいってしまう(殺人や他の重犯罪)人が多いので手を出してはいけないのである。

芸能界裏事情〜第3章〜

 ヅラに関した話題のリクエストがあったのですが、その筋には詳しくないもので仕方なく有名どころだけ話題にしたいと....(こんなところで逃げをうつなんて)
 ただ良く言われているヅラ疑惑のうち実はヅラではないものも多く含まれていることも明らかだ。その辺りの違いに少しだけ触れてみたい。簡単な定義、ヅラとは地毛かカツラか微妙な場合に定義されるものであり明らかにかぶり物はヅラとは呼んではいけないのである。どうやらネットで噂に出てくる人の多くは私の定義ではかぶり物派に成ってしまうようだ。

かぶり物派(世間ではヅラと言われているが禿げを隠すために被っている訳ではない人達)
パンチョ伊藤:故人の名誉のために言いたいが、あれはヅラではなくシャッポである
和田アキ子:あれはヅラではなくプロテクターである(頭がい骨保護のため)
黒柳徹子:あれは化粧ボックスである。ヅラ以上に素顔の方が謎らしい
かまやつひろし:グラムロックに憧れて被ったはいいが脱げなくなってしまっただけ
神田川俊郎:あれは神田川の暖簾である
小倉智明:あれは衣装である(本人は気にしていないが番組的に見苦しいので付けさせられているとの噂あり)
栗本慎一郎:いつもずれているものを疑う必要は無い
美川憲一:ヅラではなく衣装である。取って禿げかどうかは問題ではない
松平健:暴れん坊の時にはどうもヅラを付けているらしい(頭大丈夫か?)

ヅラ派(本人は地毛と思わせたい真性のヅラ芸能人)
加山雄三:年々減っていたものが増え始めたのは株価じゃないのだからおかしい
神田正輝:禿げだったので離婚になったらしい(本当かいな)
なぎらけんいち:ヅラだと暴露して殺され掛けた人がいるらしい(シャレかもしれないが)
中井貴一:髪形が変ったのを見たことがない(特に不揃いでない所が怪しい)
関口宏:白髪の所が作り物臭い(人間的に裏がありそうで嫌いだ:偏見です)
渡瀬邦彦:兄弟揃ってそうらしい。もしかしたら石原軍団はみんなそうなのか?
小林稔侍:明らかにそうである。きっとキャプテンウルトラの時のかぶり物がいけなかったようだ

疑惑派(ヅラではなく植毛をしている人達、禿げであることは間違いない)
草彅剛:少しずつ植えていることは間違いない
堂本光一:たまにネタにもしているが、カムフラージュ臭い
東山紀之:何故かジャニーズばかりである
中井正広:また出た

結論:かぶり物派は疑う必要が無いほど立派な異物を頭に抱いている人達。ヅラ派は生え際を見れば解るレベル。疑惑派は、アイドルが禿げる前(薄く成り始め)に植毛を開始すると言うパターンである。何故なら若い時からマークされているため急にヘアースタイルを変える余裕がないからである。反対にかぶり物派は既にトレードマークになってしまっているため取ることが不可能になってしまった人達なのである。

日曜日, 12月 11, 2005

暗い唄が聞こえる 〜第5章〜

 前回の例が良いか悪いかはこの際置いといて(無責任だ)、4畳半フォークと暗い唄の比較を続けてみたい。4畳半フォークのキーワードは小市民、苦学生、田舎者(ここらで頭に来た人は田舎者である)だが、暗い唄の範疇に入るキーワードは、廃人、ドロップアウト、田舎者(ここで頭に来た人は少しだけ暗い)である。どこがどう違うかと言えば、4畳半派は、不幸自慢のように常にどこかで媚を売っている(要するにかわいそうな振りをしている)のに対して、暗い唄派は、自慢にはならないくらいに暗く(同情の余地など入りようもない)、そして不快だ。要するに4畳半派の唄で少し涙を流すことによってカタルシス(私っていい人?気分)に浸れるが、暗い唄は涙を流してもカタルシスはやって来ない(救いがないとも言う)。中島みゆきのように同じくらい唄でも恋愛に関係しているものが多い(暗い4畳半と言える)。4畳半で問題になるのは物理的な広さであり、暗い唄は心理的な重さが問題なのだ。

 4畳半の不幸は金で解決出来るが、暗い唄は金では決して解決出来ない。そもために酒を飲む、薬を飲む、水を肺一杯飲む(一般には死ぬとも言う)などの方法で簡単明瞭に解決しているのだ。友情や愛情では埋めることの出来ない暗い闇を歌っているのが暗い唄であり、海が死んだり、山が死んだり(さだは死ぬと思っているらしい)してもらわないで、必ず君に死んでもらうことになるのである。

まだ理解出来ていないあなたのためのキーワードのおさらい

赤い手ぬぐい
4畳半:マフラーになる
暗い唄:首を吊る道具になる


4畳半:神田川(赤ちょうちんがある)、ショウロウが流れる
暗い唄:玉川上水(大宰の石碑がある)、君が浮かんでこない


4畳半:酔いつぶれるくらいに飲む(二日酔い)
暗い唄:体が潰れるくらいに飲む(肝硬変)

飲食店
4畳半:喫茶店(流れているのは学生街の喫茶店)
暗い唄:ジャズ喫茶(流れているのはチャーリー・パーカー)

恋愛
4畳半:片思い(告白出来ずに一生思い続ける)
暗い唄:無理心中(自分だけ生き残り一生供養し続ける)

電車
4畳半:飛び乗る(片思いの相手を追いかけて)
暗い唄:飛び込む(快速電車をめがけて)

天国
4畳半:先輩が行く所(お星さまになる)
暗い唄:ハイミナールで行く所(口が回らなくなる)

地獄
4畳半:失恋した時に行く所(地獄のような心の痛み)
暗い唄:薬が切れた時に行く所(地獄のような禁断症状)

一人称
4畳半:僕(男である)、わたし(女である)
暗い唄:僕(女である)、あたい(オカマかも知れない)

二人称
4畳半:君(女である)、あなた(男である)
暗い唄:君(男である)、あんた(オカマかも知れない)

うつろ
4畳半:心が虚ろになる(気もそぞろである)
暗い唄:視線が虚ろになる(薬か酒が原因である)

冷暖房設備
4畳半:こたつ
暗い唄:電熱器

ふるえ
4畳半:寒さか寂しさが原因(もう直抱きしめる)
暗い唄:禁断症状かマヒが原因(もう直息絶える)

結論:4畳半は物理的に測れる不幸を問題にしているが、暗い唄は心理的な不幸が問題になっている(ここでは恋愛のように有り触れた心理的葛藤は出てこない)。失恋して死んでしまうのは4畳半だが(理由がはっきりしている)、玉川上水で泳いでいた君が沈んでしまうのが暗い唄なのだ(自殺なのか事故なのかが判らないが死んだことは間違いない)。

金曜日, 12月 09, 2005

暗い唄が聞こえる 〜第4章〜

暗い唄と言うと4畳半フォークを思い浮かべる人が多いが、4畳半フォークは暗い唄の範疇には決して入ることはない(少なくとも俺の目が黒いうちは)。4畳半フォークは暗いのではなくせこい唄なのだ。じゃあどこが違うのよ疑問を持っているあなたのために簡単にご説明させて頂きたいと想います。

キーワード:死
4畳半フォーク:憧れの先輩が交通事故で死んでしまって、そして必ずお星さまになる。
暗い唄:薬の飲み過ぎか、酒で体を壊して野垂れ死ぬ。或いは玉川上水に気付いたら浮いている。

キーワード;季節
4畳半フォーク:冬にかじかんだ手をこすりながら、彼氏の帰りを街灯の下で寂しく一人待つ。できればそこに電報で彼氏の死を知らせる連絡が来て欲しい。
暗い唄:夏の暑い盛りの真っ昼間、汗まみれになりながら薬で眠り続ける君。結局目が覚めることは無く、僕はそれをじっと見つめている。汗をかいている唄なのに心は冷え冷えとするばかりである。

キーワード:小道具
4畳半フォーク:手編みのマフラーやセーターは欠かせない。ようするに手作り感が愛情だと勘違いしている訳だ。ただ貧乏臭いだけである。正直寒い。
暗い唄:注射針、薬瓶、カミソリの刃。ようするに死ぬ時に必要なものが中心となる。これらの道具は通常クレゾールの匂いがしそうだが、有機溶剤の臭いを感じるから不思議だ。こっちは本当に寒い。

キーワード:デート
4畳半フォーク:公園のベンチで一晩中語り明かす。
暗い唄:公園のベンチで君の口がうまく回らなくなってくる(薬が効いてきたか、死にかけているらしい)。

結論:4畳半フォークは不幸にしても、幸せにしても三文芝居のようにありふれた小市民の域を出ていないだけではなくとってつけた様な設定に作り物であることが明らかであるのに対して、私が信奉する暗い唄は、普通の人が死ぬまでに経験することの無いアナーキーな死の臭いがプンプンしているし、実際はもっと凄いことが起きていたんじゃないかと新聞の縮刷版を閲覧したくなるようなものである(起きていれば刑務所に入っているとは思うが)。と言う訳で4畳半フォークに浸るのはブスな子で、暗い唄にはまるのはいかれた暗い男(俺のことか?)である。

芸能界裏事情〜第2章〜

 前回は芸能事務所に関して書いたが今回は個人のお話を少々。

ゲイ能人
松平健:勝新の稚児からスタートしたともっぱらの噂。大地真央(レズ)とは分かれたが偽装結婚であったことは間違いない。その筋とは言え子供が欲しかったので真性レズの大地では無理だったのである。真島茂樹(ゲイ)とは挿しつ挿されつの仲と疑われている。

石坂浩二:彼もホモセクシャル同士の偽装結婚(仮面夫婦)として有名であったが二度目の結婚をする。その魂胆がどこにあるのかは現在不明。直腸を使い過ぎたせいで直腸ガンになったともっぱらの噂です。

カバちゃん:カミングアウトしているので今更であるが、同棲していた恋人のマイケル(富岡ではないほう)も、如何にも過ぎてちも面白くない。

森田健作:吉川君よりも好きなのは”俺は男(石橋正次)!”だった訳である。

平井堅:レイザーラモン以上のHGらしいが、彼のハードプレー(ソフトは見たことあるのか?)を見たことはない

槇原敬之:彼はお薬(麻薬)だけでなく男もイケル口らしい。いとこのローリー寺西同様血がそうさせるとしか言い様がない。

織田裕二:これも有名だが、現場を押さえた訳ではないので確証はない。

福山雅治:女役が主な様で、結婚は出来ません。挿すのは男でも女でも変わりないので結婚も可能ですが挿されるのが専門では女性では上手くイキません(そういう意味です)。

沖雅也:これも有名過ぎて今更だが、その世界では有名であった。

西城秀樹:芸音の頃は間違いなくゲイであったが、今どうかは定かではない。脳梗塞になったので趣味が変わったかもしれない。

大地真央:この人も有名過ぎて...宝塚ってやっぱりその筋が多くなってしまうのでしょう。

結論:だからどうだと言われれば、どうでも良いとしか言い様がないが取りあえずネタなので勘弁して欲しい。真性のゲイ(異性はダメ)だけじゃなく両刀遣いはかなり多いことは確かである。女の噂が極端にない場合は事務所がしっかりしているか、その道の専門家なのである。女と違って男の口は極めて堅いのである。要するに硬いモノで絆が結ばれているのだ。

木曜日, 12月 08, 2005

芸能界裏事情〜第1章〜

 芸能界と言う闇社会に淡い憧れを持っている方々に道を誤らないような小さな手助けが出来たならと新シリーズを始めさせて頂きます。そうは言ってもこの業界との関係は薄く、実のところ本当なのと言われれば、都市伝説かもと言うようなものも多数含まれているかと...まあ取りあえず過去の芸能事務所のお話からお付き合い頂ければ。初回はその筋(色んな筋)限定の話題を...

2丁目系(いわゆるそっちの筋)
サンミュージック
岡田有希子の自殺で事務所の所在地そのものが名所(四谷4丁目)になってしまった事務所は、現在はどうか知りませんが、自殺されるまで芸能人の下半身の管理を一切行わないことで有名でした。事務所の場所柄か男性はその筋が多く(ホモともいう)、所属タレント同士(森田健作と石橋正二)がそうだったというような凄い状況でした。社長そのものはストレートだったので女性アイドルを召し上がることで有名でした。松田聖子や桜田淳子がああなってしまったのもその所為だと言う意見もあるかも。ここの事務所はいい年して独身の男性が多いことでも有名でした。

芸映
今は個人事務所になっていますが、西城秀樹の事務所として有名でした。ここもご多分に漏れずその道では有名で(ゲイ映とさえ言われていました)。忙しいタレントの性の処理は同性のマネージャー(秀樹のイモダチ)がお相手いたとさえ言われていました。女性タレントとのスキャンダルを警戒するあまりにその道に進んでしまったと言われることもありました。ここは下半身を管理し過ぎる会社でした。

ジャーニーズ
社長自らカミングアウトしている(してないかもしれない)その筋の大手事務所。もともとは渡辺プロに社長の好きな(色々な意味で)男の子のマネジメントを依託して始まった事務所であったが、ホモはブスと田舎者(異性に持てないということ、深い意味はない)に受けると言うセオリーでいつしかナベプロを凌駕する存在になってしまった。どう見てもオカマにしか見えなかったデビュー当時の郷ひろみは、実はノンケだったのでバーニングに移ったと言う噂もある。その道では有名なジャニーさんだが、誤解して欲しくないのはデビューの為には尻を差し出さなければいけないということはないらしい。お知りを貸さないでもこれはと思った子はデビューさせる度量を持っているのがジャニーさんなのだ。

893系(伝統的なあっちの筋)
バーニング
今の芸能界を牛耳っているドン(周防氏)が作った会社。私の良く知っていた頃はまだ郷ひろみ(ジャニーズを抜けたため当初は結構辛かったようですが周防さんのヤクザな力で見事復活)し位しかいない個人事務所でしたが、今は業界に対する影響力は絶大です(他の事務所の生殺与奪権を所有)。もともとがハマコー(暴力団組長)の子分だったので流石のジャニーズも手出しが出来なかったと言うのが正直なところです。バーニングそのものは大きな事務所とは言えませんが舎弟と呼べる連中を傘下に置く体制で芸能界を牛耳っております。今テレビ番組を自由に操れるのはここと、ジャニーズと、研音と吉本くらいです。

渡辺プロ
今は往時の力を持っていると言えないが、米軍のキャンプ廻りから始まった芸能活動もフジテレビとの深い関係(芸能人かくし芸大会など)をもとに強大な帝国を気付くに至った。先代の渡辺晋と山口組、渡辺ミサと中曽根の関係などいわゆる右寄りの団体(ヤクザともいう)との広い交友をもとに勢力を広げていった。弱小の事務所も少なからずここと同じような状況(半分ヤクザ)ということである。

結論:芸能界と言うくらいで本当にゲイが多い。いい年して女の噂がない奴はゲイだ(本当かい?)。そうじゃなければワケアリ(企業舎弟)ばかりだ(まずくないか?)と言う訳でこれ以上は今回は遠慮します。

新譜はCDで出ません

 音楽業界(レコード会社)は、どうやって配信事業を自分たちの思惑通りに操ろうかと考えている(そりゃ無理と言うものだ)が、ミュージシャン達は配信で新しいマーケットに打って出ようとしている。その先べんを付けたのがSONYの参加しないiTMS用の楽曲を提供する形でSONYに決別した佐野元春だったが、その後も爆風スランプ(現在どこのレコード会社にも所属していない)などが配信だけで新曲を発表するようである。契約問題でCDを発売出来ないGLAYなどもいっそのこと配信に切り替えてしまったら良いかもしれない。

 レコード会社から提供される製作費を元に、事務所を維持すると言う悪しき習慣(歌謡曲のレコードなどはこれで成り立っていたことを皆さんはご存知無いようだ)で成り立っていた業界が再編されようとしている訳である。これからは楽曲の版権をレコード会社に譲らず、著作権協会にも参加しないで音楽を売ってゆく事務所が増えるのではないだろうか。サザンやユーミンの様に売れても売れなくても予定ロットの印税を貰える契約をしているミュージシャンは別格として搾取する中間を中抜きした方が実入りが多いことは確かである。今迄はCDを売るには流通経路を多く持っている会社との契約することが必須であったが、これからはその必要は無い。もうレコード会社の存在理由は無くなってしまった訳である。

結論:レコード会社はCDのコピーを防ぐことを考える前にすることがあったのに、それを怠った。そのツケはiTMSに始まる真の配信ビジネスによって明らかにされてしまったのだ。もうCDに存在価値は無くなったと言うことである。レンタルを許した時にコピーを許したことに気付いてないのだとしたら大馬鹿者だ。MDで小銭を回収することにしたその品性の低さは只者ではない。昔のようにヤクザな連中(そもそも興行なんて堅気の商売じゃない)が経営していたならばもっと良い解決法を考えただろうな。

火曜日, 12月 06, 2005

論理的思考は論理的ではない

 私の大嫌いな企業の化けの皮がはがれ始めている。DellしかりWall Martしかりなのだが、どちらも世間がおだて上げたビジネスモデルが間も無く破綻しようとしている。特に経営者以外には非常に評判の悪かった(組合を認めず労働者からの訴訟を山のように抱えている)Wall Martは人件費と仕入れを極度に押さえつけたツケが出始めている。あれだけ巨大であると商品の仕入れを失敗した場合(安ければ何でも良いという理屈)に取り返しの付かない不良在庫を抱えてしまうリスクを抱えている。取引はえげつないものなので、業者はWall Martが強ければ否応無しに従うが、出来れば付き合いを止めたいと考えている。歯車が狂い出すと以外にもろいのだ。今は、まだそのような段階に入ってはいないがうかうかしていると地獄に落ちることになる。

 Dellはどうなのかは良く知らないが、Wall Martは社員の社会保障を殆ど行っていない。最低賃金で社員を雇っているため社員の大半はミールクーポンで生活している(要するに生活保護だ)。つまり人件費を最低に抑えることによって成り立っているのがWall Martなのだ。社会的責任を一切負わないことによって利益を叩き出している会社が素晴らしいなどというのはどう考えてもおかしいのに、素晴らしいというのだから今の経営者の倫理観は本当に腐っている。そんな会社には退場を願うのが我々の責務だろう。

結論:社員を大事に経営者のふところばかりを気にしている企業は淘汰される時期に入った。抵抗すればいずれは暴動と言う形で抹殺されるだろう。銭勘定は短期的には論理的なように見えるが長期的に見たら非論理的な考え方なのである。200年かそこいらしか歴史の無い国はやっぱり浅はかなのである。

木曜日, 12月 01, 2005

失敗じゃない

 楽天の三木谷社長はTBSの株買占めを失敗じゃないと仰ったようである。私も同意見だ。あれは失敗ではなく、墓穴を掘っただけだ。今迄ジジイ殺しで伸してきた楽天は、実はIT時代をわかっていない前時代の遺物であったことを自ら世の中に示してしまっただけなのである。これで、楽天のセンスはライブドア以下(ライブドアは金で金を生むなら何でもやると言う企業)だと自ら宣言してしまった。テレ朝を買おうとしていた頃のソフトバンクほどの将来に対する展望も持っていないことがばれただけなのだ。

 大体、ITの社長が野球の選手か暴力団員にしか見えないような髪形をしてはいけない。そこまでやるのならば、清原のように行ってしまった(ストリートのジャンキーの世界)方がいいくらいだ。ジャンルは違うが、もともとヤクザな商売(ヤクザの商売の間違いか)だった有線放送は、立派にITしている。どういうことかと言うと、コンテンツとは客集めの道具であって売り物でない(金を取るものではない)ことを知っていると言うことだ。これからは情報化時代(ネットワーク時代)なので情報で金を得ることは出来ると、世間知らず(馬鹿とも言う)は思い込んでいるため、情報が金になると思いこんでいる。しかし現実は全く逆だ。有象無象の情報は金にならないのがこれからなのだ。だからこそ、禄でもないソフトしか作れないMicrosoftは先が見えていると私は言い続けているのだ。

結論:ネットで成功した楽天は自分たちをIT企業だと勘違いしている(多くの一般人も)が、前から何度も言っているように縁日のテキ屋の親分と同じ場所貸しだ(だからヤクザ面になってしまったじゃないか)。今回の騒ぎは、そういう連中にはネットの未来は描けないと言う良い見本(勘違いしている連中には悪い見本)になったのである。株価も下がったことだし一般投資家は三木谷さんより頭が良かったようである。

水曜日, 11月 30, 2005

SONYピクチャーズは、やっぱりSONY

 SONYの悪口を生き甲斐にしている訳ではないが(あげつらうネタが多すぎるのだ)、またまたSONYグループの一員であるソニーピクチャーズが、信じられないような決断をした。BlueRayディスク陣営で最先端の技術を必要としているはずなのにビデオコーデックにMPEG-2を採用すると言うのだ(血迷ったか、別な馬鹿な意図がどこかにあるに違いない)。今更10年以上も前に作られたものを何で使わなければいけないのと言うのが、正直な気持ちだ。そりゃ初代のMPEGを使うのと比べりゃ良いかもしれないが、フルHD(フルハイビジョン)までカバー出来るH.264を使わないと言うことは、どうにかしてBlueRayを必要とするファイルサイズにしたいと考えているようにしか思えないのである(H.264を使うと大抵の動画はMPEG-2の半分から3分の1に圧縮できる)。

