金曜日, 8月 12, 2005

本を読まない奴は良く”切れる”

 先日、心はどこにあるのでしょうかと言う話になった。「頭(大脳)ですよね」と聞かれたので、そうじゃないでしょうと答えた。

 何故、頭(大脳)じゃないのか。大脳にあるとした場合に、いくつかの大きな問題にブチ当たる。思考に限ってみれば確かに大脳の占める要素が大きいが、大脳は動物的な能力(身体運動など)には貢献していない。

 脳内の情報処理スピードは神経細胞内の通信速度はPCと比べると目茶苦茶に遅い。どれくらい遅いかと言うとピッチャーが投げた球の情報を大脳で処理していたらバットには絶対当たらないくらいに遅いのである。そんな馬鹿なと思われる方も多いだろうが、実はあのイチロウがあれだけの打率を出せる理由は、小脳の処理能力が優れているからなのだ。つまり優れた条件反射を行えるからボールを打てるのだ(体が覚えていると言う状態)。

 私は動物レベルの情動をコントロールしているのは小脳だろうと踏んでいる。感情は小脳だけでも十分に機能するのだ。つまり、感情を情緒と言った複雑な精神状態にコントロールするために大脳がある訳である。説くに大脳の中でも前頭葉と呼ばれる領域が感情に対して強い影響力を持っている。それ以外の部分は記憶に関係が深い。抽象的な思考を行う訓練を積んでいないと、前頭葉の能力が劣位になるため、小脳をコントロールできなくなってしまう。これが、感情を条件反射のレベルで処理する”切れる”ということの原因なのだ。

 それでは抽象的な思考をするには何が必要だろうか。それは実態からどれくらい離れているかに掛かってくる。映像は、ほぼ実態を表現できるので考える必要が無くなってしまうために抽象度はかなり低い。音は映像よりは抽象度が高いが、文字と比べた場合にはまだまだである。そうなると期待できるのは文字と言うことになる。それも、現在の当用漢字程度の文字数では何の役にも立たない。せめて戦前レベルの語数が必要だろう。なぜそう言いきるのか。それは、ボキャブラリの少ない人間の方が思考が単純だからだ。考え方に奥行きが無いから反応にも幅がないということなのだ。

 さて、ここから私の教育論の始まりだ。一言で言えば”難しい漢字を使え”である。それじゃ読めないじゃないかという馬鹿に言いたい。総ルビを振ればいいのである。全ての漢字にルビを振る。そして読めるが意味の解らない言葉にであったら、辞書を引けば良い。ルビが無ければ辞書を引くことさえままならない(漢和辞典があるという人間は時間のムダ遣いが好きな馬鹿である)。そもそも漢和辞典は漢字を勉強するためにあるのであって言葉を学ぶために存在する訳ではない。

結論:総ルビをやめてしまったために、文盲並みの馬鹿が増えて平気で罪を犯すようになってしまったのである。

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