水曜日, 2月 23, 2005

輿論と世論

 戦後民主主義は世論(せろん)に支えられて地の底まで落ちようとしている。マスメデイアは、戦後の漢字制限を利用して世論を”よろん”と意図的に読み替えているが、”せろん”と”よろん”では言葉の持っている重さに大きな差があることがなおざりにされてきた。自分なりの確たる基準を元に意見を述べる訳ではなくただムードで考え流されている限り輿論とは到底呼ぶことが出来ない。戦前もやはり世論(せろん)を元に戦線の拡大へと雪崩をうって行ったが、輿論を形成していた人々は戦争の問題点をはっきりと指摘していた。伝統に根差すことなく、その場のムードで改憲を口にしたり、皇室典範の改定を口にしたりするのは愚の骨頂である。

 そもそも、現在抱えている問題は以前から考えておかなければいけなかったものばかりである。皇室の問題(女帝)、自衛隊の問題(改憲)、ニッポン放送の問題(買占め)などは、付け焼き刃で解決してはいけないものばかりなのに、それですまそうとしている。人権がないはずの皇室が、一般家庭のように妻の人権問題を発言することがおかしいと何故言うことが出来ないのか、皇室に許されている公務とは公務員(一般人)のそれとは違う。そのことが判らなくなっているというのは皇室さえ民主主義の範囲に入ると誤解させてきた社会に問題があるのだ。それをさらに進めて行こうと言うのが世論ならばいっそのこと天皇が象徴であることを辞め、ヨーロッパ型の王室に変更するように憲法を改正してしまえばいいだろう。

結論:問題が明らかになるまでほったらかしにしていた問題は、慌てふためくのではなくじっくりと本当の輿論をまとめる形で時間を掛けて解決しなければいけない。今迄ほったらかしていたのだから重要じゃなかったのでしょ。まあ、危機管理意識がなかっただけだと思うけどね。

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