 もしかしたら、誕生から10年以上を経過してDVDでの実績もあるためこなれた技術だからとでも言いたいのだろうか。そりゃ何でも新しいものが良いとは言えないが(SONYのCONNECT Playerは、悪名高きSonicStageよりも出来が悪いらしい)、1メーカー(SONYのこと)が作るソフトと標準化団体の仕様を同列に扱ってはいけない。心理的に嫌なのはわかる(最初のMPEG-4のコーデックはAppleのQuickTimeだった)が、そこまで意固地になる大人げない。H.264をサポートすると宣言し、実際に既にサポートしているのはAppleかもしれないが、Appleオリジナルのコーデックではないことは確かだ。SONYさん以外はMPEG-2は使わないのだからやっぱり止めるべきだと思う。

結論:ここで大事なことをポロリと...実はH.264で圧縮した場合現行のDVD(2層ならば)で映画が収まってしまい、BlueRayもHD DVDも必要ないのである。要するにファイルが小さくなってしまっては困るのだ。そんな姑息なことをやってる間にプラスチックメディアの不要な世の中になってしまうのである。

月曜日, 11月 28, 2005

ウォークマンAはやっぱりウォークマン

 Appleに先を越されって漸く登場したウォークマンAは、やっぱりSONYの商品だった(馬鹿にしているんだよ)。インテリジェント・シャッフルと言う機能はAIを使っているらしいがそれ以前のインターフェイスの完成度があまりにも低いためにソフト屋さんの顰蹙を買ってしまっている。これではいけない。どんな凄いことでも基本がしっかりしていなければ何にもならないことが解っていないと言えるような出来では売る気が無いと言われても仕方ないだろう。

 ハードスペックなどは使い勝手よりもどうでも良いものだと言うことが未だに解っていないSONY。いわばベンチマークテスト(日常で使うアプリレではないと言う意味)以外では使い物にはならない様なものを自慢するに等しい行いを未だに続けているのだろう。詰めが甘いと言えば一言で済んでしまうかも知れないが、考えが甘すぎると良い変えても良いだろう。

結論:新生ウォークマンが売れるのは初期購入者が、がっかりするまでの間だ。もう既にがっかりが始まっているのでSONYは寂しいクリスマスになりそうである。

Xbox360はクラッシュしない

 少し前にXbox360が早速クラッシュしてしまったと言う話を載せたが、これは私の早とちりだったようである。どうやら、長い時間ゲームをし過ぎないように搭載されている機能のようなのだ。ゲーム遊びにばかりうつつを抜かすことが無いようにコンセプトとして標準搭載された機能なのだと言う。確かにゲームも盛り上がってきたところで行きなりクラッシュ(どうみてもそうしか見えない)してしまうことが、度重なれば誰もXboxで遊ぶ人はいなくなってしまうのは間違いない。何と言う哲学的なコンセプトを持ったゲーム機なのだろう。但し問題が無い訳ではない。私のように古今東西の哲学に精通した(本当かい?)人間には理解出来ても、ただの馬鹿(そこまで言う権利を私は持っている)には、クラッシュにしか見えないのでは無いだろうか。

 それと余りに基本仕様に沿って動き過ぎる(度々落ちるように見える?)と、皆PS3やRevolutionに言ってしまうのではないかという危惧も少なからずある。それと、あの馬鹿でかいアダプターを絨毯の上などに置いておくと発火する恐れがあるらしい。これなどは、ゲームを続けることが如何に危険かを身をもって知ることが出来る素晴らしい機能だと言える(馬鹿な親は、Microsoftを訴えて賠償金をくすめようとするだろうな)。

結論:高い金を出してクラッシュするようなゲーム機を買わされたユーザは良い面の皮である。DSでも買った方が子供にも喜ばれるだろう(ゲームオタク向けじゃないか?)。

金曜日, 11月 25, 2005

ヒューザーのマンションは広くて安い

 前からちょっと気になっていたのだがヒューザーのマンションは外壁断熱工法(工賃が高そう)で作られていて100平米を越える物件を"売り"に販売してきた。広くて安い理由が強度不足だったとは思いも寄らなかった。そりゃ、柱が少ないんだから広いわな。

結論:広くて安いと言うことは掘っ立て小屋と同じ作り方だと言うことである。高層のバラックともいうかも。洒落にはならんが。

木曜日, 11月 24, 2005

Xbox360は赤字価格

 試算をしてみたところXbox360の製造価格は550ドルで販売価格は400ドルらしい。つまり1台売れるごとに150ドルの赤字になる計算だ。大ソフトメーカーだから可能な価格設定に対抗してそれ以上に製造コストのかかるSONYは、ブルーレイで儲けられなければそれこそPS3のせいで墜落である。当然一番マシーンスペックにこだわらなかった任天堂が価格競争力があり、なおかつファミコンからCubeまでのゲームを実行可能な環境を用意しているためこれが出てくると乗り換え組のとんでもない需要が発生する可能性さえある。

 実はSONYやMicrosoftのように将来の製造価格の下落と、ゲームのライセンス料を目当てにハードを販売しようと言うビジネスモデルはもう破綻している。一切の値引きが行われていない(一部安く買えることができるが)iPodは、絶対的な価格競争力があり値引きをする必要が無いため製造原価に対して大幅な利益を得られる体制にある。つまりiTMSで曲が売れようが売れまいが大儲けしている訳だ。これをゲーム機に当てはめてみた場合、ゲームが売れようが売れまいがハードで儲けられなければいけないことになる。SONYやMicrosoftはこれとは、全く逆のことを行っている。つまり最終的にゲーム機の価格決定権は、一番最後に発売される任天堂に握られている。任天堂がRevolutionを売るには、独自のキラーアプリが必要になるが、それは既に用意されている(過去の膨大なゲームがある)。任天堂はハードで利益が出る範囲で他社の商品が割高に見える価格を設定してくればいいわけだ。

結論:損して得をとる(ジレットのひげ剃り方式)は、もう時代にそぐわない。ソフトによってハードの赤字を取り戻す前に、ハードの価格を下げざるおえない時代になってしまったのだ。ソフトはネットで無料配信してハードで儲けるビジネスモデルが作れないSONYやMicrosoftのやり方はもう時代遅れなのである。

伝統は決して失われない

 伝統と言ったって余り自慢になる伝統ではないが、MicrosoftのXbox(私はダメ箱ととんでいる)は、360になってCPUがPowerPCに変わっても昔取った杵柄かしらんが、相変わらずクラッシュするようである。250Wも消費電力を喰うというのもちょっと信じられないが、あの電源アダプタのサイズを見れば(PCよりもでかいと評判の悪かった本体は小さくなったが、単に電源を外に出しただけだったのである)EPSかと見まがうこと間違いなしだ。

 前回の失地を取り返すべくいずれは日本でも大々的に宣伝を掛けるのだろうが、ソフトが日本人受けしないモノばかりであれば(今回はスクエニが参加しているが、似たようなCPUを使う次世代のゲーム機全部に同じタイトルを出すことは間違いない)、血の気が多いアメリカや韓国人にしか受けないかもしれない(対戦型のネットゲームにはまる人の多さがXboxのシェアに関わると言うこと)。これは前から変わらぬ意見だがPS3も、PS2に繋がる伝統に固執して映像系に走ってしまっている(BDが売れればそれで良いのだろう)。さて、問題は良い意味での原点回帰をめざす任天堂のRevolutionがどこまで面白いゲーム(年末で家族皆で楽しめるゲーム)を用意出来るかだが、こればかりはフタを開けてみないと解らない。

結論:電源オフにしなければいけないようなゲーム機を出すくらいならば、Ctrl+Alt+Delのキーくらい付けておけばいいのに、それとHDDを積んでいるんだからバックアップくらい自動でして貰いたい。まあ、そんなことをしたらクラッシュした時にはシステムの完全な再インストールが必要だろうけれど....俺の知ったことじゃないのである。

火曜日, 11月 22, 2005

万系一世

皇室は男系の万系一世だとされてきた。それに基づいて作られた皇室典範がついに改正されることになりそうである。それもこれも、天皇家に男の跡継ぎが誕生しなかったことに由来する。古今血統に拘ってきた家系ではもしものことを考え、妾腹を用意して血筋がたえないようにしてきた。これは皇室もしかりである。昭和天皇は大正天皇と同様に側室を設けなかった。これは庶民と同じようにという思いが強かったからであろうが、戦後大幅な宮家の皇籍離脱に伴い皇位継承権を持つものの中に男子がいなくなると言う問題を発生させてしまった。

 現天皇家も、わずかの遡れば嫡流ではなく傍流と言える。女性天皇を認めると同時に愛子様の結婚相手を旧皇族(皇籍離脱された宮家)の男子とすることによって男系に戻すことによってその子(男子)が天皇になることによって可能になろう。まあ、正直に言えば私は2000年も途切れずに続いている家系だとは考えていない(聖武天皇以前の王家はどうやら複数の実力者の集団をさしていたように思う)。

結論:天皇家が万系一世であるかはこの際問題ではない。それよりも天皇家のあり方を(皇族に問うことなく)一庶民に過ぎない諮問委員会が勝手に決めてしまうことに問題がある。皇室はトキやパンダではないのだから、絶えてしまった後に中国から貰う訳には行かないのである。三笠宮殿下の個人としての意見ではなく。皇室の見解を問うのが筋なんじゃないだろうか。

日曜日, 11月 13, 2005

何をやりたいのか訳がわからん

 このところ(前からか?)やることなすこと裏目に出ているSONY(今回はSONY BMG)が、rootkit(マルウェア)を仕込んだCDを販売していたことがばれて、集団訴訟を起こされる可能性が出てきた。対するAppleはnanoの傷の問題で訴えられるかも知れないが、nanoにケースを同梱したパッケージに変更して対応した。同じこっそりではあるが世の中に与える印象の悪さはSONY BMGに軍配が上がるだろう。片やケースをこっそりサービス、片やスパイウェアをこっそりインストールでは、どう考えても分が悪過ぎる。どうしてユーザーが夢を抱けるようなことを考えることが出来ないのだろう。

 客を信じないような企業はもう相手にされないか、どうせ不正にデータを入手するならSONY BMGのデータにしようと考えられても仕方がない行為だと言える。特に今回のマルウェアに関してはユーザに全く知らせることなくrootにプログラムを仕込んだと言うのだから話にならない。これではSONYのVAIOなどは怪しくって買う気にもならないだろう。

結論:SONYと言う企業はもう倫理観も無くすほどに末期症状に陥っている。CCCDの時も音質の劣化を当然としていたが、今回はそれ以上に達が悪かった。そろそろ全ての市場から撤退を願おうじゃないか。SONYの商品を買うのは止めた方が良い。

月曜日, 11月 07, 2005

資本主義市場は魑魅魍魎

 昔は金貸し(銀行)や株屋(証券会社)は下賎な商売だった。それは人の褌で相撲を取ると言う業態そのものにあった。それが、いつの間にやら一流企業となってしまい一流大学を出た者以外に就職が出来ない(就職しても出世出来ない)場所になってしまった。日本の経済にとって銀行業の果たした役目は大きく、今日の繁栄もそのシステムに負うところが大きいだろう。それに引き換え直接金融市場(証券)は何度かのブームが明治以降あったが、80年代のバブル社会になるまで胡散臭い連中のはびこる世界として下に見られていたのは明らかである。

 そもそも日本の伝統には物を作り出すことに価値を見いだすものであった。それと対局にあるのが金貸しなどの虚業と呼ばれ、物作りは正業とされていた。そのため金貸しがいくら財力によって力を持っても、それを持て囃すようなことは決してなかった。それが戦後60年日本人の価値観は根底から変ってしまったようである。利ざやで収入を得ることは一般人でさえ当たり前になってしまった。

 では何故そんなことが平気で起こるようになってしまったのだろう。それは株式の取引手数料が自由化されたことにある。これはアメリカなどの欧米諸国で始まったことであるが、それまで決まった手数料が取引にかかっていた時代は、如何に多くの売り買いをさせるかが証券会社の仕事であった。投資家の上げた利益(利益が上がらなくても)を売買回数によって吸い上げるシステムが証券会社の収益源でだったのである。つまり株価がどうなろうが構わなかったのだ。それが自由化されてしまうと収益システムの作り直しが必要になる。それが投資銀行業務となったわけだ。こうなってくると自社で安く仕入れてある株を騙して高く売るか、手数料が入ってくる案件を推薦銘柄にするという方法でしか儲けることが出来なくなる。これがバブル経済の現況だったのである。銀行も不動産と不動産購入に対する融資で同じことを行った。どちらもマッチポンプであり、いつかは破綻する以外に止めることは出来ない。結局銀行の方が破綻が速く、利子で利益を出せない世の中になってしまったために、泡銭を求める連中が株式市場に登場した訳である。

結論:資本主義市場とは本当に資本を握っている人間以外が利益を得続けることが出来ない世界である。世界を動かすことが出来る資本を持った人間は日本には存在しない。つまり日本が主導して経済を動かすことは不可能なのである。だから目先の利益を追わず、国家百年の戦略を持った上で資本主義社会に対峙しなければいけないのである。折角の郵便貯金をこういうことに使う人間は出てこないのだろうか。

水曜日, 11月 02, 2005

ペア販売が戦略かい?

 まだ出てもいないWalkmanのてこ入れのための戦略が限定2005セットのペアバージョンだと言う。FMチューナーが付いているとは言え52500円という値付けではnanoと勝負にならないだろう。いっそのこと新しいWalkmanは全て初回限定にでもしたらどうだろう(要するにもう作らない)。Vodafoneのlove定額と一緒で負け組の発想にしか思えない。恋人同士で限定モデルを持つと言う発想はちょっと寒い気がするのは私だけだろうか。nanoならばblackとwhiteでお揃いにしても、別れた時にその商品に妙な怨念を感じずに済むがSONYのスペシャルバージョンでは、お揃いの手編みのマフラーのような居心地の悪さを感じてしまうはずだ。ようするに別れたらゴミ箱行きになってしまうような妙なものは売ってはいけない。その辺りを解らないほど人の心の機微を察することが出来ないから売れる商品を出せないのだろう。正直馬鹿なんじゃないかと思う。

結論:SONYの限定モデルは売れるだろう。しかし買ってくれる人はストーカー系の思い入れの非常に深い人達になるのではないだろうか。SONYstyle限定と言うことはカップルで楽しみながら商品を選ぶと言うよりは真夜中に一人悦に入って購入すると言うことにならないだろうか。ペアの物なんてそういう精神構造をしている人以外には受け入れられないように思うのは私だけ?

SONYとトヨタ

 SONYとトヨタともに日本を代表する大企業であるが、そのあり方は全く正反対である。SONYの良さは自社独自の技術にこだわり他にはない商品を開発しようと言う新奇の発露であり、トヨタのそれは他社の商品に学び、それを自己のものとすることによって他社を越える商品を作り出すと言う物作りに対するこだわりである。バブルの時代にはSONYのようなあり方(見た目が派手)が良かったが現在は傲慢さが商品開発に如実に現われてしまい結果的に顧客の指示を失ってしまった。他社の良い点を全く学ばないと言うのは最近の商品を見れば明らかであろう。対するトヨタは他社の新車を購入してネジの一本に至るまで研究するためにそれを分解してしまうという徹底した愚直なまでの分析(松下も同様だろう)に全てが現われている。つまり、他社がやっていることを全て吸収した上でトヨタは何をすれば良いかが大事だと考えることなのである。改善のためにはどんなことでもするというそのどん欲さがSONYには掛けている。

 iPodの何年も前からネットワークWalkmanを手掛けていながら成功の果実をAppleに持っていかれたのはハードとソフトとサービスが一体でなければネットワーク時代に通用しないと言うビジネスモデルを真似するだけの謙虚さが無かったばかりに気がつけばAppleの後塵を拝する自体に陥ってしまったのである。Panasonicのデジタルプレイヤーが決して成功しているとは言えないが、Appleにリベンジという取り上げられ方をするSONYは、名前が表に出てくるだけに余計に負け戦であることを世の中に広めてしまっている。

結論:SONYは織田信長になろうとしているが、トヨタは徳川家康である。現在の織田信長はAppleであることは間違いない。SONYが勝ち組になろうとするならばせめて豊臣秀吉にならなければいけないだろう。

火曜日, 11月 01, 2005

コンビニ弁当で豚が死産

 西日本新聞の発行するブックレットに出ていた記事らしいが、どこのコンビニかを明らかにするとパニックになるので言えないと言う話である。ありえない話ではないが、こんな無責任な情報を信じるのも危険である。どうも、この手のネタは”週刊金曜日”の「買ってはいけない」系の怪しい(思想的に怪しいと言う意味)話に近い気がする。正義の声に聞こえるが、その実態は市民と言う名の活動家が世間を煽るために根も葉もない(でもありえそうだと皆が内心思っていること)ことを事実として文章化してしまい都市伝説を作り出してしまうというパターンである。

 西日本新聞が報道機関であるのならば、今回の記事でコンビニ名を発表すべきである。全てのコンビニが同じなので出せないと言うのも変だし、特定のコンビニだけであっても、それを公表しないのならば、そもそもこんな記事を出すこと自体がおかしいのである。西日本新聞の本紙ではなくブックレットであるといのも何か責任逃れのようで(デマであっても良いということ)の様な気がする。どちらにしても書いた奴は「買ってはいけない」系の似非ジャーナリストのような気がする。

結論:厚生労働省は大嘘付きだが、週刊金曜日も五十歩百歩であると気付いていない人が多かったりする。市民、民主、平和、反戦、平等なんてのをお題目に活動している連中は正義面するだけたいが悪いのだ。もちろん、自分の利権ばかり考える官僚も酷いけどね。

金曜日, 10月 28, 2005

日本力は通用するのか?

 最近海外では、日本の文化(アニメ、オタク)を評価する動きが強くなってきている。過去に何度かあったブームの再来であることは間違いないが、ここでアニメやオタクだけが日本の力を代表している訳ではないことをもっと認識するべきである。戦後の日本は自国の文化を否定するところからスタートしたが、まだ全てが死に絶えた訳ではない。物作りを高く評価する文化はアメリカには見られない物であるが、文化だけで生き残っているフランスでは日本文化の底の深さを認めている。

 では何故日本の文化にそこまで深みが加わったのだろう。それはまさしく鎖国をした江戸時代が260年も続いたことに尽きる。明治以降徳川幕府を否定する形で西洋化を進めてきたため、江戸時代の封建社会をヨーロッパ型の封建主義と同一に扱ってきた。そのため幕府と言う組織は閉鎖的で無知なものであると為ざるおえなかった(欧米よりも進んでいたとは言えなかったのである)。蘭学が広まり始めた時に幕府はこれを禁じたため、それを学んでいなかったと思い込んだのである。黒船がやって来た時にはただ慌てふためいていただけの無知蒙昧な組織が幕府であったと思わせたかったのだ。しかし、当時の幕府はオランダや中国を通じて世界の情報を的確に掴んでいた。当時国内で一番正確な情報を握っていたのが幕府だったのだ。

 黒船に装備されている大砲の種類に関しても知識を持っていたし、欧米諸国がアジアの植民地に対してどういうことを行っているかも全て承知していた。鎖国とは、国を完全に閉ざすことではなくキリスト教徒による征服を排除する為の政策だったのである。そして現代人が考えているよりもずっと柔軟な身分社会(町人には兵役や納税の義務もなかった)の中で階層を持たない幅広い文化を育てていったのである。それが物作りの文化を築き上げたのだ。

結論:戦国時代、種子島で初めて手にした火縄銃はわずかの間に世界一の保有量になっていた(この段階でポルトガルやスペインは日本の征服を諦めざるおえなくなってしまった)。秀吉の朝鮮征伐(本当は中国征服)を批判する人が多いが、戦国時代の日本の軍事力は恐らく当時世界一だったはずである。当時のスペイン王は中国の征服を考えていたのでそれを防ぐために中国を日本の支配下に置こうとしたのが朝鮮征伐だった。昔から日本の力は侮れない。わずか60年位でそれが消えうせてしまうことなどないだろう。

光が地上波デジタルを葬り去る

 予てから何度も言ってきたことがある。ガス会社は電気会社に変わり、電気会社は通信に向かい、電話会社は放送に向かわざるおえなくなる。
 どういうことかと言えば、ガス会社は燃料電池を各家庭に設置させることが出来ると、電気会社は電気では利益を得られなくなり、通信事業に手を伸ばさなければ無くなる。そうすると通信会社は通信だけでは利益を得られなくなるため通信用の光ファイバーを利用したIP網を利用していずれ放送コンテンツの送信を行うようになる。それは、もう間近のことであるが放送業界はまだそのことを理解していない。割り当てられいる電波を後生大事にしているうちに取り残されてしまう。放送局自体が乗り気でない地上波デジタルなどに付きあっていたのでは、それこそのたれ死んでしまう。

 放送と言う事業自体が再編されようとしている現在(スカパーはNTTの光で配信されることになった)、テレビ局に残された生き残りの道はコンテンツの製作しかない(ほとんど外注に頼っている今、放送局に番組を作る能力など無いかも知れない)。これからは、テレビ局の下請けであった制作会社こそ、テレビ局以上に重要な存在になるのだ。三木谷さんはその辺が全然理解出来ていない旧世代の人種なのである。

結論:テレビ会社を買う金があったら、番組制作会社とのコネクション作りに金を使った方が良い。その辺りをテレビ局に抑えられているから、テレビ会社を買うんだというのは自らコンテンツの幅を狭めることになる(つまりSONY化すること)と気付けばAppleのように成長出来るだろう(Appleは既にそこまで準備をしているはずだ)。地上波デジタルの本放送は墨田区に第二東京タワーを作って終わりになるかも知れない。

