火曜日, 4月 26, 2016

熊本大地震に思うこと

熊本地震は津波で14,000名あまりの死者を出した東日本大震災とは被害状況は一日しく違うのは明らかである。町そのものが消えてしまう状況ではないため復旧のスピードは東日本大震災に比べ早いだろう。

東日本大震災ではSNSによる(当時はTwitterがメイン)情報の拡散が良し悪しは別にして有効であることが証明されたが、今回の熊本地震ではデマ情報の拡散や時間の流れを無視したRetweetやシェアによって支援物資の重複などかえって混乱を助長させる原因となることも明らかとなった。

マスメディアには元々期待などしていないが今回も色々と物議を醸す行為があったのは視聴率に伴う広告料が収益の根源という時代遅れのビジネスモデルから脱却できないからにすぎない。

私自身は被災地に直接入ったわけではないので伝聞に過ぎないが、隣県の地方自治体の職員が熊本県内の被災地、避難所に支援活動の一環として入られたそうだ。避難所には行政主導で運営されている避難所と被災地住民による自主運営避難所があったが、不平不満が多く上手く回っていないものは行政主導の避難所で物資の多寡に関わらず協力しあって明るい空気が溢れていたのは被災地住民による自主運営の避難所だったそうだ。

これは、避難所に限ったことではなく上から何かをしてもらうことを前提と考えている組織では能動的に何かを起こす力は生まれず、ぶら下がりの結果感謝の気持ちを失せさせる。当然生まれるのは無責任と不平不満。自ら動かなければ何も始まらない組織は自らが動くことによって同じ目標に向かうメンバーとしての一体感を生み出し、それが助け合いの精神を育むことにつながっているのである。

結論:今後、災害対策は支援物資の供給、生存者救出など国や自治体が主体となるべきものと避難所の運営などを分けたスキームを用意すべきではないだろうか。被災者が復興のリーダーとなるためにも単なる被害者にさせてはいけないのである。

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