月曜日, 6月 25, 2018

地震と政治

豊臣が滅びて徳川の天下になったのは大地震が影響したからだという記事が出ていた。大阪を直下とする大地震で伏見城など多くの城が崩壊した関西圏が領地である豊臣が勢力を失い、その地震の影響のない東国を勢力とした徳川を利する形になった言うのは十分考えられる理屈である。そのような目で見てみると徳川も幕府末期となった安政に僅か3年のうちにプレートが原因と考えられる推定M8クラスの大地震が3回に加え江戸直下型の地震が発生している。大阪の地震が豊臣の天下を終わらせる切っ掛けとなったように江戸直下型の地震が徳川に引導を渡したとも考えられるかもしれない。

無謀な戦争を仕掛けた第二次世界大戦も戦略が間違っていただけでなく形勢不利となり始めた時期にM7クラスの地震が立て続けに発生したことも大きく影響したはずである。そして、戦後も阪神大震災や東日本大地震のように巨大地震後の対処のまずさから政権が2度交代している。地震への対応の良否が統治能力の欠如と判断されたからなのではないだろうか。歴史的に地震だけではなく台風等の様々な自然災害が当たり前の日本にとって災害に対応する能力が即ち統治能力と考えるとそれぞれの時代の切り替わりの理由が見えてくるのではないだろうか。

結論:天変地異の発生が改元の切っ掛けになっただけではなく統治者の交代を引き起こしていたのではないだろうか。

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