木曜日, 10月 27, 2005

携帯ビデオには需要がない

 iPodもビデオが見えるようになったため、携帯ビデオがこれから来るなど(恐らくそうなって欲しいと言う願望だろうが)と馬鹿なことを考えている人達が多いようだ。絶対に来ないとここで断言してしまおう。何故ならば音楽プレイヤーには、Walkmanが出る前にはラジカセのヒットがあったし、Walkmanは携帯CDやMDへと進化していった(大したことがない進化であったかもしれないが)。それに引き換えビデオはどうかと言えば車載型のビデオやDVDはそれなりに売れているが携帯タイプは需要が全くないに等しい。つまり物珍しさで買う奴がいるかどうかであってどうしても必要で買うようなものではないのである。

 外出先でDVDを見たい人はDVDプレイヤーではなくノートPCを使う(ノートPCの方が画面は大きい)だろう。携帯電話で2時間もビデオを見ると言うのも聞いたことがない。ようするにビデオというものはそういうものなのである。ながらで視聴が可能な音楽とは違いビデオは視覚を占有するため注視しなければいけない。読書と違ってこちらのペースで見ることも出来ないのだから、メディアとしては自由度が低過ぎるのである。PSPはUMDを使ってDVDクラスの動画を見られると言うがDVDをコピーしてUMDが作れる訳でないから新たに買い足さなければいけない。そこまでするような作品がごろごろ転がっているとでも思っているのだろうか。PSPでの動画を普及させたいならばDVDをUMDに変換するソフトを付けなければいけないのにUMDは書き込む装置がない。そうなればリッピングしたデータをメモリースティックに入れて見なければいけないが映画が入る容量のメモステは5万円近くするのだから、そんなことをする奴は馬鹿である。つまりビデオが見ることの出来るiPodとPSPは全く違う次元のプレイヤーなのである。

結論:iPodのおかげで携帯ビデオのすそ野は広がるだろうが、販売されるものはショートムービー位で、後は無料で見えるビデオポッドキャストになるだろう。ニュースなどのタイムシフトとしての役目を担うにはPSPにかかるコストは高過ぎるのである。

火曜日, 10月 25, 2005

自ら選択肢を減らすIT業界のメディア支配

 楽天によるTBSの買収(そうじゃないと言っても実質はそうなのだ)騒動。CX(フジテレビ)の時にも書いたことなのだが、傘下にテレビ局を持つことは力を失う原因になってしまう。これは、SONYの失敗を見ていれば明らかなことなのだ。天下のSONYはその配下に映画とレコード会社を抱えているため、非ネットワーク時代(非デジタル)には、最強の布陣であったが、今はそれが足かせとなってしまって身動きが取れなくなっている(動こうにも配下のメディアを犠牲には出来ないからだ)。そのために、フットワークは家電業界の中にあっても一番遅くなってしまった(ユニバーサルを手放した松下は結局得をした)。

 楽天は何がやりたいのだろう。まさかテレビ番組の配信で客集めをしようと言う訳ではないだろうが(そう考えているとしたら臍で茶が沸いてしまう)、意味が全くわからない。ライブドアのように最後は高く株を買い取らせるのが一番だ。それくらいハードとしてのテレビ局に魅力はない(会社では無くコンテンツが重要なのだ)。

 大体、ネットワークで配信が可能な時代に地上波デジタルなどという戯けたことに付き合うようなメディアに将来はない。何故ならば地上波デジタル放送に対応出来るような人達は、すぐにでも光ファイバー放送に対応出来る人達だ。現在の地上波にしか対応出来ない人達が地上波デジタルなど所詮無理な話だ(放送は無料でハードが合計で5万以下にならなければ広まりようがない)。

結論:他にいくらでも放送すべき問題があるのに、郵政民営化法案に反対した議員の処分はどうなるかなどと言うどうでもいい問題(本人以外には関係ないことだ)で騒いでいるメディアなど買っても高い給料ばかり取っている出来損ないを社内に抱えるだけだと速く気付いてもらいたいものである。

金曜日, 10月 21, 2005

DVD戦争は内輪もめ

 BD(ブルーレイ)かHD DVDかと互いに覇権争いをしようとしているが、そんなことをやっている暇は無い。既に日本の通信環境はFTTHが当たり前になり(yahooはADSLをもう諦めた)、今更ディスクと言うのはないのだ。それはリライトが出来るとか出来ないと言うレベルの話ではない。40G位の容量ならば近いうちにメモリーに取って代わられるし、アクセススピードはHDDには到底かなわない。PCが介さない環境でしか有り難みのない商品がどれくらい売れるかなど、フタを開けてみる必要さえ無い。もう勝負は終わっている。

 これからの時代、稼働部分を持っているデジタルデバイスには明るい未来は待っていない。1Tを越える容量を可能とするHDDは別にして、100Gに届かない光ディスクでは意味がないばかりか(フルハイビジョンでも100Gという容量はいらない)、提供しようとしているコンテンツは光ケーブルで配信可能な容量でしかないのである。そうだとすれば、どちらが良いかなどと言っている場合ではないことに気付かなければいけない。どちらか一本に絞れれば生き残りの可能性があるが、そうでなければ消える運命になってしまうのである。

結論:お互いにどうにかしてシンパを増やそうとしているが、洞ヶ峠を決め込んでいるメーカーの方が多いはずだ。真っ先に商品を出す気は毛頭無いのだから、松下が乗らなかった東芝は早めに手を引いた方が良い。今回だけはSONYが勝ち組になれそうである(でも寿命は短いよ)。

水曜日, 10月 19, 2005

少々心外だが

 ”少々心外だが”と言う言葉を経営者の口から聞くことが出来た。どういうことかと言えば、安値にある自社の株を平気でほったらかしているほど経営陣がアホウであることを世間に示されてしまったからである。資本主義の世の中にあって、安い株を買い、高く売って利益を得ることは何も問題になることではない(私は嫌いだが)。自社株を購入するなりして株価を安定させることはいくらでもやれたのに、それをしなかったと言うことは株を買い占めてくれと言っているのと同様なのだ。恐らく天下のTBSはニッポン放送とは違うと高を括っていたのだろう。

 大マスコミで良く吐かれる言葉に公共のと言う言い草がある。公共と言うならば経営形態として営利を目的とする民間企業であってはおかしいと考える私はおかしいのだろうか。アヤツラの考え方は典型的な三段論法だ。
第一段階:電波は公共の財産である。これは正しい。
第二段階:放送事業は免許制である。これも正しい。
第三段階:公共の電波が割り当てられる放送は公共の事業である。これは成り立たない。

 それなのに、ニッポン放送の時もそうだったが、公共の電波=公共の事業(この式が成り立たないのは前述)を錦の御旗にして偉そうなことを言う。上場している限りはこんな馬鹿なことを言ってはいけないのである。公共の福祉に貢献するためにやっていると言うなら、今のような下らない番組を垂れ流すのは明らかにおかしい。公共と言いたいのならばさっさと上場は取りやめ、寄付で成り立たせる経営形態にしてしまえ。

 まあ、社会の木鐸などと言って捏造記事や裏のとれていない記事(ヤラセやでっち上げという的確な言葉がある)を平気で誌面に載せて、謝罪さえしないのに自らをクォリティペーパーだと思っている大新聞社があったりする国では世界の常識は成り立たないのかも知れない。

結論:大株主がいないマスコミは、いつ株式を買い占められるかを念頭に経営を行わなければいけない。それもしないで心外だなんて、それこそ心外だ。

靖国はもう外交手段にはならない

 小泉純一郎が靖国を私人として(どっちでもいいが)参拝したが、今回の抗議は今一つの印象を受けた。これは、画期的なことであろう。靖国や教科書問題をことさら大きく取り上げて騒ぎ立てる新聞社がすっかり信用を無くしたことが大きく影響しているのである。ここのところ繰り替えして捏造とでっちあげ記事で乱発している朝日新聞のことである。もともと靖国問題は内政問題であり、それを他国があれこれ言うこと自体がおかしな話であるのだが、それを利用して左翼新聞である朝日がご注進して中国や韓国などの反日感情の強い国を焚きつけ、それを現地から発生しているという抗議行動として日本に返すと言うマッチポンプの構造が破綻しようとしているのだ。

 朝日は、自身をクオリティティ・ペーパーだと勝手に思い込んでいるが、戦前を含めて一度もそうだったことはない。戦後の民主主義(左傾)と合致していたために、進歩的と思われてきたことが(進歩的文化人という無責任な連中となれ合っていたと言うことだ)。しかし、民衆の心は自由主義(左傾=サンケイ)に流れてしまった。朝日はこちらの流れを保守反動だと言いたいようだが、国柄を無視する保守などありえないのだ。というわけで、気分はアメリカべったりの左翼の時代になっているのに、朝日は一人中国べったりの左翼をやっている。現在の自民党に国会の占領を許すような空気の中、馬鹿の一つ覚えの自虐史観でしか物を言えない新聞に力があるはずはないのである。というわけで今回中国は靖国問題を声高に叫ぶことの利害得失を考え、トーンを落としてくることが考えられる。もしも、朝日が一人で騒ぎ立てるようなことがあればかえって批判をしないかも知れない。

結論:これからどうなるかはまだまだ解らないが、靖国が外交カードとしての力を失っているのは間違いないようである。日本以外の国でそのことを口に出すと逆効果であることは韓国が身をもって知っているはずである(ヨーロッパで日本を批判していたら、それは日本の問題ではなくお宅の問題でしょう。いつまでもそんなこと言ってると笑われるよとドイツやフランスに言われたのである)。

木曜日, 10月 13, 2005

今すぐ憲法を停止せよ

 こんなに不甲斐ない国になってしまったのは、全て現行憲法の所為であるとしてしまおう。憲法の改正には長い時間を要するので、取りあえず現行憲法を停止し明治憲法で行けば良いのである(日本国憲法は旧憲法を改正したものであって、旧憲法は廃止された訳ではない)。ついでに批准はしたが実行されていない海軍軍備制限条約(日本の割り当てが少ないと騒いだが、日本は一度もそんなに大きな海軍力を持ったことは無かった)などを復活させて、アメリカの6割と言う大海軍を作ると言うのは如何なものだろう(そりゃやり過ぎだ)。立憲君主制をとる旧憲法は、曲解しない限り現行憲法と比較して大きな差は無い。

 よく天皇に全権があるようなことを言う人がいるが、内閣には輔弼(天皇の権能行使に対し,助言を与えること)という重要な機能があり、同時に天皇の権限は憲法に規定され、国会や内閣に対して拒否権も解散権も無かった。実際に昭和天皇は内閣が決めたことを拒否しなかった(良くないよという意見は何度か言っている)わけで、独裁国家の元首のように天皇が暴走するようなことは不可能なのである。実際に憲法を超えて天皇が意思を表明したのは、2.26事件の鎮圧と終戦の詔だけであったと言える(昭和天皇においてこれらは法的に逸脱した行為だった)。

 同様に軍部を暴走させた統帥権の問題も憲法に問題があったと言うよりも、社会のムードに問題があったと言うべきであろう。本来軍部をコントロールしなければいけない国会が、翼賛政治になってしまい自ら自由な発言を葬ってしまったことに問題があったのである。天皇は軍事クーデターに対しても厳しくあたり、決して軍部に対して甘かった訳ではない。

結論:明治憲法は非常に民主的な憲法であり、象徴ではないが実質的に天皇は最高権力者ではなかった。それなのに名称が帝国憲法であったために独裁者のための法律だと思っている馬鹿たれが多すぎる。現行憲法の様に空理空論が明文化されている憲法を後生大事にしている奴らは一度死んだ方が良いかも知れない。

イラクはドイツや日本ではない

 アメリカによるアラブの民主化計画は既に失敗に終わろうとしている。アラブの中でも比較的進歩的(独裁かどうかは別問題である)であったイラクでさえアメリカが望むような民主化が不可能であるとすれば、サウジやクェートが民主化することなど夢のまた夢なのである。

 何がいけなかったかと言えばイラクを戦前のドイツや日本と同様だと考えたことに尽きる(失敗することを承知で政府を動かした連中は始めから違うと解っていたはず)。戦前のドイツはナチスによる独裁政治であったが、これはイラクのそれとは全く違っていた(日本は独裁政治でさえなかった)。ナチスは民主化の行き着く先としてのファシズムであり、これは民主主義が立派にあったことの証なのである(国民がナチスを選んだのだから間違いない)。日本の場合は何かと言えば軍と言う官僚組織による統制政治であっただけで、独裁政治ではなかった。何故ならば民主主義者や自由主義者で死刑になった人間は一人もいなかった。拷問で死んだ連中は無政府主義者(テロリスト)だったのがいけなかったのである。

 天皇は専制君主ではなかった(誰よりも明治憲法を遵守する立憲君主であった)。以上のようにドイツや日本は、もともと民主的な国家であり国民の意思(馬鹿な国民だったかも知れないが)によって戦争へとなだれ込んでいったのである。その国で上手くいった方法を使ってアラブ諸国(アメリカはすぐにイスラムと言うが、イスラムが非民主的な訳ではない)を民主化しようと言う考えそのものが非論理的である。

結論:アメリカがいくらイラクを民主化しようと思っても、フセインに敵対していなかった多くの人々にとってフセイン時代の方が今よりは良かったと思える限り民主化は出来ないのである。人々は生活が安定していれば政治形態が民主的であるかどうかなんて全く関係ないのである。それが解らないのに他所の国に口出しするなど、ふざけるのもいい加減してもらいたいものだ。

水曜日, 9月 28, 2005

レクサスは成功しない

 レクサスが日本に上陸してアメリカのように成功すると思い込んでいる人が世の中に多いようであるが、大前研一氏の指摘しているように日本ではアメリカのようにはならないと考えている。何故ならば国内で乗り換える見込みのある人達はクラウンやアリストのユーザだけだと考えられるからだ。日本でBMWやベンツに乗る人や乗りたいと考えている人達は、そもそも車としての機能やコストを気にしている訳ではない。一部にはテイストを重視する(BMWを選ぶ人)人もいるが、その大部分はステイタス(見得を張りたいだけともいう)を欲しがっているだけの人達であり、舶来品じゃなければその欲望を満たすことは出来ない。

 その人達のスノビズムを満足させるには、新車のレクサスよりは中古のBMWの方が向いている。もしも、本当に車の良し悪しと価格を天秤にかけることをしているのならば、クラウンの次にはセンチュリーやプレジデントが売れて然るべきであるが、ベントレーやロールス程には個人ユーザに売れていないはずだ(町で見かけたことがない)。それはひとえに、使った金に対する見返り(威張りが効くかどうか)の大きさが小さいからなのだ。

 日本でレクサスを成功させたかったのであれば、ショールームなどは作らず拡販もしない戦略しか考えられない。つまり、百貨店の外商のような形でこっそりと売るしかないのである。一見さんには手に入らない車と言うステイタスを作るように心がければレクサスは大成功しただろう。金を出せば誰にでも買えるトヨタ製の車にステイタスがあると言うには無理がある。

 前々回、指摘したソニーのQuolia(迷走)の撤退が私の予想通りに決まった。ソニーの上位に来るブランドにしたいと言うことで鳴り物入りで発表されたが全く売れなかったブランドである。実はあの商品群のクオリティは高かったと評価しているのであるが、例え受注生産であるとしてもビックカメラで展示されているのを知った時にもうダメだと思った。

結論:高いステイタスを付けたい商品は大々的に売ってはいけない。どんなに豪華なショールームを作って顧客のふるい分けをしようと思っても、今の馬鹿は身の程も知らずに平気で店に入ってきてしまう。上流階級の無くなってしまった現在では虫けらどもが寄ってたかってレクサスのステイタスを地獄の底まで貶めてしまうに決まっているのだ。レクサスを売れれば、クラウンの売上が落ちるだけと言ったらうがち過ぎだろうか。

私有地が戦場です

もしも私有地が戦場になったら
 まずしなければいけないことは地権者を探しだし、私有地内に立ち入る許可を得ることである。もしもその土地の所有者が不明確であった場合、最寄りの法務局へ向かい土地の権利書を閲覧し、その地権者宅へ向かい私有地に立ち入る許可を得る。同時に、戦場と仮定される私有地で行われている行為が、刑事事件にあたるか軍事に関わるかの判断を内閣にゆだねる必要がある。あるいは特例として甚大災害扱いにして救助の名目で活動する方法もない訳ではないが、この場合被害者の救助だけに専念し、重火器の使用は認められないため何のために戦場に自衛隊が向かったのかが解らなくなってしまう。

もしも橋梁が壊されたら
 敵の攻撃により橋梁が破壊された時には軍隊が仮設の橋梁を架けるのは軍隊の仕事であることは常識であり、そのために軍隊には工兵(自衛隊では施設団)という部隊がある。しかし、日本の自衛隊は軍隊ではないため法的に橋梁を架ける権限を持っていない。国道に架かる橋は国土交通省の管轄であり、地方の橋は地方自治体の管轄である。よって自衛隊の独自の判断で橋梁を修復し、あるいは仮設の橋を渡すことは出来ない。破壊された橋を修復するためには速やかに管轄する行政機関に連絡を取り、関係書類を提出の上許可の下りることを祈るのである。東京都のようにタカ派の首長を頂く地方公共団体ではことは簡単であるが、もし共産党系の知事であった場合ほとんど絶望的な状況に陥ってしまうのである。また以前の埼玉県のように談合が当たり前になっている場合には、指定業者があるため仮設の橋ではなくちゃんとした橋を架ける方に流れる可能性が高いため自衛隊の出る幕は無くなる。

もしも戒厳令が出せないとしたら
 冗談と思うかも知れないが現在の日本では純粋な意味での戒厳令を出すことは出来ない(戦後廃止されたままである)。何故ならば日本には軍隊が無いために(自衛隊は少なくとも日本では軍隊ではない)戒厳令を発令しても大権を委譲する対象がないのである。もしも、クーデターなどが起きても鎮圧することが法的に認められないのだから戒厳令は出せない。すぐに出せそうなのは、機動隊ぐらいだと言ったら信じられるだろうか。恐らくその時に法的根拠になるのが騒乱罪だろう。重火器を持ったグループによるテロやクーデターが起きた場合は今のままでは多くの機動隊の死傷者が発生して終わりなのである。

 戒厳令が出せないとするとどういうことになるのだろうか。通常の法律がそのまま有効だということだ、行動の自由を制限することが出来ないから、外出禁止命令も下せないし、戦闘のために戦車を路上(国道)に止めていれば駐車違反で切符を切ることも出来る。情報も統制できないため2ちゃんねるで、デマを流しても捕まえることは出来ない。第一スパイ防止法がないのだから、敵に情報を流しても罰することが出来ない。出来ることと言ったら戦闘の邪魔にならないように協力をお願いすることぐらいだと言ったら笑われるかも知れないが、その通りなのである。

弾薬がない
 米軍との協定で戦闘行為が発生した場合に、弾薬を米軍から補給してもらうと言う協定を結ぼうとしている、何故ならば、もし自衛隊が戦争を行うことが可能になったとしても長期間闘うための弾薬がないからである。自衛隊絵の練度は世界的にみても高いため、パトリオットの命中率などは米軍よりも数段上であるが、現在ストックされているパトリオットの数がわずかに数百しかないため実践で使える武器とは呼べない。それだけではなく、自衛隊の全弾薬をかき集めても3日位で使い果たしてしまう量しかないため全面戦争にでもなった場合には、燃料を満載した(石油備蓄量は1年位では尽きないくらいに持っている)航空機をミサイルとして使うと言うお家芸を魅せるしかなくなるのである。出来れば知念から飛び立って欲しいものである。

木曜日, 9月 15, 2005

デファクトになるのは難しい

 SONYと言えば新しい技術を生み出す企業として評価されることが多いが果たしてどれだけ世の中を変えることが出来たのだろう。そこでSONYオリジンでデファクトになったものを分析することによってつまびらかにしてみたい。

<トランジスタ時代:何でもかんでもトランジスタ>
トランジスタラジオ:東京通信工業時代に世界に先駆けて開発(先駆け)
トランジスタテレビ:世界初のトランジスタテレビを開発(先駆け)
トランジスタビデオ:世界初のトランジスタ業務用ビデオを開発(先駆け)
トリニトロンテレビ:SONY独自のブラウン管を開発。アップルがMac用ディスプレイに採用(非デファクト)
 この時代の商品はその後デファクトとなっていくが、実は自社オリジナルの技術はプロダクツの実用化だけであり、それまで存在しなかった商品を作り出した訳ではない。悪く言えば真空管をトランジスタに置き換えることに燃えていたのである(実は凄いことなのだ)

<ウォークマン時代:何でもかんでもさ小さくしてしまう>
Uマチックビデオ:オープンリールを使わないカセットタイプのVTRを開発(負け組)
ベータ式ビデオ:家庭用VTR機器を初めて商品化(負け組)
Lカセット:SONYの社史の中でも抹殺された商品。オープンリールを使う人間は小型化など望んでいなかったのである。(なかったことになっている)
ウォークマン:世界的なヒットとなったコンパクトカセットプレイヤー(先駆け)
 ウォークマンに関しては音楽の聞き方そのものを変えたと言う意味で新しい文化を作ったと言えるかも知れない。しかし全体を通して見えてくるのは、実は何も独自の技術は開発していないと言うことである。要するに何でも小さくしていただけなのだ。

<デファクトの時代:オリジナルをデファクトに>
3.5インチFDD:当初アップル以外は使わなかったが、押しも押されぬ存在であった(デファクト、但し既に過去の技術)
CD:フィッリップスとの共同開発であるがデファクトのフォーマットとなった(デファクト)
DVD:これもフィッリップスとの共同開発でデファクトになる(デファクト)
MD:これはSONYの踏ん張りでデファクトになったが既に死に体になってしまった(デファクト、但し既に過去の技術になろうとしている)
 SONYのオリジナル技術が世界を席捲し現在普通に使われているデバイスのライセンス料だけでやっていけるくらいにヒットを連発した。思えばこれが現在の悲惨な状況を生み出したとも言える。この時のデバイスはもう既にレガシー物になってしまったので、新たなお金は期待薄なのだ。

<井の中の蛙の時代:独りよがりの迷走劇>
Playstation:この時期唯一と呼べる勝ち組商品。しかし元を正せば次期任天堂マシーンとして任天堂と共同開発されていたゲーム機である(デファクト)
メモリースティック:コンパクトフラッシュやスマートメディアに対抗して開発されたが、SDに完全にしてやられてしまった(負け組)
ネットウォークマン:出遅れただけでなく、やることなすこと的外れと言う体たらく。オーディオメーカのくせにアップルにしてやられる(負け組)
AIBO:ペットロボットというおもちゃを開発(迷走)
二足歩行ロボット:エンターテイメントというおもちゃを開発(暴走)
QUOLIA:誰も欲しいと思えない高価な商品を発売(もうじきLカセットと同じ運命)
 やることなすこと失敗ばかりと言ったら言い過ぎだろうか。でも何をやりたいのかが不明なものか、世の中の流れを考慮(将来を見通してという意味)で作られた商品が見当たらないのである。

結論:これからデファクトになれるかも知れないBD(松下が乗ったから)だが、時代はシリコンへと進んでいることを忘れないことだ。既にディスクはテラクラスの容量じゃない限り意味がないのである。なんのことは無い、SONYの技術でデファクトになったものはわずかだったのだ。

木曜日, 9月 08, 2005

物は言い様

 先日、叔父と話をしていて非常に為になったことが有る。食べ物の話(道端に有ったドングリの仲間の木の実が美味いという話)をしていて、トマトとかピーマンが嫌いな子供が多いと言う話になった。そこで叔父が一言「トマトの青臭さが無くなるというプロの料理人がいるには呆れる」と言ったのである。トマトは青臭いのではなくトマト独特の香りがするだけだと言うのだ。確かに母親が青臭いと言えば、子供はトマトのその臭いを嫌いになるに決まっている。ドリアンが食えないのもあの臭いをウンコの臭いだと言ってしまうからなのだ。別にドリアンの中にウンコが入っている訳ではない。一番近い臭いはウンコかも知れないが、熟したドリアン独特の臭いと言えば角が立たない(でもウンコの臭いだとは思う)。

 これは一見、人権派の馬鹿が宣う言葉の言い換えに似ているようだが大きく違う視点にたっている。彼らは自分たちに都合の悪い言葉は抹殺し、都合よく言い換えてしまうが、叔父の主張はそのままの状態を伝えることが大事でことさら悪い印象を与えるように言う必要は無いと言っているのだ。子供の好き嫌いを決めているのはこれは親や周りの大人達なのである。子供がドリアンを初めて口にする時に、ウンコみたいな臭いだなと感じている時に、良き大人が”独特の臭いがあるけれどとても美味しいんだよ”と言えば恐らく食べるのではないだろうか。その時に”ウンコ臭いけど以外にイケルよ”などと言ってしまえば、ドリアンと聞いただけでウンコが浮かんでしまい、食べようなどとは決して思わないはずである(それでも喰う奴はスカトロ野郎である)。

結論:子供に対して言葉を使う時には自分の印象を交えずに出来るだけ子供自身で判断出来る力を付けるようしなければいけない。そうでなければ私のように変な奴ばかりになってしまうのである。

月曜日, 9月 05, 2005

DSにあって,PSPに欠けているもの

 DSとPSPをハードウェアとして比較した場合、PSPに軍配が上がると言って文句を言う人は少ないだろう。画面の大きさや綺麗さは確かにPSPの方が数段上だろう。しかしPSPには残念ながらキラーアプリと呼べるようなゲームが存在しない。どう考えてもPS2用のゲームのディフュージョン版と呼べるもの以外にこれといった物が見当たらない(そうではないという意見もあるかも知れないが)。

 PSPを購入した人と言うのは明らかにPS2を持っている人達である。それと比較してDSには初めてポータブルゲーム機を購入したユーザが多く存在する。つまり新しい市場が誕生したと言うことだ。ゲームに縁遠かったOL(子供ではない女性)が”ニンテンドックス”の登場によって携帯ゲーム機を手にしたのである。これは”たまごっち”と同じ現象である。極論してしまえばPSPは世界を自分の思うように支配したい欲求を持っている人に受け入れられたが、DSは世の中から自分を必要と思われたいと言う人に受け入れられたのである。今の世の中は適度(中途半端とも言う)に自由(自分勝手)で平等(その他大勢と一緒)である。そんな中でペットを飼える人達は犬猫で満ち足りない気持ちを満足させることが出来るが、そう出来ない人達にはそれを実現する手段が今迄無かったのである(たまごっちはあった)。ニンテンドッグスは愛らしい(シーマンはちょっとシュール過ぎた)ことが、一番の魅力である。愛らしさを作り出すためにAI(人工知能)を利用したのである。これは、現代のElizaだ。

結論:ゲーム機としての魅力をゲームで作り出せないPSPはゲーム機であることをあきらめ、DSは今までのゲームとは違うゲームでゲームとしての新しい魅力を作り出すことに成功したのである。これでRevolutionとPS3のどちらに軍配が上がるかは察しがつくと言うものである。

水曜日, 8月 31, 2005

馬鹿でも解る

 良く解らない理由で衆議院が解散し、いよいよ公示も済み選挙戦も最終段階に入った。個人的には郵政の民営化は悪くは無いとは思うが、だからといって民営化しなければいけないようなものでもないと思う。現在は、周辺国を見回してもそれどころではない問題がいくらでもあるのに、10年やそこいら遅れたとしても生活に与える影響があるとも思えない問題を選挙の最重要課題にしてしまう小泉純一郎には頭の下がるばかりである。

 彼の非常に優れている点は、馬鹿をその気になさせると言うところであり、あのポプピュリスト振りは、戦前のマスコミ張り(朝日を筆頭とする大新聞)である。分かりやすい言葉(馬鹿でも知っている言葉)だけで政策を語る(要は内容を何も言っていない訳である)というスタイルは並みの人間には真似出来ないだろう(小泉は人並みではないと言うことである)。彼がやっていることは論理を展開するもではなく感情を揺さぶると言う(演劇型か?)方法論だけで突き進んできた。ちゃんと考えればやろうとしていることは支離滅裂(アメリカのご意向には従っている)なのに何となくムードだけで改革(本当は改悪でも現状否定ではあることは間違いない)だと思わせてしまう技量は大したものである。

 一頃程の人気(80%近くの支持率)は無くなったが、まだまだ支持されている危険性に気付いている(物を考えることが出来る)人にとっては不倶戴天の敵なのである。ああいう人物が人気をとると言うことは民度が低くなっている現れなのである。彼には、橋本派を解体する以外に何もさせてはいけなかったのに、世論(せろん)のバックアップで何でも出来る状態にしてしまったのだから、馬鹿が政治に参加してはいけないと言う定理は間違いなかったのである。

結論:小泉純一郎の役目は首相になったことで終了していたのだから、もうこれ以上何かをさせてはいけないのである。もしまた70%を越える支持を集めるようなことがあったならば、東京湾(横須賀辺りか)にでも沈めて欲しいと思う。

土曜日, 8月 13, 2005

郵政民営化

 郵政民営化に賛成であれば共産党だろうと民主党だろうと手を結ぶと言うとんでもない発言が、幹事長から出てしまった。こんなおかしな話はない。自民党は郵政民営化以外には何もしないとでも言うのだろうか。たった一つの法案が大事なのは小泉だけであって他にもっと重要な問題が山積みされていることを忘れている。だれかあの馬鹿を殺してくれないだろうか。

 大体が財務省(旧大蔵省)の省益から始まった郵政民営化(大蔵省の自由にならない金があんなに郵政省にあることが許せない)なのに、いつのまにやら政治を置き去りにしても達成しなければいけない課題になってしまうなど、戦前の軍の暴走と同じである。

 民営化されたなら、必ず外資に食い物にされてしまう。それくらいならば民営化するのではなく財務省に郵便貯金と簡易保険をくれてやる方がまだましである。今回の衆院選挙でその当たりを公約に上げてもらえないだろうか。

 小泉がどんなに馬鹿でも選挙に公認を貰おうとしているもっと馬鹿な連中がいるようだが、この際、自民党などと言う党は解散して郵政民営化党にでも変わればいいのではないだろうか。心ある自民党員は小泉の公認を受けて、刺客などになったりせず郵政民営化以外では考え方に違いのない人間で新しい党を作るべきである。

結論:キチガイについて行く奴は、馬鹿かキチガイのどちらかである。

金曜日, 8月 12, 2005

本を読まない奴は良く”切れる”

 先日、心はどこにあるのでしょうかと言う話になった。「頭(大脳)ですよね」と聞かれたので、そうじゃないでしょうと答えた。

 何故、頭(大脳)じゃないのか。大脳にあるとした場合に、いくつかの大きな問題にブチ当たる。思考に限ってみれば確かに大脳の占める要素が大きいが、大脳は動物的な能力(身体運動など)には貢献していない。

 脳内の情報処理スピードは神経細胞内の通信速度はPCと比べると目茶苦茶に遅い。どれくらい遅いかと言うとピッチャーが投げた球の情報を大脳で処理していたらバットには絶対当たらないくらいに遅いのである。そんな馬鹿なと思われる方も多いだろうが、実はあのイチロウがあれだけの打率を出せる理由は、小脳の処理能力が優れているからなのだ。つまり優れた条件反射を行えるからボールを打てるのだ(体が覚えていると言う状態)。

 私は動物レベルの情動をコントロールしているのは小脳だろうと踏んでいる。感情は小脳だけでも十分に機能するのだ。つまり、感情を情緒と言った複雑な精神状態にコントロールするために大脳がある訳である。説くに大脳の中でも前頭葉と呼ばれる領域が感情に対して強い影響力を持っている。それ以外の部分は記憶に関係が深い。抽象的な思考を行う訓練を積んでいないと、前頭葉の能力が劣位になるため、小脳をコントロールできなくなってしまう。これが、感情を条件反射のレベルで処理する”切れる”ということの原因なのだ。

 それでは抽象的な思考をするには何が必要だろうか。それは実態からどれくらい離れているかに掛かってくる。映像は、ほぼ実態を表現できるので考える必要が無くなってしまうために抽象度はかなり低い。音は映像よりは抽象度が高いが、文字と比べた場合にはまだまだである。そうなると期待できるのは文字と言うことになる。それも、現在の当用漢字程度の文字数では何の役にも立たない。せめて戦前レベルの語数が必要だろう。なぜそう言いきるのか。それは、ボキャブラリの少ない人間の方が思考が単純だからだ。考え方に奥行きが無いから反応にも幅がないということなのだ。

 さて、ここから私の教育論の始まりだ。一言で言えば”難しい漢字を使え”である。それじゃ読めないじゃないかという馬鹿に言いたい。総ルビを振ればいいのである。全ての漢字にルビを振る。そして読めるが意味の解らない言葉にであったら、辞書を引けば良い。ルビが無ければ辞書を引くことさえままならない(漢和辞典があるという人間は時間のムダ遣いが好きな馬鹿である)。そもそも漢和辞典は漢字を勉強するためにあるのであって言葉を学ぶために存在する訳ではない。

結論:総ルビをやめてしまったために、文盲並みの馬鹿が増えて平気で罪を犯すようになってしまったのである。

月曜日, 8月 01, 2005

Xbox 360はFerrari?

 Xbox 360はフェラーリらしい。MacintoshはFerrariやBMWだとJobsも良く口にしていたので批判したくはないのだが、BMWなみのシェアしか持たないAppleがそうやって自分たちの存在をアピールするのは解るが、シェア一番を目指そうと言うMicrosoftが言ってはいけないのである。ニッチな商品でも無いものをFerrari(乗りこなすには技術が必要な特別な車)に例えると言うことは、スピードオタクにだけ受ければ良いと言っているように聞こえて仕方がない。

 ご多分に漏れず、SONYも同じ過ちを犯そうとしているが確信犯ではない(単にゲームの面白さが解っていないだけか?)のに対して、Microsoftは確信犯である。ゲームの何が大切なのかが解っているのは結局任天堂だけなのである。任天堂が新しいゲーム機に求めるスピードは過去のゲームのエミュレーションが問題なく動くためであって、おためごかしの3Dムービーをフルに使うためではない。ネット環境も、過去のゲームをデータとしてダウンロードしてもらうためにあると考えても良い。この考えの違いが良い結果を生むのかどうかはフタを開けてみなければ解らないが、子供たちのゲームに対する答えに一番近いのが任天堂の様に思える。

 Windowsだけでは将来が怪しくなってきたMicrosoftとBlueRayをどうにかしてデファクトにしようとしているSONYの悪あがきが年末から開始されると言ったら、穿ちすぎだろうか。

金曜日, 7月 29, 2005

KDDIがパワードコムを合併

 私が予てから考えていたように世の中は変り始めている。電気会社は通信会社にならなければ生き残れない(ガス会社が安価な家庭用燃料電池を開発したら電気の需要は大きく減少する)電気はいづれガス会社に取って代わられるというのが私の持論。

 電力会社が通信事業者になっていくため、通信各社は合併統合を繰り返して淘汰されていかざるおえない。名前が変ることにかけては右に出ることの無いボーダフォンは、このままの業績ではまた身売りされかねない状況に陥っている。

 さらに通信会社(NTTなど)は通信会社から放送会社へと進化するため、放送会社は通信会社を取り込むか別な業態に変わっていかなければ生き残ることが出来なくなる。間違ってもデジタル放送なんかでは生き残れやしない。

 デジタル化とは今までの価値観で物事を考えてはいけないと言うことなのだ。その辺りは総論ではわかっていても各論(自分のジャンル)で理解できない人達が多すぎる。デジタル化とは要は、一つ上或いは一つ隣のジャンルに入り込む(割り込む)ことで生き残らなければいけないと言うことなのだ。10年一日のごとく同じことを続けていたのでは生き残ることは出来ない。

 例えば、中国で携帯が広がった理由は固定電話のインフラが不備だったからであり、それならと従来の発想で電話会社が電話線を引くような考えでは生きていけないと言うことなのである。放送業界はコンテンツをデジタル化して販売する(販売できるようなコンテンツを作る)ことによってのみ生き残れる。決してテレビショッピング(の手数料)では生き残れないのだ。

火曜日, 7月 26, 2005

あなたはWindowsの正規ユーザですか?

一部の地域で行っていた「Windows Genuine Advantage」を全世界で始めるらしい。ようするに正規ユーザ以外の人がサービスを受けられないようにするというのだ。MicrosoftではWindowsの価値を高めるために行うと言うことらしいが、価値を高めるのではなくて敷居を高くするだけではないだろうか。それでなくても嫌気がさし始めているWindowsユーザ。これをきっかけにWindowsを使うのをやめてしまう人が増えるのではないだろうか。不正であろうが無かろうがシェアが高いことがWindowsの唯一の選択の理由だとしたら、こんなことしない方が良いに決まっている。シェアが高くなければ正直、誰も使わないんじゃないの。まあ好きにすればいいけどさ。こうするのならOSその物は今の5分の1の価格にするべきだと思います。だって5年6年も待たされても価格に見合うような内容がないじゃない。

金曜日, 7月 15, 2005

心の病気と思ったら第三章 <キチガイと精神障害>

 向精神薬が発明されるまでの長い間、心の病気(精神病)とキチガイは同一に扱われていた。現代においても向精神薬で症状の改善されない精神障害がない訳ではないが、三大精神病と呼ばれていた統合失調症(精神分裂病)、躁鬱病、てんかんはキチガイの範疇からは外れたと個人的には考えている(勝手に私がそう考えているだけなので決して公言してはいけない)。

 それでは、私がキチガイをどう定義しているかを以下に説明したい。
1.薬では良くならない(バカにつける薬はないというがバカとキチガイは違う)
2.心理療法では直らない(カウンセリングだけでは精神病も治らない)
3.行動療法では直らない(洗脳すれば直るかも知れない)
4.死ぬまで直らない(ある日急にまともにはならないが、死んだらば危険は無くなる)
5.論理的な判断を行わない(自分だけの論理で行動するとは言えるかも知れない)

 これに該当する人々に対して世間はどういう名称を与えているかを以下に示したい。
サイコパス(精神病質)、異常人格、人格異常、パラノイア、偏執狂など見るからにおぞましい言葉が並ぶが異常性欲はこの中には含まれない。キチガイとはようするに行動は首尾一貫(首尾一貫しておかしいと言うことだ)してはいるが、それが社会から逸脱している人間のことである。場合によってはただのネクラやオタクと勘違いされていることもあるかも知れないが、逆に言えばその辺りに境界線があるのかも知れない。特徴としては何でもないことで切れる、外界に対して反応しない(自閉症に似ているがちょっと違う)など、感情の標準的なコントロールが利かない状態である。これはIQなどとは無関係で強いて言えば今流行りのPQなどが非常に低いと考えられる。ともかく一人で歩きながら怒ったり、にやにやしている人には近づかないことである。大抵家族もおかしいのですぐに解るはずである。個人的には排他的なサヨク(平等・平和・自由のためなら何をしてもいいと考えている連中)の非常に進歩的な考え方が多くのキチガイを生み出しているように思う。

火曜日, 7月 05, 2005

何故太平洋戦争で日本が負けたのか

 一言で言えば戦術だけで戦略が皆無だったことに尽きるが、それをいってしまうとそれまでなのでもう少し細かく見てみたい。

中国戦線:満州と中国を区別して考えることが出来なかったことがそもそもの間違いであった。陸続きに国境を持たない日本は国境を挟んだ他国との紛争に対する対処法を知らなかった。満州を中国から切り離すことに成功した段階で中国との和解を行うべきだったのに関東軍の暴走を止められず結果的に米国の介入を許してしまった。中国との開戦に反対であった石原莞爾などの意見が通らなかったことで全てが終わってしまった。石原莞爾の満州事変がやった者勝ちの機運を生んでしまったのがそもそもの間違いだったのだろう。

南方戦線:米英軍から大量の捕虜がでることを考慮せずに占領を行ってしまった。そのため自軍の兵站さえ確保できない状況となり多くの餓死者と病人を作り出すことになってしまった。結果的にこれが南方におけるその後の敗北の一番の原因になってしまった。米英軍との捕虜交換の交渉を早い時期に行わなかったことが、その後の敗退の原因になってしまった。

太平洋戦線:3年ならば暴れて見せると言う海軍の言葉のままに米軍との開戦に踏み切ってしまった。ハワイを完全に叩き日本軍の前線基地に出来なかった段階で戦略的に失敗していた。当時の日本にはアメリカを上回る工業力がなかったのであるから、どの条件で停戦するかを考えずに開戦してしまったことは大きな間違いであった。少なくともミッドウェイで破れた段階で条件闘争に入らなければ行けなかった。山本五十六はフリーメーソンだったというまことしやかな噂が出てくるのも仕方ない程に余りにも稚拙な戦略だったのである。輸送船を護送する余裕もなかったためせっかくの補給物資が手に入らず多くの餓死者(戦死扱いだが)を出してしまったのに、裸で独鈷くを為ざる負えなくなるまで大和を温存した海軍の真意がどこにあったかは理解し難い。

ちっとも細かく見ていないと言われてしまう内容であるが、何にも増して軍備が先細りしてしまうことが明らかなのに戦域をむやみに広げた日本軍には勝つ見込みはなかったのだ。負けを認められないならば、戦争を行ってはいけないのである。

 一番大きな理由は物量の差だったのだ(木炭でバス走らせる状態の国が勝てる訳はない)。

木曜日, 6月 30, 2005

戦後60年の総括

 先の大戦以来今年は60年と言う区切りを迎える。分割統治されていたベルリンは20世紀中に統一され、ドイツや日本が常任理事国入りを望むまでに世の中は変ってきた。この機会にそろそろ太平洋戦争のけじめをつけても良いのではないだろうか。台湾や朝鮮は太平洋戦争で日本に併合ざれた地域ではなかった(占領地ではないということだ)。それなのに日本の敗戦と同時に日本から分割されて(第三国化)戦争責任からは外された。日本が負けた相手はアメリカであって中華民国に負けた訳ではなかったのに、中華民国に事実上併合されてしまった(サンフランシスコ講和条約では日本の統治を離れることは明文化されているが中華民国に併合されるとは一言も書かれていない)。その後内戦に敗れた国民党は当然のように台湾へと逃れ、台湾の主権を侵害した。その後国民党が大陸は自分たちのものだと言い続けたためにその大陸を支配している共産党は逆説的に台湾は中華人民共和国の一部だと主張するに至った。台湾が支那の支配を一部であれ受けていたとしたも、それは下関条約と共に終わったはずである。

 それでは何故サンフランシスコ講和条約は台湾の帰属を明記しなかったのだろうか。それはいくら何でも中華民国が主権を持つと言う主張には無理があった。本来であれば台湾を独立させるべきであったが、そうしてしまえば短期間のうちに日本と統合してしまう恐れが高かった(当時台湾はそれ位親日だったのである)ために、台湾の存在をうやむやにせざるを得なかったのだ。これが現在まで続く問題(中台関係)の根本的な原因だったのだ。

 日本と台湾が一つになるには戦後の60年と言う年月は余りにも長過ぎた。しかし、台湾人の気持ちが大陸に向いていないことも間違いない。戦後60年のけじめとして台湾が独立しアジアの国々が連邦としてまとまることが、中国の覇権を食い止める唯一の方法の様に思えるのは私だけだろうか。

 正直にいえば中国ほど大きな国土を抱えた国家は覇権主義以外に一つにまとめる手段はない。しかしそれを許していては平和は永久に訪れないのである(これはアメリカやロシアにもいえることだ)。

月曜日, 6月 27, 2005

貧乏人の子だくさん

 日本は少子高齢化で衰退しているという。私の子供の頃(1970年代)にはこのままでは人口が増え続けて食料が不足すると騒いでいた(アフリカの話ではなく日本の話だ)。政府は人口の減少をどうにかしようとしているようだが、全くの無策である。

 はっきり言おう。日本がもっと貧乏になれば少子化などはあっさりと解決してしまう。

 贅沢を出来るほどの外貨が無くなってしまい、目移りするほどのものが世の中から消えうせ、10時を過ぎたら電気が止まってしまうような世の中になれば人口は増える。避妊具も買えない、堕胎する金もない、社会保障もあてにならないとなれば頼れるものは子孫しかなくなる。子供くらいしか宝が無くなれば人口の減少などは解決してしまうのだ。

 ご理解いただけたがどうかわからないが私の結論はこういうことだ。

日本は人口が増えないくらいに豊かな国になったのである。あなたは貧乏人の子だくさんと今の生活とどちらを選びますか?

