金曜日, 12月 05, 2008

田母神論文を考えるのコメントにお答えして

 田母神論文に対する文章に貴重なコメントを頂きました。もっと突っ込んで書かなければと思いながら全くフォローをせずにきたのですが、コメントにお答えする形で文章をまとめさせて頂きました。

 私も含め日本人は論理で物事を考える必要がない社会に生きているために(空気で物事が決められます)、声の大きさで考えを変える事が平気で出来てしまいます。日教組の自虐史観も田母神の被害者史観も、実は戦前の皇国史観と同じ思考なのです。良く言われるように戦前に言論の自由が無かったと言うのは、半分は戦後にカスゴミが責任逃れで口にしたにすぎないと思います(何故ならば、東京裁判で軍に全責任を被せても大丈夫になったからです)。反政府主義者が謀殺されたことはあったかと思いますが、新聞記者が記事を書いた事によってバタバタ殺されるようなことは起きてはいないのです。二二六事件などで脅えて自ら口を噤み、更には提灯を揚げたと言う方がより実体に近い筈です。

 戦争が外交の一手段であることも事実です。但し、国益を考えればアメリカのように一度も他国との戦争で主戦場になったことのない国以外で戦争が国益になることはありません。似非右翼やネットウヨの意見が勢いを増している原因は、戦前と同じで閉塞感を打破する(要はすっきりしたいという単純な心理)のに、革命や戦争と言う道具は非常に使い易い物だからなのです(そんなので有名になったフリーターもいました)。しかし本当に戦争を国益(或いは私益)に繋げようと考えている連中は、もっと冷徹な計算で戦争を行います。つまり、外交で解決するよりも戦争を仕掛ける方が得るものが多いと判断したので戦争を起こしたと言うことです。

 残念ながらと、日本にはそこまで腹の据わった考えで国益のために戦争を考える人達(戦争がしたいという意味ではなく冷静に考えれば日本が対外的な戦争をして得るものとがない分かっていると言うことです)はいません。そして、国民もそんな教育は一切受けてきませんでした(自虐史観でも被害者史観でも本当の戦い方は学ぶことは出来ません)。そう言う国が威勢の良いことを並べ立ててその気になると神国日本になってしまい、揚げ句の果ては最後には”神風が吹く”になってしまうのです。

 田母神史観では騙した奴が悪いとなってしまいますが、詐欺と同じで騙されないように備えていなかった方も同様に悪いのです。若い人達が田母神史観に単純に賛同するのは、以上のように自虐史観だけで教育(実はおかしいと考えていた)され、疑問に思っていたいたことを覆すのに手っ取り早く、気持ちが良くなる(自分達は悪くないと言うこと)答えが提示されたからに過ぎません。例の論文に書かれている事はほとんど事実(日時などの事実誤認はありますが、参考にした資料がいい加減だったのでしょう)だと思います。但し、自虐史観と一緒で都合の悪い事実は書かれてはいません。皇軍と言いながら海軍と陸軍は全く別の思惑で戦争をしていたことなどはどこにも書かれていないのがその証拠です。

 戦前は軍国主義だったと言われますが、戦前も現在も日本は官僚主義の国です。戦前は官庁の中で軍が相対的な力を持っていただけで、やっていたことは陸軍省や海軍省の省益確保だったのです。
 「省益は国益に優先する」
それが、日本の実体です。だからこそ省益のために国益を無視した政策を平気で策定することが出来るのです。

結論:似非右翼やネットウヨに快哉を送るようになってしまったのは、小泉・竹中の構造改革路線が国民に自己責任という名の犠牲を強いる政策だったからです。世の中がのんびりしていれば自虐史観に乗っている方がよっぽど気楽なのです。要は、小泉以前は能天気にしていられたので自虐で良かったが、小泉改悪路線でいきなり、窮鼠猫を噛むなろうとしていると言うことです。こう言う時にはカスゴミの報道に踊らされないように自分で考えるしか方法はないのです。

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