症状:本来聞こえるはずのない声や音が聞こえてくる。耳鳴りやメニエル病とは全く別物。
診断:幻聴かどうかは手のひらで耳を押さえて聞こえるかどうかで判断が出来る。耳管に虫が入った時にも耳を塞いで音がするが幻聴ではない(すぐ耳鼻咽喉科へ)。
病理的要因:聴覚野の脳細胞に腫瘍などが出来て神経を圧迫することにより音が聞こえる。是非脳神経外科をお訪ね下さい。良性腫瘍の場合には外科的処置で回復が可能です。
薬理的要因:有機溶剤(シンナーやトルエン、灯油などお好みで)や向精神薬(麻薬や覚せい剤)や脳神経の破壊(ようするに脳みそがとけちゃった状態)が原因の場合ほとんど重度の精神障害に見えます(いわゆる人間をやめた状態)。幻聴や幻覚が出るようになった場合、現在の医学では正常にはほぼもどりません。合掌。但し幻覚剤が原因の場合には服用を中止すれば改善します。
統合失調症(少し前までは精神分裂病、もっと昔は早年性痴呆と呼ばれていた):独り言の黙読(思考)が他人の声で聞こえてしまうために自分で考えていることだと認識できずに誰かに話しかけられていると勘違いしてしまう。現在は向精神薬の正しい服用で改善することが可能である。
パラノイア(妄想性人格障害):自分の思考が分裂(統合失調症に非常に近い)しているため、思考が神の声(或いは自分が神)となってしまう。統合失調症との大きな違いは首尾一貫しておかしいと言うところにある。統合失調症ではもっと支離滅裂である。原因が病理的要因である場合には治療可能であるが、そうでない場合には治療は困難なため一般には死ななきゃ直らないと言える(昔のキチガイに現在ぴったりあてはまるのはこの人達のことである)。合掌。
月曜日, 5月 30, 2005
木曜日, 5月 26, 2005
価格.コムの顛末〜その後〜
ついに価格コムは本当の墓穴を掘ってしまった。「過失はない」「地震のようなもの」と発表したのだ。そればかりか原因を公開せず、サーバシステムをLinuxベースに置き換えたことも公表しなかった。確かに自滅した訳ではなく攻撃されたのが原因で問題が発生したのだが、過失がないと言うならば”故意”だったと判断せざるを得ない。MicrosoftのWebサーバでさえ初期はLinuxで運用していたと言うくらい信頼の置けないシステムを使っていながら過失が無いとはどういう了見なのだろう。これでは、口うるさいネットユーザは黙ってはいないだろう。どんなに隠そうとしても今回の問題はいずれは公になってしまう。その時にきちんと説明できるようにだけはしておいた方がいいだろう。
結論:価格コムもソフトバンク並みにお客さんを大事にしていることがはっきりしたのである。
結論:価格コムもソフトバンク並みにお客さんを大事にしていることがはっきりしたのである。
刑法と狂気
人道主義と呼ばれるものに見られる破綻を最近つくづくと感じる。少年犯罪と精神障害者や人格障害者による犯罪が余りにも多く、また裁判結果に納得がいかない場合が多いからだ。ここでの一番の問題点は、人格障害(異常人格)なのに精神障害と鑑定されてしまうことがあまりに多いことだ。これも人権派と呼ばれる連中の横行が原因だ。現行刑法(現行と言ったって明治41年に作られている)では、心神喪失状態であった場合にはその罪を問われないと規定されている。そして常軌を逸した凶悪犯罪である場合必ずと言っていいほど精神鑑定が行われ、ここで精神障害(本当は人格障害なのに)とされ無罪放免になってしまう。池田小の宅間は人格障害とされたため本人の希望通り無事に死刑となったが、それでも弁護人は精神障害で控訴しようとしていた。弁護士よりも宅間の判断の方がまともだったと言う訳だ。
ここに現在の司法の大きな問題が隠されている。本来刑法とは罪を憎んで人を憎まずの姿が健全であるはずなのに、量刑は人を見て判断を変えるようになってしまった。そのために弁護士はどうにかして病人にしようとする。病人ならば刑は軽くなり狂人ならば罪を問われない。これでは犯罪に巻き込まれた人間だけが割を食ってしまうではないか。やむにやまれぬ行為や過失に対して幅を持って減刑するというのはやり過ぎなのだ。ここは江戸時代の刑法に少しは学ぶべきではないだろうか。刑の確定に際して裁判官に裁量権を与える余地を無くすことから始めるべきだ。結局は精神障害者と診断された異常人格者が得をする形になってします。そして本来は何の害もない本当の精神障害者を犯罪者予備軍のような扱うことを慎むべきだ。
最近多くなっている(単にマスコミが騒ぐようなっただけか)性犯罪者のような人格に問題のあるものは矯正することは出来ない(快楽が目的なので止められない)のだから終身刑にすればいいし、それで人をあやめたならば即効死刑で良い。
結局は現在有効でなくなっている刑法を根本的に改定して量刑を明確に規定し直し、情状酌量などと言う法を超えた判断を裁判に持ち込ませずに罪に見合った刑で罰せられると言うのが正しい。
江戸時代のように同じ死刑でも磔刑、死罪、下手人、獄門ときめ細かな配慮までは行えないかも知れないが、犯罪と刑罰が一対一の関係である方が望ましい。犯罪に違いを設けるとすれば、それが故意か過失かだけで十分だと思う。少年犯罪も罪を問えないのは6才以下くらいにしたらいいだろう。それ以上で物事の善し悪しが判断できないと言うのならば大人になったって判断できないに決まっている。
ここに現在の司法の大きな問題が隠されている。本来刑法とは罪を憎んで人を憎まずの姿が健全であるはずなのに、量刑は人を見て判断を変えるようになってしまった。そのために弁護士はどうにかして病人にしようとする。病人ならば刑は軽くなり狂人ならば罪を問われない。これでは犯罪に巻き込まれた人間だけが割を食ってしまうではないか。やむにやまれぬ行為や過失に対して幅を持って減刑するというのはやり過ぎなのだ。ここは江戸時代の刑法に少しは学ぶべきではないだろうか。刑の確定に際して裁判官に裁量権を与える余地を無くすことから始めるべきだ。結局は精神障害者と診断された異常人格者が得をする形になってします。そして本来は何の害もない本当の精神障害者を犯罪者予備軍のような扱うことを慎むべきだ。
最近多くなっている(単にマスコミが騒ぐようなっただけか)性犯罪者のような人格に問題のあるものは矯正することは出来ない(快楽が目的なので止められない)のだから終身刑にすればいいし、それで人をあやめたならば即効死刑で良い。
結局は現在有効でなくなっている刑法を根本的に改定して量刑を明確に規定し直し、情状酌量などと言う法を超えた判断を裁判に持ち込ませずに罪に見合った刑で罰せられると言うのが正しい。
江戸時代のように同じ死刑でも磔刑、死罪、下手人、獄門ときめ細かな配慮までは行えないかも知れないが、犯罪と刑罰が一対一の関係である方が望ましい。犯罪に違いを設けるとすれば、それが故意か過失かだけで十分だと思う。少年犯罪も罪を問えないのは6才以下くらいにしたらいいだろう。それ以上で物事の善し悪しが判断できないと言うのならば大人になったって判断できないに決まっている。
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