 もう一つ。戦争になれば一気に人口は増えます(生存本脳がそうさせるのです)

心の病気と思ったら第二章 <幻覚(幻視)>

症状:知覚障害であるために全ての感覚器官で起こるが、代表的なものは、見えてはいけない(物理的に存在しない)物が見えてしまう。あるいは元とは違ったものに見えてしまう状態である。入眠時に画像が見えることはあるがこれは別物である。
診断:アルコール中毒者で禁断症状にある人。或いは幻覚剤を服用している場合に幻視が起こる。このふたつに該当しないのに幻視が起きるようならば精神の障害か脳腫瘍が疑われるのでお近くの精神神経科を訪問されることをお勧めする。

薬理的要因:慢性的なアルコール中毒で幸い肝臓の障害(肝硬変など)を起こさなかった場合に脳の肝硬変状態が起こる(実際には堅くなるのではなく溶けてしまう)。車を運転中にフロントグラスの前を象の大名行列などが現れるらしいが、そこがタイで無い限り幻視だと考えるべきである。幻覚剤(LSDなど)が原因の場合にはアリが象のように大きく見えるとか、魚が空を飛ぶとか(飛び魚ではないぞ)のように認知障害(錯誤)としての幻覚である。

統合失調症:変なものが見える精神障害と言えば統合失調症が王道を行く。他の病気でこれが起こると聞いたことがない。

人格障害:人格障害では幻視のような高等なものは現れることはないはずである。もし起きたとしたら皆に自慢しよう。

月曜日, 6月 06, 2005

人道主義という名の差別

 現在の刑法は人道主義の思想のもと、間違った方向に歪められている。

 人道派の活動家や弁護士達に、自分たちが如何に間違っているかの自覚が全くないのが不思議だ(単純に馬鹿なだけか)。人道と言いながら彼らのやっていることは差別以外の何物でもない。刑法39条や少年法は明らかに差別思想(精神障害があるものは人間とは認めていないし、子供も人間ではないのだ)であるにもかかわらず、彼らはそれを錦の御旗にして世の中にいやらしい差別を生み出している。彼らは弱者を守っていると言うが行き過ぎた保護は新たな差別(そもそも起訴されないと言う)を生み出している。

 心神喪失状態での犯罪は罪に問われないと言う考えが元になれば、理解を越えた快楽殺人は罪を問えない条件を満たしてしまう(だって正常な判断とは言えないのだから)。例えて言えば、”人でなし”と罵られるような犯罪者は”人でなし”と言われたことによって人としての罪を免れることになってしまうのだ。そんな馬鹿げた理屈が通るならば、やむにやまれぬ状態に追いつめられて殺人を犯した人だけが殺人罪に問われることになってしまう。まさに人道主義様々だ。

 それに対するひとつの立場として、刑としての罰の重さは一緒であるが精神の障害が原因の場合(人格障害はこの範疇には入らない)には通常の刑務所ではなく治療を目的とした医療刑務所に入院させ刑期中に完全な治療を行う。そして、完治しなかった場合には刑期満了後に通常の精神病院にて引き続き治療を行うという方法である。

 どうせ裁判になったらば無罪になってしまうのだからと起訴されない事件の方が多いなどと世の中の人は気付いていないはずだ。これは、由々しき問題なのである。早く刑法39条(いん唖者の負処罰又は減刑)と同様に40条が削除されることを願っている。加えて41条の年限も14歳ではなく7歳に下げるべきである。

水曜日, 6月 01, 2005

価格.コムの顛末〜その後のその後〜

 サーバトラブルが発生してLinuxに変更して再開したと思ったら、またWindowsサーバを立ち上げてしまった。今回はWindows2003をベースにしてIIS6.0をWebサーバとする体制に戻ってしまった。恐らく全てのサービスをLinuxに移行する時間がとれなかったのだろうけれども、これでは振り出しに戻ってしまったではないか。Netcraftで検索すればすぐに解るように当のMicrosoftでさえIISサーバは一台も使っていない。全てLinux+Apacheで運用されている。本当に信頼のおけるシステムであればMicrosoftが使っているはずだと、すぐに気がつかなければいけないのにそれさえ怠っている訳である。カカクコムは確信犯だと言われても仕方ないだろう。

 何を使っていて問題になったかを正直に言えなかった理由が、再度Windowsを使わざるおえないところにあったと言うのが真相のようである。カカクコムを利用する気のある人は、心して掛かった方が良いだろう。

 ちなみに同様の被害の出たOZmallは、Linuxに完全にくら替えしたようだ。参考にAppleを確認してみるとMacOSX+Apacheで運用されている。OSを作っている会社ならば通常自社商品を使うのが当たり前だと思うが、Microsoftは信頼性をとったようである。

月曜日, 5月 30, 2005

心の病気と思ったら第一章 <幻聴>

症状:本来聞こえるはずのない声や音が聞こえてくる。耳鳴りやメニエル病とは全く別物。
診断:幻聴かどうかは手のひらで耳を押さえて聞こえるかどうかで判断が出来る。耳管に虫が入った時にも耳を塞いで音がするが幻聴ではない(すぐ耳鼻咽喉科へ)。

病理的要因:聴覚野の脳細胞に腫瘍などが出来て神経を圧迫することにより音が聞こえる。是非脳神経外科をお訪ね下さい。良性腫瘍の場合には外科的処置で回復が可能です。

薬理的要因:有機溶剤(シンナーやトルエン、灯油などお好みで)や向精神薬(麻薬や覚せい剤)や脳神経の破壊(ようするに脳みそがとけちゃった状態)が原因の場合ほとんど重度の精神障害に見えます(いわゆる人間をやめた状態)。幻聴や幻覚が出るようになった場合、現在の医学では正常にはほぼもどりません。合掌。但し幻覚剤が原因の場合には服用を中止すれば改善します。

統合失調症(少し前までは精神分裂病、もっと昔は早年性痴呆と呼ばれていた):独り言の黙読(思考)が他人の声で聞こえてしまうために自分で考えていることだと認識できずに誰かに話しかけられていると勘違いしてしまう。現在は向精神薬の正しい服用で改善することが可能である。

パラノイア(妄想性人格障害):自分の思考が分裂(統合失調症に非常に近い)しているため、思考が神の声(或いは自分が神)となってしまう。統合失調症との大きな違いは首尾一貫しておかしいと言うところにある。統合失調症ではもっと支離滅裂である。原因が病理的要因である場合には治療可能であるが、そうでない場合には治療は困難なため一般には死ななきゃ直らないと言える(昔のキチガイに現在ぴったりあてはまるのはこの人達のことである)。合掌。

木曜日, 5月 26, 2005

価格.コムの顛末〜その後〜

 ついに価格コムは本当の墓穴を掘ってしまった。「過失はない」「地震のようなもの」と発表したのだ。そればかりか原因を公開せず、サーバシステムをLinuxベースに置き換えたことも公表しなかった。確かに自滅した訳ではなく攻撃されたのが原因で問題が発生したのだが、過失がないと言うならば”故意”だったと判断せざるを得ない。MicrosoftのWebサーバでさえ初期はLinuxで運用していたと言うくらい信頼の置けないシステムを使っていながら過失が無いとはどういう了見なのだろう。これでは、口うるさいネットユーザは黙ってはいないだろう。どんなに隠そうとしても今回の問題はいずれは公になってしまう。その時にきちんと説明できるようにだけはしておいた方がいいだろう。

結論:価格コムもソフトバンク並みにお客さんを大事にしていることがはっきりしたのである。

刑法と狂気

 人道主義と呼ばれるものに見られる破綻を最近つくづくと感じる。少年犯罪と精神障害者や人格障害者による犯罪が余りにも多く、また裁判結果に納得がいかない場合が多いからだ。ここでの一番の問題点は、人格障害(異常人格)なのに精神障害と鑑定されてしまうことがあまりに多いことだ。これも人権派と呼ばれる連中の横行が原因だ。現行刑法(現行と言ったって明治41年に作られている)では、心神喪失状態であった場合にはその罪を問われないと規定されている。そして常軌を逸した凶悪犯罪である場合必ずと言っていいほど精神鑑定が行われ、ここで精神障害(本当は人格障害なのに)とされ無罪放免になってしまう。池田小の宅間は人格障害とされたため本人の希望通り無事に死刑となったが、それでも弁護人は精神障害で控訴しようとしていた。弁護士よりも宅間の判断の方がまともだったと言う訳だ。

 ここに現在の司法の大きな問題が隠されている。本来刑法とは罪を憎んで人を憎まずの姿が健全であるはずなのに、量刑は人を見て判断を変えるようになってしまった。そのために弁護士はどうにかして病人にしようとする。病人ならば刑は軽くなり狂人ならば罪を問われない。これでは犯罪に巻き込まれた人間だけが割を食ってしまうではないか。やむにやまれぬ行為や過失に対して幅を持って減刑するというのはやり過ぎなのだ。ここは江戸時代の刑法に少しは学ぶべきではないだろうか。刑の確定に際して裁判官に裁量権を与える余地を無くすことから始めるべきだ。結局は精神障害者と診断された異常人格者が得をする形になってします。そして本来は何の害もない本当の精神障害者を犯罪者予備軍のような扱うことを慎むべきだ。

 最近多くなっている(単にマスコミが騒ぐようなっただけか)性犯罪者のような人格に問題のあるものは矯正することは出来ない(快楽が目的なので止められない)のだから終身刑にすればいいし、それで人をあやめたならば即効死刑で良い。

 結局は現在有効でなくなっている刑法を根本的に改定して量刑を明確に規定し直し、情状酌量などと言う法を超えた判断を裁判に持ち込ませずに罪に見合った刑で罰せられると言うのが正しい。

 江戸時代のように同じ死刑でも磔刑、死罪、下手人、獄門ときめ細かな配慮までは行えないかも知れないが、犯罪と刑罰が一対一の関係である方が望ましい。犯罪に違いを設けるとすれば、それが故意か過失かだけで十分だと思う。少年犯罪も罪を問えないのは6才以下くらいにしたらいいだろう。それ以上で物事の善し悪しが判断できないと言うのならば大人になったって判断できないに決まっている。

水曜日, 5月 25, 2005

カタカナ言葉の害悪

 今に始まったことではないが、社会風俗に関する問題をカタカナ言葉で表すために本質を間違った方向に持っていく傾向がますます高くなっている。最近やたらに目にする言葉がニートである。勉強するでもなく職に就く訳でもない人をさす言葉であるが、こんな言い方をするからブラブラする連中が出てくるのだ。

 日本語で言えば瘋癲のことじゃないか。もちろんフーテンと言う言い方もあったがこれではかなり軽い言い方になってしまう。第一ニートはそれよりもかっこいい感じがするところがなおいけない。

 もちろん、職に就きたいのに付けない人達もいるだろうが、それはニートではなく失業者である。どう考えても失業者よりはニートの方がよっぽどかっこうがいい。こんな状態をほったらかしておいてニートが減る訳がないのだ。というわけでこれからは瘋癲(ふうてん)とメディアは書くべきである。同様にフリーターは日雇い労務者と呼べば良い。

 積極的に働く気も無い奴を格好良く呼んで、一生懸命色を探している人を失業者と呼ぶのをやめてハンター呼んであげなければ浮かばれないではないか。私の言っていることはそんなに間違っているだろうか。

 人間かっこういいと少しでも感じられると安心してしまうものだ。マネーゲームだって銭転がしって呼べばいいし、バブルなんて言わないで泡銭と呼べば、どれくらい卑しいことかすぐに解っていいと思うのである。

火曜日, 5月 24, 2005

価格.コムの顛末

 価格コムがウイルスをばらまいて一週間ほど停止していたが、なんとWindowsのサーバで運用していたのだという。それもよりによってWebサーバにSIIを使っていたと言うのだから開いた口が塞がらない。今迄何も起きなかったのが不思議なくらいにお粗末な話である。今日から価格コムは再開されたはずだが、LinuxベースでApacheに変更した上での再登場なのである。パッチを当てるくらいではどうにもなりそうもないのでシステムそのものを別に構築し直したと言うことなのだ。

 個人の重要な情報を扱うのにIISを使うなど、どこのバカが支持したのかは知らないが身をもって恥をさらしたのである。

 せめてWeb Objectsのように、もう少しセキュアな環境で運用していれば今回のようなことはなかったのに。

木曜日, 5月 19, 2005

E3とゲーム機

 E3で、Microsoft、SONY、任天堂3社の次世代ゲーム機が相次いで発表された。MicrosoftとSONYは似たようなコンセプトであるためか、お互いを意識してチクチクとやり合っているようだが任天堂はゲーム機の王道を歩もうとしているかのようだ。Revolutionの凄いところはファミコンから連綿と築き上げたゲームの資産を全て取り込もうと言うことだろう。私自身はこの判断は正しいと思う。3社の中で一番問題なのはコストを無視したような取り組み方をしているSONYだろう。PSXの失敗から何も学んでいない。BDを使えば面白いゲームが出来ると考えているのならば明らかに的外れであるし、BDをデファクトにするための手段と考えているのならばゲームファンをバカにした振る舞いである。

 MicrosoftにしろSONYにしろゲームオタク用のマシーンとしての完成度はかなり高いが、それは一般のゲームファンを取り込む方法としては間違っている。ゲームしかしないで生きているようなバカを相手にしたマシーンは世の中では受け入れられないのである。商業的にどうなるかは結果が出るまで予測が付かないが、個人的な意見として言わせてもらえばゲームとはスペック比べではないということだ。

 そこが解っているのは任天堂だけだろう。Xbox360には、Final Fantasyが行くらしいが映画のFFがそうであったように自己満足なゲームになってしまうのではないだろうか。そんなものは、やりたくないのである。

土曜日, 5月 14, 2005

日本経済の問題点

 今の日本では経済的な繁栄をアメリカ型(英米型)の経済の発展のことだと勘違いしている連中が多い。その一例を挙げよう。60年代アメリカの中流階級以上の人達は非常に人に親切でフレンドリーであったが、当時の日本では貧乏人でもそれ以上に親切でフレンドリーだった。ツケにしてでも客人にはご馳走を振る舞う心の余裕が貧乏人にもあったし、ツケを許す店にも心の余裕があった。何故ならば、貧乏人でも信用出来るくらいの濃密な人間関係が当時存在したと言うことだ。欧米の中流階級と日本の下層階級が文化的に同程度であったと言うことである(本当かいな?)。

 その当時と比べれば恐らく現在の日本の方が明らかに経済的には恵まれているはずであるが、文化的(精神的が正しいか)には貧しくなってしまった。何故ならば、貧乏を許容出来なくなってしまったことだ。これはあからさまに貧乏人を差別すると言うことではない。自分だけは貧乏になりたくないと言う気持ちを皆が持っていると言うことだ。貧乏とはなんであろうか?先の例を見るように人間的劣っていることではないから、恐らくお金を持っていないことなのだろう。貧乏は悪い(だってなりたくないと言っているのだからそう考えているに違いない)、お金を持っていることが良いことになる。そう考えれば、お金のために悪いことをするのは悪いことではないという考え方に納得がいく。目的のためには手段は正当化されてしまうのだ。

 さて、こんな社会にしたのは誰なのだろう。恐らく戦後公職追放で社長達がいなくなったときに突然経営者に祭り上げられた中間管理者達が心の準備もなく偉くなってしまったのがいけないのであろう(そこには帝王学はなかった)。立派だからそうなった訳ではないのになったとたんに自分を偉いと人は勘違いしてしまうものである。そういった連中と国費留学させた学生を帰国後重要なポストにつけることによって日本の拝金主義はまん延していったのである。

結論:お金のために悪いことをするのはちっとも悪いことではない。心よ余裕はお金の余裕よりは価値の低いものである。そんな日本人に私は早くなりたい。

日本人の問題点

 我々の問題点は何であろうか?それは未だに負け犬根性が抜けないことではないだろうか。先の大戦で日本が連合国に負けて最大の理由は軍事力に劣っていたことであろう。勿論、参謀本部や軍令部と言った空理空論で作成を立てる連中の言いなりになったのも大きいかも知れないが、最大の原因は物量の差だったのである。ただそれだけなのに日本の全てが劣っていたのが敗因だったと信じ込まされてきた。

 日本がロシアを破った当時アメリカもヨーロッパから見れば日本同様に劣等国扱いであった。戦後のアメリカの洗脳が上手かったのかもしれないが、日本が既に明治なり刀を捨てて文化的になっていた頃に、かの国では西部劇さながらの状態であったのだ。もちろんその当時でも東海岸は文化的に進んでいたが全米がそうだった訳ではないのだ。

 自分たちよりも劣っている高を括って考えていた日本がロシアを破ったときに彼らの胸を駆け抜けたのが先を越されたと言う焦りだったのである。まさか日本が勝つとは思わないから安心して戦費を出したのに日本にしてやられたのである。ここから日本の仮想敵国化が始まった。

 結局日本はアメリカに経済力(様は物量)で負けただけなのだ。だから日本はアメリカよりも全てが劣っていると考える必要など無かったのである。文化に原因がなかったことをあったと信じ込まされたことから日本の戦後の文化的な衰退が始まってしまったことにそろそろ気付かなくてはいけない。

 幕府は薩長に破れたからと言って自分たちが劣っているなどとは考えていなかったはずだ。現に維新後の政府を多くの旧幕臣が支えていた。またそれによって文化の連綿たる流れの中にある知恵を絶やさないことを新政府も知っていたのである。それが維新以降の日本の発展の原動力になった。

 歴史にもしもの仮定は禁物かも知れないが、太平洋戦争当時の日本の経済力がアメリカと同程度であったならば、日本が負けることは決してなかったであろう(裏で手を貸していたフリーメーソンが軍上層部にいたので必ず負けたと言う都市伝説もあるが)。そして、本当に大東亜共栄圏を完成させて世界平和のために貢献していたはずである。

 現在も問題にされるような虐殺問題(バターン)は、恐らく発生しなかったはずである。何故ならばあの時に日本兵の多くも飢餓とマラリアに倒れているのだ。日本兵は腹いっぱい食べて捕虜だけが死んだ訳ではないのだ。日本軍はあんなに大量の捕虜が出るとは考えられず、このままでは全ての捕虜が餓死してしまう恐れがあったために、兵站に比較的余裕のあるバターンまで捕虜を移送する必要があったのである。それを虐殺と呼ぶなら、撤退時にあれだけ多くの自国民を見捨てていった連合国側に半分以上の責任を取ってもらいたい。太平洋戦争が始まった当時日本は燃料さえなく木炭で車を走らせていたのだ。チューインガムを噛みながら生活をしていた連中に文句を言われる筋合いではない。

結論:日本は文化で欧米諸国に劣っている訳ではないし、経済も日本の形が欧米に劣っている訳ではない。もっと自信を持ってアメリカに対して自国の意見を言うべきである。それと、次の戦争では多くの捕虜を抱えることがないよう戦闘の中で皆殺しにしましょう。それが、欧米のやり方です。それがいやならば、自国の全兵士を餓死させても捕虜においしいものをたらふく食べさせましょう。これがお持て成しの心です。あなたなら、どちらを選びますか?

日曜日, 5月 08, 2005

山本七平の空気とは

 以前、山本七平について触れたがどう言ったことかが判りずらかったかも知れない。日本以外でもムードに流されて国を誤ることが無い訳ではないので、日本特有と言うには無理があるかも知れない。しかし、この戦いで命を失った英霊の志を無にするなと言った形で戦況を無視することは文明国では珍しいのである。もしかしたら、日本は考えているほど文明国ではなかったのだろうか。

 空気で動いている国かどうかを判断するには、「バスに乗り遅れるな」などという訳の判らないことをいうかどうかを見ていればいい。そんなことを言われたら「後から電車で行きます」と答えよう。でも、電車も最近は危険だからな。

結論;バスに乗らなければいけない理由なんてどこにもないのである。

火曜日, 5月 03, 2005

あなた戦争出来ますか?

