水曜日, 5月 22, 2019

Windows 95はMacintosh 87…

改元で平成を振り返る様々なコンテンツに溢れていた。と言うわけで平成全体を振り返るわけではないが少しだけAppleの過去を振り返ってみたいと思う。

日頃、Appleを持ち上げるばかりで批判が一切なく面白くないと感じている人もいると思うので今回はAppleの暗黒時代のお話を書きなぐってみたいと思う。iPod以前どころかiPhone以降のAppleしか知らない人から見たらAppleは押しも押されもしない世界的な大企業だが、かつてそのAppleは風前の灯状態に陥っていた。その兆候はAppleがPCの売上シェアトップ(そんな時代もあったのだw)に君臨していた時に姿を現し始めていた。

1992年MicrosoftがWindows 3.1をリリースしたこの年長い間係争状態だったMicrosoftやHPとのLook & Feel裁判に敗訴。MS-DOSにGUIアプリケーションを載せただけの代物に過ぎなかったとは言え、曲がりなりにも3.1上で動くアプリケーションがいくつか登場したというのに、一方のAppleは1990年にMacintoshで初めて1,000ドルを切ったと人気商品となったMacintosh Classicは基本的に1986年に発売されたMacintosh Plusの筐体を変えた焼き直し製品。こんなものでも売れると思い上がったのかは知らないがOSの開発が一向に進まないAppleはIBMと提携し開発コードBlueと呼ばれるSystem 7.5とPinkと呼ばれるSystem 8を同時に開発すると言う無謀な賭けに出てしまった。Pinkと呼ばれたシステムは結局IBMと共同設立したTaligent社に移管され、Appleは新たにCopelandの開発を始めたがWindows 95が発表された1995年までに出来上がるどころか結局完成するさえができなかった。

そして、1993年出る出る詐欺と言われていたNewtonが登場。出たは良いがその完成度はお世辞にも高いとは言えず、高かったのは価格だけと揶揄される出来栄えだった。その後潰れてしまったとは言え同時期に進められていたGeneral Magic社のMagic Capの鮮新世には遠く及ばないものであった。案の定、Newtonは膨大な開発費を掛けたにも関わらず初代Macintoshのように鳴かず飛ばず(プロジェクトスタートの時にAppleが派手に騒いだのがそもそもの間違い)で結局プロジェクトの言い出しっぺのスカリーを解任してことを収めると言う醜態を晒すことになってしまった。

1994年。Macintosh販売10周年のこの年Apple車内は完全にカオス状態に陥っていた。大したシェアでもないのに各販売チャネル毎にどこに違いがあるのかとツッコミを入れたくなるような違いしかないモデルをリリース。最盛期のそのモデル数は70種類にも及ぶと言う暴走具合だった。まともな舵取りがいない状態で迎えた1995年。バイトのサクラが並んだだけだとどんなに自分を慰めようがお金持ちのMicrosoftの一代キャンペーンに乗って登場してきたWIndows 95の前になすすべもない状態となってしまった。そして、自社開発は到底無理とようやく悟った頃には運転資金も底を突く寸前。買ってくれるところはないかと相手を探すがどこも相手にしてくれない状態だった

Windows 95の滑り出しの良さを見てWindows 95はMacintosh  Plusが登場後にリリースされたSysytem 6以前のMacintosh 87だと揶揄する声もあったが、そのApple自身は新たに採用されたPowerPCへの対応も影響したとは言え91年にリリースされたSystem 7の改良版しかリリースできず到底Macintosh 95だとは言える状態でじはなかった。結果的にWindowsを超えるOSの登場は、2001年秋にNeXTがベースとなるOS XのV10.1 Puma以降となったのである。

結論:最悪期のAppleは本当に最悪の状態だったのだ。

0 件のコメント: