木曜日, 5月 18, 2006

歴史再考〜鎖国編〜

 鎖国と言えば江戸時代で一番明確な外交姿勢であるというのが、明治以降の教科書で習った歴史であるため、まるでそれが本当だと信じている人が多いが、これは大きな誤解なのである。鎖国と言う言葉から連想されるのは、見ざる聞かざるの外交方針でどこの国とも貿易もしていなかった、世界情勢に全く疎い井の中の蛙状態の遅れた国かもしれない。しかしこれは大きな誤りなのである。

 まず始めに鎖国の対象が世界中だったように思われる事が大きな誤解である。鎖国とはスペインとポルトガルに対して行われていただけで、それは両国が日本国民を奴隷として貿易を行うような野蛮国(日本人を野蛮人だと思っていた)だったからだ。だから宗教問題を持ち込まないオランダ(江戸時代には既にスペインやポルトガルを越える文明国になっていた)や支那、そして支那の属国であった朝鮮や琉球(日本と支那の冊封国)と貿易を行っていたし、ヨーロッパの文化や情報は全て掴んでいた。

 こういうとたったそれだけで他の国と貿易していないじゃないかと言い出すバカが世の中にはいるが、スペインやポルトガルとの交易を止めた当時は英国はただの小国だったし、フランスは手づかみで物を食っていた時代だ。ましてやアメリカなどまだ建国さえしてい。つまり幕末になるまで遥かヨーロッパから日本まで貿易に訪れる国力を持っていた国など無かったのだ。要するに開国しようにも開国する相手がいなかっただけなのである。

結論:鎖国と言うのは対スペイン、ポルトガルに対する制度であって国を閉じていた事ではない。明治時代のバカは幕末の英国やアメリカの圧力で開国したと考えているが、日本はあれっぽっちの軍艦で滅びるような柔な国ではなかった。但し、通商条約を結んだ事によって幕府内に意見の相違が発生し、それが討幕派に付け入る隙を与えてしまった事は間違いない。しかし関ヶ原の恨みを何時かは晴らそうとだけ考えていた連中がいなければ、もっと良い形で先進国の仲間入りを果たしていたかもしれないのである。

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