 米軍から後方支援の一環として弾薬の備蓄をして欲しいとの依頼があったようである。相当の予算が必要となるだろうが、ここは是非日本のためにもたっぷり備蓄して欲しいものである。

 何でそんなことを言うかと言うと、自衛隊は世界でも有数の最新の兵器を持つ軍隊であるが(アメリカは格が違うが)、こと弾薬に関してはお寒い限りだからである。恐らく自衛隊の持つ弾薬は一週間もしたらば尽きてしまうレベルのはずだ。

 石油の備蓄は相当あるのでこちらがすぐに足りなくなることはなさそうだが、玉に関してはすぐに打ち止めになってしまう。これでは、いくら戦争をしたくても出来ないのが実情なのだ。

 戦争になった当初は凄まじい快進撃が可能であるが、すぐに玉が切れてしまい逃げ回るだけの軍隊に成り下がってしまうだろう。これでは、戦争にはならない。もちろん闘う相手が北朝鮮ならば、あちらの弾薬も高が知れているのであっという間に勝つことが出来るが、質はともかく物量に物を言わせる中国などが、もし日本に牙をむいてきたらもう勝ち目はない。

 悪いことは言わないから弾薬くらいふんだんに用意しておこう。そうしなきゃ、国を守ることさえ出来ないのだ。

金曜日, 4月 29, 2005

PSPは売れていない

 メディアはこぞってPSPを取り上げ、まるで起死回生の大ヒットのように煽いだが、実態は私が登場前に言っていた方にかなり近いようである。理屈は持ち運べるPS2は、決してゲームボーイにはなれないと言うことだ。持ち運べるゲーム機の主要ターゲットは低年齢の人達(小学生や中学生)であるのに、そのユーザーを対象にしたゲームがPSPにはない(それどころか全くのPSP独自のゲームさえほとんどない)。これではネットワークWalkmanではないが、初期に食い付くユーザが買った後にぱったりと売れ行きが止まるのと何ら変わらないのだ。こう言う売れ方しかしないパソコンメーカー(Apple)が過去にあったことを私は知っている。年内に1200万代のPSPを出荷するとSONYは決めたらしいが、300万台弱の出荷が終わった現在、市場在庫が100万台を越えてしまったらしい。既に3分の1以上が不良在庫となってしまったのだ。今回のトップ交代劇で、久多良木が含まれていた理由は案外この当たりにあるのかも知れない。もしそうだとすると、SONYは物作り(市販品)を止めてCELLのような基幹部品のサプライヤーになった方がいいかもしれない。

結論:あの価格で売っても赤字なのに、それが売れ残っているとしたら来年度の赤字は金融部門ではカバーしきれなくなってしまうかもしれない。本当にとんでもないことになってしまうぞ。

火曜日, 4月 26, 2005

今必要なのは、21世紀の山本七平

 反日の嵐が、韓国と中国で同時に巻き起こっている。ノー天気に日本のご夫人達は韓流ブームなどと盛り上がっているが(ごく一部だとは思うが)、大挙して韓国へ押し寄せるようなことがあればますます反感を買うであろう。

 さて、今回の本題に入る。山本七平の指摘ではないが日本は情緒の国である。それも、根っこを張っていない情緒だ。右にでも左にでもあっという間に方向を変えてしまうくらい気分に左右される。これが山本氏の指摘した「空気」だ。英語で言えばムードである。何かの切っ掛けで皆と同じ方向へと変わってしまう(迎合とも言う)。まるで大リーグの試合中のウェーブのようにつられて同じことをしてしまう。強制されてマスゲームをやっている北朝鮮よりもタチが悪いかも知れない。そんな国民性の負の部分を的確に指摘したのが山本七平だった。サヨクからは反動主義者だと言われ、右からは左の人のように言われていたが、彼は常にブレることなく論理で物事を判断していただけである。単に日本は、右も左も論理で物を考えることの出来ない人達が溢れていただけである。だから世間の雲行きに合わせて平気で右から左へと立場を変えることが出来たのである。そんな人達が偉そうにしておれる社会だからいつまでたっても、韓国や中国からの批判を冷静に処理することが出来ないのだ。小泉のようなオポチュニストが政権を握っている今だからこそ、山本七平のような理の人が必要なのである。

金曜日, 4月 22, 2005

ゆとり教育は間違っていた

 文部科学大臣がゆとり教育は間違っていたと謝罪したらしい。進んで学びたくなることと教科書の厚さには関係ないことは始めから明らかであったが、子供たちを実験材料にしてやっとそれに気付いたらしい。寺小屋じゃないが、読み書き算盤を徹底的に教えることが必要なことは間違いない。四則計算や漢字の読み書きが、完全に速く行えて始めて考える時間が出てくる。満足に漢字も読めない人間が知識を自分の物になど出きる訳ないことが、教育を担当していた官僚には判らなかっただけなのである。詰め込み教育のいけなかった点は全てを詰め込んだことであって(歴史や科学、芸術などは詰め込むものではない)、詰め込むことがいけなかった訳ではない。これらの問題の根本的な原因は戦後の当用漢字の制定に始まる。目にする漢字を極端に絞り意味の近い漢字を一つの漢字で代用する制度を決めてしまった。そのため戦前では意味に大きな差があり読みも別々の言葉であった輿論(よろん)と世論(せろん)と一緒にしていまい世論の読みが(よろん)になってしまった。ここに戦後の堕落が始まったのである。今の中学生の書く文字はどれもきたない(私も字は下手であるがあそこまでは酷くない)、字が汚いから当然絵も下手である。震災祈念堂の資料館を覗いて確認出来たのは昔の中学生(旧制ではなく年令的に)は、実に見事な達筆であったことだ。字が上手なだけではなく、漢字も多く知っていた。その大きな理由は、戦前の出版物は総ルビが当たり前だったからである。まず今の日本がしなくてはいけないことは総ルビの復活である。こうすれば、小学生でさえ子供新聞でない新聞を読むことが出来るようになる。それと漢字のテストをする訳でないので一度しかルビが出てこないのではなく何度でも読みを付けることによって(反復学習だ)漢字の読みを間違うことはなくなるのだ。思考とは流れである。漢字が出てくるたびに引っ掛かっているようでは物事を理解することなどは到底出来ない。

結論:謝罪をする前に日本人の漢字力を向上させるために文部科学省は当用漢字制度の廃止と新聞の総ルビ化をまず始めるべきだ。それとサヨクの登用はもう止めてくれ。日教組と変わらんぞ。

木曜日, 4月 21, 2005

SONY反撃開始!?

 iPodに対して一敗地にまみれたSONYが復活を掛けて新商品を投入開始した。去年のVAIO Pocket、ネットワークWalkman導入時とは打って変わって商品の目指すところがかなりすっきりとしてきたように思う。事業部制の弊害プラス官僚化というどうしようもない組織の硬直化が技術者を低く見る経営者によってもたらされたのである。それが少しだけ正常に戻ろうとしている訳だ。

 それでは、AppleとSONYにはどんな差があったのだろう。非常に簡単なことだが、SONYには守らなければいけない領域があったのに、Appleにはそれがなかったと言うことだ。Appleはユーザが純粋に音楽を楽しめるシステムを作れば良かったが、SONYは音楽業界や自社のMDで作り上げたシステムから利益を得ることをまず考えなければいけなかった。かこれはユーザに何も利益を与えない考えだ。デジタル時代では根本的に間違った考え方である。コピーされることを防げないのならば、ユーザにより自由度を与えなおかつ手間とコストのかからない(時間をかけてP2Pをする必要も無いくらい)物だけが生き残ることが出来るのだ。

 ここがクリアされなければいくら圧縮率が高く、音質が高かったとしても誰も買わない(一部のSONYマニアは別だが、これは主流ではない)。今回のSONYのハードはかなりiPodに近くなってきたが、iTunesを越えるソフトとiTMSを越えるダウンロードサービスを展開出来ないならば決してiPodには勝てないだろう。それがわかっているかどうかが、これからのSONYの命運を決めるだろう。

 松下のような、PCを必要としないシステムも一つの面白い方向かも知れない。

月曜日, 4月 18, 2005

結局

 ライブドア vs フジテレビは結局ライブドアの一方的な勝利に終わった。だから言ったでしょ、最初にドジを踏んだ方が悪いんだって。そのせいで北尾なんて言うもっとタチの悪い(何が白馬の騎士なもんか)のが出てきたので(ニッポン放送の株取られちゃったもんな)やっと目が覚めてライブドアと大人のお付き合いをする形で上手くまとまった。どちらにとってもこれ以上ない形に収まりました。あとは、北尾氏に預けた形になっている株を早めに取り返した方が良いですよ。そうしないと鹿内家が預けた株を分捕ったみたいに外からとんでもないのが入ってくるよ。でも、それってフジテレビのやったことか。

土曜日, 4月 09, 2005

反日はもろ刃の刃

 北朝鮮ばかりか韓国や中国で反日運動が盛んになり始めた。何が何でも人々の不満のはけ口を日本に向けようと言う意図が見え見えだが、地方と都市部の格差は完全に制御不能のところまで進んでしまった。反日のデモで集まった人達がいつ反政府になるか判ったものでもない。

  今回の教科書検定を見て感じるのは、どうも右へ倣えではないが朝日新聞的な物言いを否定しないといけない”空気”を強く意識し始めたことである。各社ともか なり方向を修正し始めたようだ。日本のいけないところは一度方向転換をすると、あっという間に世の中の流れが変わってしまうことなのに全 く変わっていない気がする。第一次世界大戦後の日本は反戦だったからこそ、その揺り戻しで第二次世界大戦へと進んでしまったのだ。それを決して忘れてはいけない。

 外交力のない日本はこういう時こそ冷静に対応し、決してケツを捲ることのないようにしてもらいたい。子供を相手に喧嘩をしてはいけないのだ。喧嘩をする相手は韓国や中国ではなく反日を煽るようなことばかり書いているマスメディアであることを忘れてはいけない。

 そして、日本は反日報道で右往左往するのを早く止め、韓国や中国の政府は日本を攻撃するのを止めさせるべきだ。恫喝で日本が動じないようなった時、首を差し出さなければいけなくなってしまうのは自分たちなのだから。

火曜日, 4月 05, 2005

私の愛した雑誌達

Typhoon:ベップ出版(78年創刊)
 読むとケガするぜ!!という宇崎竜童のコピーで出版された雑誌。毒物の特集やサバイバルの仕方、格闘技の中でどれが一番凄いか(人を殺せるかどうか)など、その特集はポパイやホットドッグのような軟派な雑誌では絶対取り扱わない記事ばかりだった。非常に過激な実用雑誌だったため一年間持ちこたえるのがやっとだったのだ。内容が濃過ぎたため短命に終わってしまった代表格。そりゃ付いてくる奴は病気に違いなかったのだ。

DAYS JAPAN:講談社(88年創刊)
 大手が扱ってはいけないような微妙な記事を掲載し過ぎたためにわずか一年ほどで休刊になってしまった雑誌。バブルを批判し、福島の原発の欠陥を批判し(その後記事の通りに事故を起こした)、竹下は金権で倒れると首相になる前から宣い、ついには池田大作をやり玉に挙げてしまったため、アグネス・チャンの講演料を間違ったと言う何でもないと思われるような記事が原因でいきなり休刊されてしまった。

VIEWS:講談社(91年創刊)
 リクルート事件ネタで世の中をあっと言わせた。その舌鋒は朝日新聞にさえ挑んだ。同じ出版社のせいかどことなくDAYS JAPANに近い臭いを持っていたのでお気に入りだったのだが、この雑誌もあまりにもディープなネタを扱ってしまい(朝日新聞の本多勝一がリクルート接待を受けていたなど)サヨクのジャーナリストを敵に廻してしまったため結果的に撃沈されてしまった。読売出身の本田靖春氏のコラムなど良質の記事が多かったために非常に残念であった。

SAPIO:小学館(89年創刊)
 創刊号から買い続けている雑誌で唯一生き延びている雑誌である。創刊当時から北朝鮮問題や中国問題を積極的に(目の敵とも言う)取り上げ続けていたため、その当時の良識派(朝日を読むような連中)の目を気にせずにおおっぴらに読める雑誌ではなかった。時代は巡り朝日を読んでいることを人に隠さなければいけないようになったが(まだ、そこまでは行っていないか?)、右翼雑誌と見まがうかのような誌面は相変わらずである。良く読めば決して右翼ではないのだが、読んだことの無い人にとっては正に天敵のような雑誌である。今迄にJR、朝日新聞など多くを敵に廻し、大新聞がなぜ創価学会を批判出来ないか、記者クラブがどんなに腐っているか、国連はとんでもないところだと書いてきているが潰されることなく頑張っているのは、発行元が少年誌で安泰の小学館だからなのだろうか。

木曜日, 3月 31, 2005

週刊朝日が武富士から5000万円

 さすがは天下の週刊朝日である。SPAでは、こんなに貰えないだろう。

 盗っ人から金を貰って記事を書くくらいだから、独裁国家を持ち上げるような記事を平気な顔して出し続けることが出来たのだ。天晴れである。

結論:朝日新聞を正義だと思っていた人達は、この際非国民になって下さい。

火曜日, 3月 29, 2005

新東京タワー

 新東京タワーの候補が墨田区に絞られた。地元に新名所が出来ることは喜ばしい限りであるが、一番最後に名乗りを上げたことに横取りされたような気持ちを抱いている自治体が多いのも確かである。曰く何も地盤の軟らかいゼロメートル地帯に作る必要は無い。集客地であるうちの方が良い。区北部の開発を期待していた。東京にふたつもタワーがあるのずるいなど、それぞれの思惑で色々と意見を述べていたが、一つだけ訳の判らないのがあったので、私の意見を述べたい。それは、”東京の外れにタワーを作る必要は無い”だ。これを言ったのが港区や中央区や文京区ならば判るが、言うに事欠いて練馬区なのである。いつから練馬区が東京の中心になったのだろう。経度から見れば墨田区よりも中心に近いかも知れないが緯度から見た場合外れも良いところだ。関東平野で考えた場合はどちらもそんなに違いがなく甲乙は付け難い、東京に限れば立川市が中心だと考えるべきだ。外れである練馬区に墨田区が外れと言われる筋合いはないのである。墨田区は台東区と並ぶ典型的な下町である。江戸時代は江戸のうちには考えられていない地域だったが明治以降は重要な地域であった。現在はかなりくたびれてしまったが(震災と戦災は大きかった)、東京らしさ(外人にとって)の代表である浅草の川向こうと言う立地は大いに活かされるべきだろう。それと、今回最終候補に選ばれた理由の一番肝腎なところは権利関係のはっきりしている広い土地が確保出来ることだろう。遊休地(再開発地)となっている東武鉄道の土地だけで大半が済んでしまうのが大きい。

 墨田区は災害に弱いと言う指摘は非常に大切なことである。確かに木造住宅の密集している墨田区が危険なことは間違いないが、墨田区は錦糸町、曳舟、押上と再開発が一気に始まろうとしている。ついでだから江戸情緒たっぷりの街に作り替えてもらいたいものである。

月曜日, 3月 28, 2005

ソフトバンク登場

 ライブドア vs フジテレビにSBIが参戦。これって、住吉会に乗っ取られたくないから稲川会に世話になるのとどこが違うのよ。フジサンケイグループの主権はもうないも同然になってしまうのでいいのだろうか。それならば、ライブドア傘下でも良かったんじゃないの。タチの悪さだったらSBIの方が数段上だと思うんだけど。

月曜日, 3月 21, 2005

時間外取引顛末

 時間外取引がどうのこうのと未だに馬鹿げたことを言っているフジテレビであるが、どうも半年ほど前に村上ファンドの問題が発生した時にニッポン放送の株を時間外に取引して持ち株比率の工作をフジテレビが行っていたことが明らかになってきた。これは明らかに株主をバカにした持ち合い比率の操作である。鹿内家の株を管理していた証券会社がTOBの引き受け証券会社であったことも酷い話だが、フジテレビがやっていることは正にいかさまである。前から言っているように実のところホリエモンのやり方はあまりにアメリカ的過ぎて好きではない。しかし、フジテレビはそれ以上に日本的なあくどさが表に出ていて到底納得出来る代物ではないのだ。そもそもがこそこそと時間外取引で持ち株比率に手を加え、裏取引(インサイダー)で鹿内家の株を不正に手にしていながら言えた義理ではないのだ。

 それだけではなく、今回の時間外取引は金融庁の事前承諾の上に行われたと言う話さえ聞こえてくる。自分たちでお墨付きを与えておきながら、問題が大きくなったとみると時間外取引は如何なものかなどと、いけしゃーしゃーと言える役人が国の舵取りをしているのかと思うと情けなくなってくる。旧大蔵省が持っていた銀行に対する権限を手にし、やっていることは銀行に対する脅しと権限の拡大だけだと言うとんでもない組織がのさばっているのだ。

結論:やはり、日本は上から下まで腐っている。世が世なら軍部によるクーデターが起きてもおかしくない状態である。

金曜日, 3月 18, 2005

フジテレビお前もか

 姑息な手を使ってじたばたしていたニッポン放送の争奪戦。余計なことをしないで提携をしていればこんなことにはならなかったというような雲行きになってしまった。もちろんこれは結果論でしかないので喜んで提携を持ちかけても結果的には同じことをされていたかも知れないが、ついに本丸であるフジテレビの株をTOBされそうである。こうなったらばフジサンケイグループごとどこかに買ってもらうしか方法がないのではないだろうか。だから言わんこっちゃないのだ。日本は取締役と役員の分離が行われていなかったためアメリカ的な経営方法をとらず、オーナーでも無いのに社長の権限が強過ぎたのだ。社長とは番頭に過ぎないのが本来の形。それを思い知らされたのが今回の騒動の結果だった。

 これから、どのような形で決着がつくかは判らないが、どのようになろうとも日枝さんもうあなたは身を引くしかないのです。クーデターで政権をとった人間は結局同じように自分も身を引かなければならないのです。

結論:因果応報は、本当なのである。

木曜日, 3月 17, 2005

ジェンダーフリーとは無秩序のことである

 フェミニズムの旗色が悪くなり始めた頃、連中はジェンダーフリーと言う和製英語(世界中で通用しないことは間違いない)を持ち出して同じ主張を始めた。フェミニズムは煎じ詰めれば女尊男卑である(女性の権利は拡大し、男性の自由ははく奪)。フェミニズムでは、おかしなことに本来認められていた女性の主婦としての権利は蔑ろにされた(専業主婦が諸悪の根源になってしまった)。あいつらの主張からしたならば、女性は家庭を顧みず外へ飛び出して好きな時にセックスをしなければいけなくなってしまう(実際、もうそうなっているのかも知れない)。こういったやつらは、絶対平和主義で、動物愛ご者で、悪平等主義者で、非愛国者だ。ようするにフェミニズムなどと言う前に、明治の頃から無政府主義者と言うありがたい名前を持っていた人達だ。

 国旗も嫌い、国家も嫌い、そもそも私を正統に評価しない日本が嫌いという御仁達である。それが、ついに行くところまで行って男女に性差は無いと言い出した。あるものが無いと言い張るのは、無いものをあると言い張るのと同じでまともな精神状態でないことは確かだ。本来ならば病院と言う施設に閉じこめなければいけないのだが、どういう訳かイケシャーシャーと生きている。本当にキチガイにとって良い世の中になったものである。私はそんな日本が大嫌いだ。

 何も性差別をしろと言っている訳ではないし、男女で役割分担が生まれつき決まっているとは考えていない。それどころか、家事も育児も男女同等に分担するのが当然だし、実際にそうしてきている。ジェンダーフリーの連中はどうして、そういうふうに自然に考えられないのだろう。彼らこそ本当の性差別を行っているのではないだろうか。男性は必ず加害者で女性は被害者としかとれないような考えは性差別以外の何物でもない。性に絡めるのではなく人間としてしなくてはいけないことと、してはいけないことを決めお互いを尊重するのではいけないのだろうか。

結論:ジェンダフリーなどと暴れる奴がいるから世の中からいつまでたっても戦争が無くならないのである。

火曜日, 3月 15, 2005

IT VS TV

 今回のフジサンケイグループの騒動で、忘れられている問題を少しばかり突っ込んでみたい。盗っ人が詐欺師に対してあくどいと騒いでいるのが今回の騒動ではあるが、もっと根本的な問題いつまでも放送と言うメディアがそれだけで存在出来るのかの視点が抜け落ちている。日枝さんは放送は永遠に続くと言っているが果たしてそうだろうか。アナログが永遠に続くと言うのならばそれは良いことだが、デジタルで生き残ると考えているのならば、それはおかしいと思う。

 個人的な考えとしては地上波デジタルをやるくらいならば、全家庭に光を引いてしまえといいたい。そしてアナログ放送を続けるべきなのだ。そもそも放送は双方向で通信をするためのメディアではない。垂れ流す物が放送なのだ。実際に現在のテレビ放送の内容は垂れ流しにしかならない代物ばかりである。

 また現在のデジタルテレビは買い替えられる人が限られる価格である。デジタルテレビに買い替え可能な人ならば既にPCを持っているし、新たなPCに買い替えるお金を持っているが、そうでない人は1台3万円くらいで販売しない限りデジタルテレビに買い替えることはありえない。つまりアナログ放送が無くなってしまえばその人達はテレビを見ることが出来なくなってしまう。

月曜日, 3月 14, 2005

仮処分後のあれこれ

 ライブドアの新規株発行差し止め申請の地方裁判所の判断は、おおむねライブドアの主張通りに収まった。これは、収まるのが当たり前であってマスメディアが言っていたことが見当違いだっただけなのであるがそういう発言は少なかったように思う。ようするに、日本のマスメディアの民度がいかに低いかを露にした訳である。結果を受けて日枝会長のの発言は良くもここ迄態度を変えられるなと言う程の変りぶりであった。あれじゃまるでライブドアが話し合いを拒否していたみたいな言い草ではないか。臆面もない年寄りくらい害になるものはないとつくづく思った次第である。

 さて、柔軟路線になったかと安心していたらばニッポン放送の亀淵社長はポニーキャニオンの株を売ると言うことを言い出した。ちょっと待て、それこそ企業価値を棄損する行為じゃないかニッポン放送の利益に占めるポニーキャニオンの比率は自社の利益よりも大きいのである。こんなことをされたら株主は黙っていないぞ。これで、ニッポン放送の社長は6月の株主総会で更迭される公算が高くなってきた。行き過ぎた企業防衛くらい株主にとって害のあるものはないことの正にお手本になろうとしている。

結論:フジサンケイグループは腐ってもフジサンケイグループである。馬鹿は死んでもやっぱり馬鹿なのだ。

月曜日, 3月 07, 2005

鹿内しかない!!

