月曜日, 5月 22, 2006

何時から後ろ向きが進歩的なったのだろう

 大分前から進歩的文化人と言う言葉が普通に使われているが、彼らの発言に進歩的な部分は全く見られない。それどころかリベラルでさえ無いと言うのはどうしたものだろう。大体進歩的文化人と言われている人間達の言っていることは単なる言霊(言霊が進歩的ならば平安貴族はまさにリベラルである)に過ぎず、まあ良くてお題目か念仏だ。

 そう言う事かと言えば平和と言う言葉もまともに定義出来ていないのに平和が一番(カステラ並みだ)、民主主義(これも定義されていない。されているなら中国や朝鮮は敵のはずだ)だって同じで良い理由が少しも明確ではない。ようするに解釈の輪を広げて行けば単純に共産主義か社会民主主義は素晴らしい(どちらかと言えば世界同時革命:トロッキーか)ということらしいが、それならば日本はまさに、ユートピアであったはずだ。それなのにずっと政府を批判ばかりしているから小泉のような反動が支持されるようになってしまったのだ。

 つまり進歩的文化人の言っている進歩とは19世紀から20世紀の進歩であり、冷静に考えれば単なるノスタルジーだ。ノスタルジーが進歩なら森田童子や山崎ハコはJ-POPになってしまうだろう。それ位に的外れな連中なのである。

結論:バカは死ななきゃ直らないと言うが、バカは死んでも湧いてくるからタチが悪いのだ。

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