 本日が、フジテレビのTOBの期限である。大和証券の預かっていた株が鹿内家のものであることが明らかになり、フジテレビにTOBで売り渡すのは契約違反であると前日になって発表された。創業一族をフジサンケイグループから追い出した人間が動かしているフジテレビに鹿内家の株をTOBで売り渡すなどは道義的に許されない行為であることは明らかだ。最後の最後までそのことを公にしなかった鹿内家の揺さぶりであることは間違いない。もし、大和証券の分がTOB無効とされた場合にはフジテレビの作戦は完全に失敗となる。さて、どう動くのだろう。

 一つは、フジテレビはTOBを失敗しライブドアが親会社になってしまうシナリオ。これは、今日の段階の予想では五分五分。
 一つは、村上ファンドがライブドアに譲り受けられ完全支配されてしまうシナリオ。これは、七対三で無いシナリオ。
 最後の一つは、現フジテレビ経営陣の退陣を条件(鹿内家復活)にフジテレビTOBに鹿内家が応じて、フジテレビがニッポン放送の子会社から外れるシナリオ。昨日まではこんなことになるとは思いもしなかったが、七対三でありえそうな雲行きになってきた。

結論:ライブドア対フジテレビの争いのように見えていた今回の株騒動は、鹿内家の手に握られることになった。まさに、大取りは”鹿内しかない”だったのである。

土曜日, 3月 05, 2005

コクドがミカドで無くなる時

何十年も前から知られていた問題でついに堤義明が逮捕された。本来ならばその錬金術と節税工作(相続税に関しては明らかな脱税だった)を黙認してきた社会(マスメディアや国や財界)にも問題があるはずなのに、それは棚に上げていきなり逮捕だと言うのだから堤以上に酷い奴らである。マスメディアや国や財界が全く知りませんでしたとぬけぬけと言っているとしたら、それこそ盗っ人猛々しい限りである。堤義明に対してするべきだったことは、何十年も前にきっちりと税金を収めさせ、西武の上場を阻止する(そもそも上場基準に達していないのだから)ことだったはずである。見て見ぬふりをしていながら金のあるうちは好きなようにさせておいて、オリンピックをプリンスのために長野に誘致させることさえしてきたではないか。

堤があそこまで裸の王様になってしまったのは、その取り巻き(あの会社の社員は喜んで奴隷になっていた)と、それを許してきた社会にあったはずだ。プリンスの社員の態度は最悪だった。一度も良い感じを受けたことは無かった。それが、全てだった。そもそも、土地の買占めと肥を運ぶための鉄道から始まって、たった一代であそこまで大きくなるというのは並大抵のことではないのだ。「そこに何も無かったはずがない」と考えるのが正常な神経だ。


結論:マスメディアや財界や国は、決して北朝鮮の国民をおかしいとは言えない。何故ならば、独裁者に対しては全く同じ態度をとっているからだ。そして、独裁者が倒れた時に言うのだ。「あいつはこんなにも酷い奴だった」と。お前らの方がよっぽど酷い奴らだ。

木曜日, 2月 24, 2005

フジテレビはやっぱり馬鹿

 ニッポン放送を子会社化するための株数に届きそうもない(TOBは失敗)となると、現在の発行株数の1.4倍もの新株発行をフジテレビに対して行うという既存株主を完全に無視した戦法を使ってきた。ライブドアにきちんとした戦略があるかと言えば、色んなことに手を出すだけで十分に計画を練っていなかった過去を振り返れば怪しいものであることは間違いないが、それでも今回の対抗策はあまりといえばあまりである。乗っ取られたら困るような企業を上場させてほったらかしていたことがそもそもの問題であって、本来ならばコクドのように非上場企業にフジの親会社でいてもらわなければいけなかったのだ。それを、棚に上げて大騒ぎして揚げ句の果てには時間外取引よりも掟破り(悪質)な対抗策を使おうと言うのであるから、もうお話にならない。

結論:馬鹿はいつまでたっても馬鹿だ。公共放送(本当かい)だからライブドアとは提携出来ないと言うが、今回のような原因をほったらかしておくような企業に公共放送を任せておいたことが問題のような気がする。さっさと放送権を返しなさい。

水曜日, 2月 23, 2005

輿論と世論

 戦後民主主義は世論(せろん)に支えられて地の底まで落ちようとしている。マスメデイアは、戦後の漢字制限を利用して世論を”よろん”と意図的に読み替えているが、”せろん”と”よろん”では言葉の持っている重さに大きな差があることがなおざりにされてきた。自分なりの確たる基準を元に意見を述べる訳ではなくただムードで考え流されている限り輿論とは到底呼ぶことが出来ない。戦前もやはり世論(せろん)を元に戦線の拡大へと雪崩をうって行ったが、輿論を形成していた人々は戦争の問題点をはっきりと指摘していた。伝統に根差すことなく、その場のムードで改憲を口にしたり、皇室典範の改定を口にしたりするのは愚の骨頂である。

 そもそも、現在抱えている問題は以前から考えておかなければいけなかったものばかりである。皇室の問題(女帝)、自衛隊の問題(改憲)、ニッポン放送の問題(買占め)などは、付け焼き刃で解決してはいけないものばかりなのに、それですまそうとしている。人権がないはずの皇室が、一般家庭のように妻の人権問題を発言することがおかしいと何故言うことが出来ないのか、皇室に許されている公務とは公務員(一般人)のそれとは違う。そのことが判らなくなっているというのは皇室さえ民主主義の範囲に入ると誤解させてきた社会に問題があるのだ。それをさらに進めて行こうと言うのが世論ならばいっそのこと天皇が象徴であることを辞め、ヨーロッパ型の王室に変更するように憲法を改正してしまえばいいだろう。

結論:問題が明らかになるまでほったらかしにしていた問題は、慌てふためくのではなくじっくりと本当の輿論をまとめる形で時間を掛けて解決しなければいけない。今迄ほったらかしていたのだから重要じゃなかったのでしょ。まあ、危機管理意識がなかっただけだと思うけどね。

月曜日, 2月 21, 2005

ヒューマニズムは素晴らしい

ヒューマニズムを持ってすれば虐めがなくなり良い世の中になります。そうかも知れないがそんなことを言う奴らは同時に人権やら平等やら平和やらと関係ないものまで持ち出して(本当は関係あるのだがそんなことを言い出す奴が使う使い方は根本的に間違っている)ヒューマニズムが大切ですと言う。揚げ句の果てに犯罪を犯す青少年が悪いのではなくそんな青少年を作り出した社会が悪いと言う。物事は簡単だ。どうにも更生しそうもない子供と親を火炙りにすればいいのである。人格もないものにヒューマニズムを拡大するから世の中が悪くなるのである。こんな奴らには人権も平等もないし自由もいらない。

悪いこともしていないのに強制収容所に送られるのはヒューマニズムに反するが、極悪人を隔離するのは人の道に外れたことだろうか。私には到底そうは思えない。今の日本では生活に困って犯罪を犯すような人間は多くないが、遊ぶ金が欲しかったので殺したという奴ならゴロゴロいそうである。それと単なる人格破たん者達。

結論:人の道を踏み外した奴はお天道さまを拝めないようにするべきである。それが、正しい人の道である。似非ヒューマニズムよりも横丁の頑固親父の方がよっぽど素晴らしい

バカの壁の壁

大分昔の話になってしまうが、養老孟司氏の『バカの壁』という新書がベストセラーになった。養老孟司氏は嫌いではないがついに『バカの壁』を読むことはなかった。そもそもあの本を読んだ人達と言うのはどんな人だったんだろう。恐らく、自分はバカの中には入らないよなと確認するために買ったのではないだろうか。それとも、ベストセラーだから買わない訳にはいかないと言う強迫神経症気味(付和雷同すると安心すると言う特徴がある)の人だったのだろう。どちらにしても、大バカじゃないがプチバカの傾向のある人には違いない。

日ごろから、バカばかり見てきている私などはそんなものを見る以前にバカの生態は良く判っているので、今更壁などと言われてもというのが正直な印象だった。よって買うどころか立ち読みさえしなかった。尊敬出来る学者でも禄でもないものを出すことはある。それを、感じ取るだけの知性を持っていればバカは怖くないのである。

結論:こんなふうに権威でも自分よりも下に見る私は本当のバカだ。

民主主義は素晴らしい

今に始まったことではないが、アメリカは民主主義(多数決絶対主義)を世界中に広めようとしている。ご多分に漏れず日本も戦後アメリカ型の民主主義に染まってしまい、その上で自由主義(自分勝手とも言う)にまでなってしまったために今の日本は、ニッポンに成り下がってしまった。

民主主義を素晴らしいと言う人は戦前を引き合いに出して、民主主義が如何に優れているかを説くことが多いが、これは完全な欺瞞だ。戦前・戦中を通して日本は民主的な国家であった。軍に主導権を与えたのも民主的な世論であったし政治家(クーデターを恐れた)であった。天皇が苦慮した点も国民主権を守ろうとしたために戦争になってしまったことが一番大きかっただろう。天皇は終戦に当たって初めて統帥権を逸脱し戦争をやめることの出来ない国民の変わりに戦争を終了させた。つまり民主主義を停止した時に初めて戦争から解放されたのである。行き過ぎた民主主義は全体主義であり共産主義なのだ。

結論:少数意見を入れられなくなった民主主義は独裁政治よりもタチが悪い(誰も責任をとらなくて良くなる)。全員一致の意見は否決されるユダヤの知恵を日本にも取り入れなければいけない(全体主義の怖さを知っていたのだ)。今世界は悪い民主主義(強い奴は何をしても良いという考え方)に満ちあふれている。

金曜日, 2月 18, 2005

金にものを言わせるのが資本主義ではないのか

 限りなくグレーに近い時間外取引で、ライブドアがニッポン放送株を買い占めたことに対して政財界の批判が相次いでいる。同時期にTOBが掛かっている時の取引だけに褒められたことではないかも知れないが、何ら法令に違反していない行為を批判するのはどうであろう。揚げ句の果てに、公共機関(民間企業だろうが)である放送局を金に飽かせて乗っ取ると言うのはおかしいと言うおかしな理屈まで持ち出している。今回の騒動の原因はそもそも、フジテレビスタート時の資本関係を長年放置していたフジサンケイグループに問題があるのじゃないだろうか。買い占めがけしからんと言うのならば、上場などしなければ良かったのだ。金が欲しいから株式公開していたくせに金にものを言わせるのは如何なものかと言われたって、そんなこというなら上場するのは如何なものかと言われても仕方がないだろう。

 どんな企業でも、上場していれば乗っ取られる危険は付きまとう。これは資本主義の鉄則である。それをダメだと言うのならば放送局は全て非上場にするべきである。ニッポン放送とフジテレビの株の構成のおかしさはコクドと西武の関係に似ています。いっそのことコクドと同じようにニッポン放送が非上場企業であったならば今回のような時間外取引は成り立たなかったことを考えるべきです。但し、本当に非上場であったら鹿内さんちの株がいつの間にか名義変更されていて乗っ取られていたかもしれませんね。

 結論:ホリエモンは嫌いだが、買った方ばかり叩かないで売った方も批判するべきじゃないか。売る奴がいなければ買うことは出来ないぞ。株券を勝手に刷ったならば別だけど...

木曜日, 2月 17, 2005

暗い唄が聞こえる 〜第4章〜

暗い唄が聴きたくなったあなたにぴったりな歌手をお教えいたします。

NSP:夕暮れどきはさみしそうを代表曲にする彼らはまだ性懲りもなく活動しているらしい。正式名称はニューサディスティックピンク。Led Zeppelinの”天国への階段”のイントロをパクりそこなったようなメロディーが物悲しかった。どうやら、版権が切れているらしくてダイソーで100円でCDが買えるらしい。まだ、聞いたことがない人達はたった100円で暗い気持ちになれるのである。良い世の中になったものである(だから、包丁で先生を刺すような馬鹿が出てきてしまうのだ)。
注意点
 *結構シュールなので心に傷を持つ人には危険です。
 *知っていても自慢してはいけません
 *聴いても、決して心は晴れません

かぐや姫:確信犯的4畳半フォークの殿堂。中学生が二昔前の少女漫画に出てきそうなストーリーの歌詞で泣かそうと言う魂胆が見え見えであった。男の子にちやほやされることのない女の子にはちやほやされていた。どっちかといえば、フォーリーブスのファンとかぶる田舎臭い子に受けていたと思う。仲間には、イルカや風(かぐや姫解散後に伊勢正三が結成)などがあった。デビュー当時は”酔いどれかぐや姫”と言う色物フォークを歌っていたのは忘れることが出来ない。豊島園で、吉田拓郎のパロディを謳いながら生活していたことを私は知っている。
注意点
 *メジャーなので聴いていると馬鹿にされる
 *若い子には受けない
 *あの程度ならば自分でも出来るとつい考えてしまう

火曜日, 2月 15, 2005

日経新聞は信頼出来るか?

 日本には経済専門の大新聞は日経しかない。昨今、朝日やNHKの化けの皮がはがれたにも関わらず、日経の記事をうのみにする輩が多すぎる。実は経済に関しては、日経新聞は相当いい加減な記事を書いている。良く言ってフライング、悪く言えば提灯、もっとうがって見ればねつ造と言えるようなとんでもない記事を書きなぐってきた。日本のバブルを煽った張本人は、日経と野村証券だと言っても過言でないだろう。本来、日本の経済のことを考えたらばバブル期に日経がしなければいけなかったことはバブルにならないように市場の熱を冷ますような記事を書くことであった。現に、あの当時"コモンセンス"や"DAYS JAPAN"ではアメリカの80年代初めと全く同じ動きをしているから不動産や株には手を出してはいけない、日経平均は1万7千円が適切だと89年に書いていた。当時株価は4万に届こうかとしていたが良識のあるメディアは、きちんと本当のことを書いていたのだ。翻って日経新聞は何をやっていたのか、多くを語る必要はないだろう。日経に出てくる経済は、財界が望む姿であって実態ではないと言うことである。

 というわけで日経の正しい読みかたは、月曜の一面に出ている記事は疑って掛かる。100ある記事のうち75位は観測記事であり、残りの24は提灯記事である。国際や政治面は信じても問題ないと言うことである。

 結論:日経は経済新聞として読んではいけない。

土曜日, 2月 12, 2005

大人げない大人たち

 昨日に引き続きホリエモン話を。フジテレビによるニッポン放送のTOBの目標を引き下げ、ニッポン放送の上場廃止を目標にする路線をとることにするらしい。ニッポン放送の株を持っている一般投資家のことを全く無視した大人げない仕打ちである。ここは、ホリエモンに味方して、フジテレビの株を時間外取引で大量に売る人が出てくることを望んだ方が良いかもしれない(鹿内一族協力してね)。個人的に堀江社長をそんなに好きではない(ソフトバンクのように胡散臭い気がする)が、フジテレビはそれ以下だ。フジテレビのTOB同様に、株の時間外取引は純粋な経済活動であってなんら問題の無い行為である。それにも関わらず、フジテレビは同じグループであることが錦の御旗のように勘違いをしているのだ。グループ内で内紛が続き一枚岩でないのだからよそ者が入ってきても仕方がなかったのだ。売る人がいなければ株を買うことは出来ない。負けを認め、もうこれ以上グループ内の亀裂が大きくならない方法を早くとることである。それが、ライブドアに対抗することではないことだけは間違いない。

金曜日, 2月 11, 2005

やっぱりお前はフジサンケイグループ

 朝日ネタ(ねつ造)ばかりじゃなと考えていた矢先。やってくれましたフジテレビとニッポン放送のTOB騒ぎ。前回でこれだけは、やっちゃダメよの王道をひた走ろうとしているようだ。それだけではなく、ホリエモンに「ちなみに、日曜日の私がレギュラー出演している、平成教育2005予備校は中止にされてしまったようだ。うーん、凄いことやるなあ。そんなのってあり?ありえねーとか思ってしまった」と言われるような無茶苦茶な抵抗をしてしまったのである。朝日のように自分たちが正義ですとは言ってはいないが、それにしても今時自社に関わる報道をしないと言うのはどういうつもりなのだろう。平成教育委員会は、担当ディレクターの飛び降り自殺がきっかけで番組が終了したと言ういわく付きの番組なのだ。それが、せっかく復活したと思ったら今回の措置。担当ディレクターは、政治介入があったと日テレで涙の会見をした方が良いだろう。

 産経新聞をはじめとするフジサンケイグループだからこその顛末である。今回の事件で朝日と同様に偏っている(右と左の違いはあるが)だけでなく、金が絡んでくると(朝日の場合は思想が絡んでくると)露骨に態度を豹変させる会社であることを公にしてしまったようだ(気付かない人は少なかったと思うけど、以外に多かったのかな)。

 結論:日本のマスメディアを公明正大と考えてはいけない。何も書かないと言うのは事実の歪曲なのである。自分達の悪い点を言わないのは決して朝日だけではない(ただ、朝日の責任転嫁は、かなり質が悪いのも事実である)。

水曜日, 2月 09, 2005

ホリエモン再び

 顔を見ただけでは、ボーッとしていて眠そうなアンちゃんにしか見えない堀江社長はそれなりにやり手のようである。今回のニッポン放送の株取得劇も普通に考えれば無理だと思って鼻から考えない手段だっただろう。ところが、突然筆頭株主に名乗りを上げることになってしまったのだから、フジテレビにとってはまさに青天の霹靂としか言い様のない状況に追い込まれてしまった訳である。

 村上ファンドによるニッポン放送の株の買い占めによってある日突然ニッポン放送を乗っ取られるという危機に初めて気付いたというのも相当に間抜けである。通常ならばグループ同士なので簡単に問題が解決すると考えたが、鹿内家との確執問題などがあり内部は一枚岩ではなかった。今のフジテレビの体制を善かれと思わない株主が多かったために突然ホリエモンが登場出来たのだ。ライブドアは村上ファンドからは株を買っていないと言う。現在の持ち株比率は35%、もしフジテレビがライブドアとの提携を拒否した場合村上ファンドの株式は全てライブドアの手に移ることになる(55%の株式保有)。そうすれば、ニッポン放送はライブドアの物になってしまい、フジテレビの実質支配が可能になる。新株発行などで対抗しようとするかもしれないが、それは無駄なあがきになってしまうだろう。

 ホリエモンの後ろに控えているのが誰なのか掴み切れないが、旧体制と組む楽天よりもライブドアはよっぽどどやり手だったのである。

金曜日, 2月 04, 2005

メディア規制 流れ反映か

 メディア規制 流れ反映かという東京新聞の記事をみて考えるところがある。「マスコミはやくざ者より始末におえない悪辣(あくらつ)な存在」という特捜部長の言い分は決して褒められたものではないが、行き着く先は「大本営発表」だと言う発言はもっと頂けない。実は東京新聞は新聞の中では一番偏向していない新聞である。読者数が限られるのにも関わらず真面目に報道を行っている。そこでさえ、こう言った反応をするのである。大本営の発表を必要以上にに脚色してとんでもない記事を平気で作っていた朝日新聞はまさに、やくざ者より始末におえない悪辣(あくらつ)な存在だったし、今もそうなのである。平和だ民主主義だ平等だと何かと言えば、口にして正義を語りたがるために疑うことを知らないお人好しは朝日などを正義のシンボルだと思っているが、あそこが褒めていた国はどこも独裁国家だった。

 なまじ影響力のあるマスコミが世論を作り出すことの害は、マスコミから語られることはない。それだけではなく今のマスコミの報道のやり方は、安っぽいサスペンス劇場のように品がない。事実を報道すればいいだけなのに、ニュースまでがワイドショーのように扇情的な取り上げ方をして大衆が偏った世論を持つようにムードを作り出している。こんなものには、百害しかないのだ。

 知っていても相手が強い時には耳をふさぎ、叩ける時には正義面をしてしゃしゃり出る。これも、マスコミに共通して見られる傾向である。こんなやつらを「やくざ者より始末におえない」と言ってどこに問題があるのか。問題のあるマスコミを規制しても問題ないはずだが、それが行き過ぎれば「大本営発表」になってしまう。なぜなら今の日本には輿論がなくなり(だからすぐにムードに流される)、良識のある大人がいなくなってしまったのだ。これも、普通選挙と言う間違った制度を取り入れてしまったからに違いない。

 結論:記者クラブに出入りしているような大マスコミは、やくざ者より始末におえない代物であり、今の世の中には世論(せろん)はあるが、輿論(よろん)は既に死んでしまったということである。

木曜日, 2月 03, 2005

ねつ造するは我にあり

 世の中には良くない冗談が多くある。私の冗談はかなりブラック(シュール)なので、人のことをあれこれ言うのは気が引けるのだが悪意のあるものは黙って見過ごす訳にはいかない。

 最近の例では、何回も書いているので耳にタコかも知れないが朝日新聞 VS NHKだ。NHKがしょうもない放送局であることは今に始まったことではないが、製作費の流用事件で印象の悪くなっている時を狙って政治介入があって放送の内容が変えられたという噂のある過去の事件を持ち出して、ついでに自民党を叩く材料にしようとしたのはたちの悪過ぎる冗談だった。

 そもそも、今回問題となった番組は公共放送がやるような内容ではなかった(事実かどうかも判らないものを、事実のように扱っていた)ものだったために、上層部の政治的介入(政治家の介入ではなく社内政治の介入)によって偏向した内容を変更された訳である。恐らく、その後も同じようなことを続けていたために今回のプロデューサは干されてしまい、あんな会見をしたのが事実だろう。

 それを、吹き込んだのが同じアカ仲間の朝日の本田記者である。朝日は名実ともに左に偏った新聞であるが、その中でもくだんの記者はバリバリの左寄りだったわけである。左を利することならば、虚実取り混ぜてねつ造を行うのに慣れ切ってしまったために、どういう結果になるかを判断出来なかったのだ。

 ではどんな結果になったのだろう。拉致問題以降、購読者の減少に歯止めがかからなくなっているのを防げたのだろうか?結果は前にもまして購読者が減ってしまった。返り血と思った血は、自分が流した血だったのである。

 結論:悪い冗談は自分にハネ返ってくるので、言わないのが身のためである。

木曜日, 1月 27, 2005

Microsoft海賊版対策強化

 サブクリプション導入だとか、海賊版対策だとか、なんか知らないけれどMicrosoftは利益確保に必死なようである。そもそも、OSやソフトウェアに金を出すことを意識させないようにする戦略をとってきたのがMicrosoftだった。OSやOfficeはバンドルが当たり前(他社のつけ入る隙を与えないためにしたんでしょ)だったために、タダで付いているもんだと勘違いする人を作り出してきたのは他でもないMicrosoftである。そのあおりを食って多くの企業が消えて行った。今更、不正に使うなと言ったってMicrosoftのバンドル行為そのものが不正だったのだから、盗っ人猛々しいも良いところだ。

 大体、金を出したくなるようなまともなソフトを出していないではないか。アップデートの度にひどい目を見た人達が気持ち良く金を出せるような商品ならば、ごく一部の人間を除いて喜んで金を出すはずである。海賊版対策やサブクリプションをする前に、Microsoft商品の抱き合わせ販売はやめて真っ向から勝負するのが筋じゃないのか。

 でもそうなったら、誰もMicrosoftの商品を買わなくなっちゃうだろうけど。

火曜日, 1月 25, 2005

朝日+α

 昨日に引き続き、朝日新聞ネタを。政治的圧力という言葉はいかようにでもなるありがたい言葉である。そして、放送の前に圧力があったと事実を歪曲している(ねつ造かな)。恐らくは、その内容から事前に社内で不味いと言うことで内容の変更があったのが事実である。つまりは事前検閲だ。しかし、事前検閲を批判する資格は日本の報道機関にはない。何故ならば、今でも社内で事前検閲を常時行っているからだ。これは、天下の朝日でも(朝日だからこそと言った方が良いだろうか)そうなのである。

 良く戦前の治安維持法を引き合いに出して、戦前は言論に自由がなかったと言う主張を朝日などのサヨク系のジャーナリズムは言う。そして、軍部に対して批判した人達は拷問を受けて殺されたようなことさえほのめかす。しかし、事実は全く違う。治安維持法で捕まった連中は言論によって捕まった訳ではない。無政府主義者やアナーキストだったから逮捕されたのである。戦前、戦中の政治家でも自分の意見を国会で発言して逮捕されることはなかったし、ジャーナリストも問題の発言をした号が発禁処分を受けることはあっても、事前検閲などは行われていなかった。当然それで、獄死するようなこともなかったのである。事前検閲が始まったのは、本当の自由民主的なアメリカに駐留されてからである。

 どんなに、まともな記事であってもデスクより上の圧力で記事を握りつぶされてしまう朝日の方がたちがよっぽど悪い。何も産経新聞みたいな物を記事(これも、とんでもない代物だ)にしろなどと言っている訳ではない。せめて、本多勝一の過去の記事は偏向していたと正直に述べるだけの誠実さが必要だと言っているだけだ。戦前、戦中と翼賛だったくせに一度もそれに対して詫びたことがないことの方がよっぽど不誠実だといえる。それで、追いつめられれば戦前には言論の自由がなかったためにああせざるを得なかったと軍国主義のせいにする。戦争をあおったのは報道機関だったんだよ。それを、忘れるな。

*追記:本文中に出てくる本多勝一は、今回問題の記事を書いた本田記者と間違えた訳ではなく、サヨクにシンパシーを持っているためにねつ造記事を乱発しているために例として挙げた次第です。

月曜日, 1月 24, 2005

朝日 VS NHK+α

 流石、日本の公器を代表する朝日新聞である。NHK問題に関係ないものまで絡めて無理やり一つのありそうな話を作り上げてしまった。こんな新聞が大手を振って歩ける日本と言う国は平和(平和ボケが正しいか?)なはずである。政治家の関与があったかどうかが問題でない問題を、問題としてしまうその感性を私は疑ってしまう。そもそもの、切っ掛けは北朝鮮や中国に対する現実を歪曲してきた姿勢が明らかになって(最近までそれに気付いてなかった人達が悪いだけなのだが)、窮地に立たされた朝日(これは他のサヨク含む)が、自分たちに対する攻撃を交わすために昔の話を蒸し返して騒いでいると言うのが実態だろう。今迄もあまりに歪曲した報道を繰り返してきたツケが出たと言うべきかも知れない。

 もちろんこんなことを書くのはNHKを擁護しようなどという気持ちからではない。そもそも、ここ迄放送が多様化された時代にあって公共放送が今のような形で有ること自体が、非常におかしなことだと思っている。年々視聴率の下がっている紅白を続ける必要は無いし(馬鹿騒ぎにあんなに金をかける気が知れない)、教育と災害時の緊急放送(冗談みたいだがNHKは新潟地震の被災地で自衛隊のヘリに助けられると言う問題を起こしている)以外はNHKに必要ないとさえ思う。その流れからNHKは完全に民営化するか完全に公共化(国の予算だけで活動)するどちらかしかないだろう。

 朝日は政治介入を今回の問題に絡めようとしているが、もともとが偏向した内容であったものを正すことが問題だろうか。内容的にあまりに左寄りだったものをまともなものにすることが政治介入だと言うならばどんどんやって欲しい。左翼の思想が平和主義だなどと言う御託は北朝鮮や中国を見れば如何にふざけた主張であるかは明らかである。そもそも、記者クラブなどと言う政治介入を前提にした組織を維持していながら、こんなことを言える朝日は本当に臆面がないと言いたい。

 朝日新聞には、この際記者クラブなどという間違った組織を率先して解体してもらいたい物だ。もしもわずかでも良心があるのならば、それから偉そうなことを言うのが本筋だと思うよ。

金曜日, 1月 21, 2005

癌では死なない

 前々から思っていることなのだが、今回のイレッサの問題で改めて俺の考えは正しいと自信を持った。抗がん剤とはただの毒である。特に日本で販売されているものにその傾向が強い。イレッサの場合何らかの遺伝的な要因で東洋人には延命効果があると言われているが、副作用で死者がこんなに出てしまっては仕方がない。もともと期待される効果も延命に限られ癌を根治する力がある訳でない。抗がん剤で治すことが出来る癌は白血病や睾丸の癌などわずかなものに限られることは一般的には知られていない。抗がん剤に頼るくらいならば手術を受けるが他の化学療法を受けた方が良いのである。

 どの抗がん剤にも副作用はあり、多かれ少なかれ体力を奪うものである。まず、強い吐き気などに見舞われ、それでなくても弱くなっている抵抗力をさらに奪う薬が多すぎる。人そのものが死ぬギリギリの所まで追い込むことによって、細胞分裂により多量の酸素と血液を必要とする癌細胞を兵糧攻めにすると言う発想の薬品がほとんどなのだ。それならば、体力を増加し抵抗力を高め自然治癒力によって
進行を抑える形の延命の方が良いのじゃないだろうか。いまのところ、そういったものは多くなさそうである。

 イレッサの副作用で亡くなった人達は少なくとも、癌で死ななかったことは間違いない。あまりにも皮肉である。

 恐らく、癌が小さくなることはないがプラセボの方が長く生きることが出来るだろう。

火曜日, 1月 18, 2005

暗い唄が聞こえる 〜第3章〜

 暗い唄に関する反響はないのですが、引き続き第3段と言うことで...

森田童子になりたいと言う方のためにワンポイントレッスン
 *男みたいに自分のことを僕と呼び(吉田美奈子も)、友達を君と呼ぶ
 *声は蚊が鳴くようにか細くする
 *1番の歌詞が8小節で終わる曲を作る(通しで3分位で終了)
 *マイナー以外のコードは極力使わない(出来れば3コードで)
 *アルペジオで弾き語る
 *重要なキーワードは、薬、睡眠薬、ジャズ、地下、玉川上水、
  帰ってこない(死んだと言うこと)
 *ジーンズの上下(ジーンズにジージャン)
 *ラウンド型のサングラス(探偵物語で松田優作が掛けていたタイプ)
 *髪形もうっとうしかった頃の松田優作風(松田優作好きと見た)

 これだけやれば、あなたは森田童子です 森田童子研究所
 済みませんが、デブは失格です。

月曜日, 1月 17, 2005

あなたはどのOSを選びますか?

Windowsが必要な理由
 *何はなくてもAccess命
  (それ以外に存在理由がないくらいに重要なアプリです)
 *見た目はどうでも良いデータ作り
  (作りやすいかどうかは、また別の次元です)
 *消えてしまっても構わないデータ作り
  (クラッシュしても諦められるものに最適です)
 *システムで泣かされるのが快感になっている
  (直して調子よくなったと聞いたことがない)
 *訳が解らないので、凄いことをしているように見える
  (但し、オタクに見えてしまう)
 *2,3年で買い替えたい
  (サービスパックのパッチで必ず買い替えることになってしまう)
Windowsがダメな訳
 *使いこなせても、かっこいいとは思われない
 *ゲイツとバルマーの人相が悪過ぎる
  (貧相なので、悪い金持ちにしか見えない)
 *就職のために髪を切ってしまったような後ろめたさを感じる
  (結局ロクなところに就職してません)
 *心が貧乏になる(つまらないことだけ張り合う人間になってしまう)

MacOSXが必要な理由
 *Access以外のまともなデータベースの構築
  (メインテナンス、修正が楽に出来る)
 *中身はどうであれ、見映えの良いデータ作り
  (かっこよければ、もてるかも知れない)
 *消えたら困るデータ作り
  (バックアップや復旧のしやすさは大事だ)
 *システムを気にせずに使うことが出来る
 *凄いことを簡単に出来てしまうので、神の手だと思われる
  (但し、素人に対してだけです)
 *天寿を全うするまで使い続けることが出来る
  (ハードが壊れるまで買い替える理由が発生しない)
MacOSXがダメな訳
 *次がどうなるか理解出来ないので不安にさいなまれる
  (気が小さい人を相手にはしてくれない)
 *Jobsが堀江社長とかぶって見える
  (Tシャツにジーンズ)
 *もう冒険はしたくない
  (一度も冒険をしたことのない人は良くこう言います)
 *財布が貧乏になる
  (つい、金をつぎ込みたくなってしまうのです)

月曜日, 1月 10, 2005

OSは、人柄を現すか?

Windows愛用者
 御都合主義者
 自分の考えよりはまわりに合わせる方が間違いないと言う根本理論を誤解している民主主義者。みんなで渡れば怖くないは、心理的な安心感は与えてくれるが合理的な考え方ではないことを知らない。バカは何人集まってもお利口にはならないのである。みんなで渡るから、レミングが死んでしまうことをくれぐれも忘れないように。悪いことは言わないAccessが目的でPCを使うのでなければ、手を出さないことである。
好きな言葉
 付和雷同、おもねる、媚びへつらう、辛抱、我慢
嫌いな色
 ブルー、グリーン(これが、画面に出て良いことは一度も無かった)
嫌いな人
 Bill Gates(口には出さないけれども大嫌いなはずだ)

MacOSX愛用者
 理想(夢想)主義者
 唯我独尊、我が道を行くだけでなく、頭の中はMacによる薔薇色の世界という基準を元に現実がわい曲されている。Macユーザーは孤立することの快感を知ってしまったか、単なる天の邪鬼のどちらかに決まっている。自分以外の誰かが一番になることを許せないため、自分が埋没する恐れのある集団に溶け込むことが出来ないだけなのだ。人から変わっていると言われようとし続けていたために、本当に変わり者になってしまった者ばかりである。悪い人間では無いのだろうが、付き合っていると本当に疲れるのである。
好きな言葉
 Think differnet、サプライズ、歪曲、個性、哲学
好きな色
 ブルー(これが、Windowsの画面に出る度に高揚感を味わえるから)
尊敬する人
 Steve P. Jobs

Linux愛用者
 現実主義者
 PCは嫌いだが、FreeBSDを使うほど変わり者と思われたくないし、Macでは今のPCが使えない。一事が万事合理的な方法で問題を解決しようとする。非常にスマートであるが人間的な温かみには欠けるかも知れない。MacOSXにある使い安さを取り入れ、ポストWindowsを狙うなど、FreeBSDの頑なさとは無縁の柔軟性を発揮しているために徐々にシェアを拡大しているが、Linuxを主導しているグループもIPOを仕掛けて一獲千金を狙うことに躍起になっているような連中(儲けられるうちに儲けてやろうという現実主義)のために、拝金主義になってしまう。そのため、昔のUnixと同様に内部で抗争を行っている。
好きな言葉
 スマート、功利、現実、実践、もうけ話、株式公開
嫌いなインターフェイス
 GNOME使いはKDE、KDE使いはGNOME(解る人には解ります)
尊敬する人
 Linus Torvalds

FreeBSD愛用者
 教条主義者
 小さな違いを許せない心の狭さが人間関係を難しくしている。事実を無視して原理・原則を重視するため寛容さが微塵もなくなってしまった。Linuxを似非BSDだと考える狭量さがユーザー数の減少に拍車をかけることになっていることに気付いていない。Linuxが単なるカーネルの部分をさし、PC Unixの一種であるのは間違いない事実だから、BSDがUnixの保守本流であることは間違いない。しかし、現在は使い安さが重要なファクターであり、ターミナルでキャラクターベースが正しい方向ではないことをもっと理解してもらいたい。使い安いFreeBSDの具現化であるMacOSXを見て気分を良くしているだけでは将来は暗いのである。但し、OpenSauceの世界を真に支えているのは彼らでありその恩恵は計り知れない。もし絶滅した時には、花の一つも捧げたいと思う。
好きな言葉
 オタク、オープンソース、GPL、ナード
嫌いな言葉
 歩み寄り、なれ合い、烏合の衆、素人
尊敬する人
  Richard M. Stallman

Tron
 原理主義者
 これを、PC用のOSとして使うことはもはや宗教活動の他の何物でもない。自動販売機の中で血となり肉となっていることで満足をするべきなのに、PCの中で命を吹き込もうとすると日本国内でしか生きることの出来ないOSになってしまう。国家神道と同様に国の政策として他のOSを排除しない限り力を持つことはありえない。天皇と同じように現実の政治を行うのではなく象徴として、その存在を存続させて行ければと思う。こんなことを言うと機を悪くするかもしれないが、Windowsがもし入ってこなかったとしてもメジャーにはならなかったのではないだろうか。その時にはMacOSに負けていたのではないだろうか。坂村さんが怪しすぎたのか、各メーカはちっとも乗ってこなかったじゃないの。
好きな言葉
 日本独自、ユビキタス、どこでもドア
嫌いな言葉
 デファクト・スタンダード
尊敬する人
 坂村健

木曜日, 1月 06, 2005

暗い唄が聞こえる 〜第2章〜

暗い唄が聴きたくなったあなたにぴったりな歌手をお教えいたします。

尾崎豊:放課後になると窓ガラスを割りたくなり、バイクを見ると盗んでしまう。酒を飲めばどんどん落ち込み、年上以外を彼女に出来ない内弁慶なあなたに絶対お勧め。学校は中退、バイトもすぐやめる。そんな、意気地無しなあなたはちょっとのことで、すぐに狂言自殺。狂言自殺で死んだヤツは多くはないがお薬のやり過ぎで、死ぬ気でないときにぽっくりいってしまったりする。
注意点
 *ナルシストになってしまう
 *人間として成長しなくなる
 *目が往っちゃう
 *薬中になってしまう
職業
 *ストリート・セラー(売人)
精神年齢
 *永遠に第2反抗期:高校2年生

長渕剛:アイドル系だったのに突然男道に目覚め、暴走を開始。もとは、ケメみたいだったのを俺はしっかりと記憶してるぞ。暴力を男らしさだと勘違いし、チビでガリガリのコンプレックスからボディビルに走ってしまったあなたには絶対お勧め。腹筋は割れていなければいけない、三頭筋が大きくなければいけない、色白ではいけない、髪の毛は短くなければいけない。そんな、あなたはかぐや姫のように長髪で、ベルボトム履いてませんでしたっけ?
注意点
 *乱暴者になってしまう
 *酒乱になってしまう
 *目が座ってしまう
 *ブルーワーカーと鉄下駄を買ってしまう(意中の女に馬鹿にされて)
職業
 *テキ屋
精神年齢
 *未成年

泉谷しげる:本当はいい人なのに照れからつい悪ぶってしまって怖い人と誤解され、それならそれとますます乱暴者の振りを繰り返すうちにいい人であることを忘れてしまった。こうなってしまったのも、生まれつき虚弱体質で子供のころは外で遊ぶことが出来なかったコンプレックスのせいで、いつの間にか元気と粗暴を混同してしまったあなたにお勧め。お金持ちのひ弱なお坊ちゃまと思われるくらいなら、田舎出身の貧乏人の方が良かったのね。でも、それって田舎者を馬鹿にしていない?
注意点
 *暴れるとすぐにケガをしてしまう
 *酒を飲まないうちに酔っぱらってしまう
 *目がかわいくなる
職業
 *左官屋、大工
精神年齢
 *ジャイアンにあこがれるスネオ(第1次反抗期:小学生)

さだまさし:確信犯の詐欺師。きれいごとや作り話で涙する人を人一番馬鹿にしているのに、そんな話を口先だけで出来る腹黒いあなたに絶対のお勧め。広辞苑から拾った言葉でつくってしまった歌には一滴の血も流れていないのに、その物悲しそうな声にかかると馬鹿が引っ掛かること、まさに入れ食い状態。ただし、残念なことに最近の若者には広辞苑から拾った言葉は難しすぎて理解不能。おばさん相手にディナーショーで儲ける方に方向転換。本当に計算高いですね。
注意点
 *偽善者になってしまう
 *酒を飲むと根性が悪くなる
 *目が笑わなくなってしまう
職業
 *市民活動家
精神年齢
 *生まれた時からジジイ

別に悪意はありませんから。

暗い唄が聞こえる 〜第1章〜

暗い唄が聴きたくなったあなたにぴったりな歌手をお教えいたします。

森田童子:田舎から出てきて大学に入ったが、どうもみんなに馴染めなくて、唯一意気投合した相手と何故か同棲を始めてしまう。こいつが今時珍しい睡眠薬中毒で、結局自殺か事故か解らないような形で死んでしまったという経験をお持ちの方には絶対お奨め。(僕たちの失敗が20年経って100万枚を越えるセールスを記録するなど昔のファンには考えられないことである。もしも、存命ならば...)
注意点
 *聞くだけで薬物中毒になる
 *地に足が着かなくなる(現実感が乏しく、あの世が身近になる)
 *目がうつろになる
あなたはこんな人
 *薬の飲み過ぎで死にかけたことがある

山崎ハコ:田舎が嫌いなのに結局田舎をでることが出来なかった。やっと就いた生業が、場末のスナックホステス。質の悪い男が共同トイレのアパートに潜り込んで同棲。殴る蹴るの暴行に文句の一つも言えず、まあ良いかと抱かれた見ず知らずの男には淋病を移され、結局一人で安い酒を飲み続け肝臓を壊したと言うあなたにお奨め。今ならもれなくわら人形製のストラップをプレゼント。
注意点
 *聞くだけで、肝硬変になる恐れがある
 *行動範囲が以上に狭くなる(不健康なため、遠出が出来なくなる)
 *目が黄色く濁る
あなたはこんな人
 *酒の飲み過ぎで死にかけたことがある

中島みゆき:一言で言って、人を一度も恨んだことの無いあなたには聞く資格がありません。地に足が付いているのではなく、大地に根を張ってしまっています。空は見上げるものであって、小鳥のように飛びたいなどとは思ったことはなく、飲めば飲んだで恨み言を泣きながら叫び続けてゲロを吐く。そんなことを続けても体を壊さないのは自分で作った有機野菜をたっぷり食べているからというあなたは、きっと毎日聞いているはずです。しゃべらせると以上にハイテンションになるが、そのせいで余計に寂しいんだなと感じさせるのは悲しすぎると思う。
注意点
 *南の島に言っても、北の大地の匂いがするようになる
 *空を飛べなくなる
 *夜目、遠目が利くようになる
あなたはこんな人
 *呪い過ぎで死にかけたことがある

中山ラビ:この人を知っていると重症です。怪しい盛り場の飲み屋の二階に住み込んでいて、何か事件が起きると真っ先に疑われてしまう、同棲する相手は日本人かどうかが非常に怪しい東洋人。そんなあなたにお奨め。尊敬する人は安重根、名前が二つあり、学校では差別されていたというあなたにもぴったり。今回取り上げた人の中では一番アナーキーなエネルギーを持っているかもしれない。ある日、ドブ川に浮いているなんていう死に方が妙に似合います。
注意点
 *キムチ臭くなる気がする
 *パスポートが取り難くなる気がする
 *人の目を気にするようになるかも知れない
あなたはこんな人
 *抗争で死にかけたことがある

当時、メジャーであった(オールナイト・ニッポンで番組を持っていた)中島みゆき、山崎ハコは持ってないですが、他の二人のアルバムは持っています。